僕はいつものように、女の子たちを連れてアルガードに入った。
入口をあけると、ドアのベルがチリンと鳴った。
店の中で働いていた彼女と眼があう。
高校の後輩、僕を追ってここでバイトを始めた子。
彼女は無理をした笑顔を向けて、僕らを案内するのだ。
その日は席に着くなり、連れの女の子が妙な動きを見せ始めた。
彼女たちはお互い見つめあってそわそわしたり、
目くばせして含み笑いをする。
明らかに、いつもとテンションは違う。
礼儀として、僕は笑う。
「どうしたの? なんかいつもとちょっと様子が違うみたいだけど」
それを聞くなり、一人の女の子が椅子下に置いた袋にガサガサ手を突っ込んで、
「ジャーン!!」と叫んで、赤くラッピングされた箱を取り出した。
「太郎君、お誕生日おめでとう〜!」
予感は的中した。
そう、明日は僕の誕生日。
わいわい騒ぐのが好きな彼女たちのこと、
何かを仕込んでいるだろうとは思ったのだ。
でも、僕は流儀を心得ている。
一瞬だけ意外そうな顔をして、その後でちょっと嬉しそうに笑うのだ。
こういう手法は、いつの間にか身についていた。
「ありがとう。開けてもいいかな?」
彼女たちがうなづくのを確認して、
僕は包装紙を丁寧にはがし始めた。
すると、高級紅茶のセット缶が出てくる。
この辺だと、売っているのはショッピングモールの中のテナントくらいだろうか。
偶然にも、僕がよく飲んでいる種類の葉だった。
彼女たちにしては、ずいぶん粋な選択じゃないか。
わけのわからない、距離感のない物なんかじゃ貰っても対処に困るだけだけど、
こういうものなら役に立つ。
それにまあ、人に誕生日を祝ってもらうのは悪い気分ではない。
実際問題、もう僕は家で誕生日パーティを開いてもらう年じゃない。
こういうのもたまにはいいかな、と僕は思った。
どうせ僕も彼女たちも、深入りしない約束なんだから。
黒髪でショートヘアのウェイトレスさんが、テーブルにケーキを持ってくる。
その動作に対して、僕は無意識に店内を見渡した。
彼女はいない。休憩中のようだった。
イチゴのホールケーキには、
砂糖のプレートとろうそくが数本立っている。
そしてプレートに書かれたチョコレートの文字を見て、
僕は少し固まった。
『たろうくん Happy BirthDay 5・29』
そんな僕の様子を見て、隣に座っていた子が
つやつやの唇を開いて笑い、こう言ったのだ。
「今日がお誕生日だったよね? 太郎君おめでとー」
彼女たちは、僕の誕生日を一日間違えていた。
僕は自分のプロフィールを積極的に伝える方ではない。
大学でもたぶん、一人くらいにしか教えてないだろう。
直接伝えたのは、そうだ、この向いに座っている子だ。
僕が伝えた日付を彼女は一日ずらして覚えてしまい、
周りの子に伝えたんだろう。
でも、5月30日を31日に間違えるならわかるけど、
なんで29日に間違えるんだ。法則性がおかしいにも程がある。
僕の中では、内心さめざめとした気持ちがショワーっと出てきていたが、
場の空気を壊すことはできなかった。
主賓なのになぜか気を使い、少し無理をした笑顔でその場をやり過ごした。
家に帰った後、紅茶缶は戸棚に入れといた。
今度飲もう。
別に良い、期待してなんかない。
どうせ誰も、僕の誕生日なんか覚えちゃいないんだ。
そして翌日、僕はまたアルガードの椅子に座っていた。
もちろん、オプションとして女の子付きである。
僕しか気づいていないだろうが、
昨日の茶番にほとほと食傷していたので、正直来週まではここには来たくなかった。
でも、女の子にひっぱってこられたら仕方がない。
なんだかんだ言って、僕には主体性がない。
そして今日もあの彼女は、笑顔でコーヒーを運んでいる。
特に用事もなく、女の子のおしゃべりに付き合っていたら
いつも間にかかなり時間が経過していた。
もうそろそろ、店の閉店時間だろう。
店内の客も僕らだけになっていた。
僕は笑顔で促す。
「じゃあ、今日はもう帰ろうか?」
すると女の子たちはこう笑って言った。
「あっ、はーい! ねー、ちょっとお手洗い行ってきてもいい?」
僕が投げやりにうなづくと、彼女たちはパタパタと通路の奥へ消えていく。
その時、あの子がやってきた。
そう、地味な制服を着たあの子だ。
彼女はあたりを遠慮がちに見渡して、
人目がないのを確かめると、耳元でささやいた。
「あのね、この後、時間をつくってほしいの。私ももうあがるから」
一瞬、彼女がとうとう最終攻撃に出たのかと驚いてしまったが、
この子はそんな子じゃあない。
僕はつくろってこう言った。
「…へぇ。別に良いけど?」
その言葉を聞き、彼女はふわっと笑う。
「ありがとう。 じゃあちょっと、お店のそとで待ってくれるかな…?
あと15分くらいで出れるから。
ちょっと待たせちゃうんだけど…大丈夫?」
15分は長いと少し思ったが、ひとまず承知した。
ありがとう、と彼女は言った。
女の子たちが戻ってきたので、
僕は支払いをすませて店を出る。
「ちょっと用があるから、今日はここで」
僕が笑ってそう言うと、彼女たちは多少ごねたものの
聞き分けよく帰っていった。
どうしてみんな、こんなに流儀を心得ているんだ?
誰も僕を知ろうとしていない。
もしかして、僕の「ゲーム」に気づいてるのかな。
まあ良いけど
店のドアから少し離れたところで携帯をいじっていると、
しばらくして、はね学制服の彼女が現れた。
僕は携帯をポケットにねじこむ。
僕と彼女は、どっちが言うとでもなく
店の横の、人通りのない路地に入って行った。
「待っててくれて、ありがとう」
彼女は笑う。
街灯が照らす彼女の顔には、明らかに疲れの色が浮かんでいた。
僕の在学中と比べたら、少しやせた。というかやつれた。
「ま、君もお疲れ様」
そっけない様子の僕に対して、嬉しそうな表情を見せる彼女。
純朴さもここまでくると、どうにも切なかった。
「…で、何で僕を待たせたわけ?」
僕がそっけなく聞くと、彼女は手にぶら下げていた紙袋から、
ピュッと小さな箱をとりだした。
「お誕生日、おめでとう」
驚いた。
この子が僕の誕生日を覚えていたなんて。
僕は彼女が両手で差し出した、白い箱を見ながら
あえて手は出さずに聞く。
「君、僕の誕生日、知ってたの?」
「知ってたよ」
「…どこで話したっけ」
「去年、森林公園に出かけた時に聞いたよ」
そうだっけ?
「…よく覚えてたね」
僕の平静な言葉に対して、彼女は全く動じずにこう言った。
「覚えてるよ。好きな人の誕生日だもん」
一瞬、ありがとうと言いそうになった。
僕の中の、本当の僕が顔を出しそうになった。
押し込めなきゃ。
ばれたらきっと、僕は負ける。
「あの、ケーキなんだけど、昨日家で焼いたんだ。
化学室とアルガードの冷蔵庫に入れてもらってたから、
衛生面は平気だよ。
ま、そもそも化学室の冷蔵庫に入れるなって話になっちゃうんだけど…
学校だとそこしかなくて」
僕をよそに、彼女はプレゼントの説明を始めた。
違うよ、ここに欲しいのはそういう言葉じゃない。
「ふぅん。形が崩れてなきゃいいんだけどね。ま、ありがと」
僕はそういうと、彼女に背を向けた。
もう帰ろう。危険だ。このままだと、僕が出る。
すると、後方から彼女の声が飛ぶ。
「太郎君。
昨日良かったね、お友達さんに祝ってもらえて。
太郎君って、やっぱり人気者なんだね。なんだか嬉しい」
純粋で世間知らずなこの子の言葉は、
僕の内部をぐりっとえぐった。
違う。みんな僕の誕生日も知らないんだ。
僕は人気者なんかじゃない。
ただの盛り上げ役だ。
「君には関係ない。黙ってコーヒーでもそそいでろよ!」
一番出したくない、感情的な叫びが声に出る。
やってしまった。
自分の弱みを暴露したようなもんじゃないか。
もう彼女の方は見れない。
ごめん、と思いながら、僕は早足で家に急いだ。
夏直前のゆるんだ空気のなかで、
月の明かりがぶしつけなほどに明るくともっている。
家に戻ると、父も母もまだ帰ってはいなかった。
きっと、僕がどこかで祝われているんだと思っているんだろう。
弟は部屋にいるんだろうが、もうあいつもわざわざ出てくる年じゃない。
リビングの電気をつけて、ソファーに腰掛ける。
テーブルの上に彼女からもらった箱を置く。
蓋をあけると、少し斜めになったチョコレートケーキが出てきた。
丁寧に扱っていても、やっぱり歪むのは避けられなかったようである。
やれやれと思いながら、僕は食器棚から皿とフォークを取り出した。
食べる。
普通の味だった。
まったくもう、あの子はどうしてこんなに中途半端なんだろう。
そう思いながら、僕はケーキを食べていった。
そして、蓋の内側に手紙が貼り付けられていたことに今気づく。
封の中には、女の子の字でこう書かれていた便せんが入っていた。
『太郎くん、お誕生日おめでとう。
今年が太郎くんにとっていい一年になりますように。』
僕はそれを指でひらひらさせながら、
彼女の誕生日を模索した。
確かまだ、彼女は18の誕生日を迎えていない。
生まれ月は覚えている。
でも、肝心の日付が記憶から抜け落ちていた。
僕はフォークを置くと、小さくため息をついた。
まったく君は、本当に。
こんなんじゃもう、君の誕生日なんか聞けないじゃないか。
お誕生日おめでとうって言って、ちゃんとお返しをしてあげたいのに。
どうして君は、こんなに僕の斜め上ばっかり行くんだろう?
事態は確実に予測していない方向に進んでいる。
僕はそれを感じていた。
これからどうしたらいいんだろう
崩れるのは、僕か彼女か。
今日はもうわからないので、
ひとまず自室に戻ることにした。
5/30だと、おそらく泥試合の真っ最中かと思いまして
こういう話になりました。
太郎の一人称は、書きやすくて好きです。
2008.5.30
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