あんまん
主人公=海野あかり
時期は冬で、にくまんイベント後。あいさつ運動の話です。


冬のある日の放課後、海野あかりが廊下を歩いていると、
廊下わきの女子生徒二人組みの会話が耳に入った。

「最近、あいさつ運動って始まったじゃん」
「あー 始まったねー」
「どう思う?」
「ありえない」

名前も知らない彼女達の会話を聞いて、「そりゃそうだろう」とあかりは思った。
生徒会長の氷上格が、毎朝校門の前に立って、「おはようございます!!!」と呼びかける。
もっとも、高校生があいさつ運動に熱心に取り組むわけもなく、羽ヶ崎の校風からも浮いているのは一目瞭然だった。

だから、この前の生徒会執行部会議で氷上がこの案を揚々と出したときも、
あかりは無駄だと思いつつ、一応難を示してみせたのだ。
「難しいんじゃない?」と。

するとすかさず、挨拶が人間関係の構築と晴れやかな一日のためにどんなに大切なのかを、氷上が雄弁に語りだしたのだ。
それに千代美も同調し、さらに職員会議を通過した結果、「あいさつ運動」は実施されることになってしまった。

あかりには、もともと結果は見えていた。羽ヶ崎生徒はこういう反応をすると。
そして今、生徒会部室で氷上が椅子に座って、人知れず落ち込んでいることも知っている。

  だから止めたのに。
人の話も聞かないで。

内心で子どもっぽい苛立ち支配されながらも、あかりは氷上の気持ちも知っていた。
一年の時の、生徒会長立候補演説で負けてしまった時に言っていた言葉をまだ覚えている。
彼は、自分の中の正義と、世間の空気と妥協に折り合いをつけることが出来ないのだ。
そしてそれに気が付いているから、いっそう辛いのだろう。氷上はそういう性格だ。
あかりはそう思いつつ、カバンと右手の荷物を抱えて生徒会室に入った。

そこには、背を向けてコピー機を稼動させている氷上の姿があった。他の人は、もう帰ってしまったのだろう。
窓の外には、もう暗い空が広がっている。冬の日はやはり短い。

「ひーかみくーーーん」
あかりがわざと間延びして呼びかけると、彼はくるりと振り返って意外そうな顔をする。
コピー機の音のせいで、あかりの足音は聞こえなかったらしい。

「海野くん、君か」
「コピー? 手伝おうか?」
あかりの言葉に、氷上は首を振る。
「いや、もう終るからいいよ。それに、冬に女子が居残りするのは危険だ。
 早く帰りたまえ」
「いや、いいよ、少しくらい」
「君は良くても、何かあったら君のご両親に申し訳ない! 早く帰りたまえ」

予想通りの氷上の言葉に、あかりはやれやれとため息をついた。
それと同時に、氷上がコピー機の前を離れる。本当にすぐ終ったようだ。

「何の資料?」
あかりが聞くと、氷上が一枚見せてくれた。
「あいさつ運動の資料だよ。これは先生方に配る用に作ったんだ。
いまいち運動が浸透してないから、挨拶がどれだけ有意義で重要なものかを生徒に説明してもらおうかと思ってね」
「ふ…ふーん」
あかりは、相変わらず頑張りすぎだなと思ったが、そんなことはもう分かりきっている。黙って資料を眺めた。

「あと、これは今日の結果」
そういって、彼が渡してくれた紙には、何かの表とグラフが書いてある。
「今日、挨拶してくれた人の数だよ。小声の人と、大声でしてくれた人に分類してある」
氷上の説明と共に、紙を覗き込むと、そこには悲惨な数字が並んでいた。
「……」
「悲惨、だろ」
「…うん」

あえて言わなかったことを当の本人から言われ、あかりは困惑しつつも言わざるをえない。
「…やっぱり、僕のやり方は理解してもらえないのかな…」

彼が突然見せた弱気の顔に、何故か焦りを感じて、
「や、やめるなんて言わないでよ?」
と、反射的にあかりは言ってしまった。

「…え?」
思いがけない言葉に、氷上が不思議そうな顔をする。慌ててあかりはつくろった。
「いや、氷上くんはいつもまっすぐいく人でしょ!
 弱気になったら回転止まるよ! コマみたいに」
あかりは自分で言いつつも、言葉の意味がわからないことを実感していたが
「…僕が、コマ…?」
何か思うところでもあったのか、氷上はあかりを見る。
部屋が静かになり、時計の音が二人の耳に聞こえた。

その瞬間、あかりは場にそぐわない明るい声を上げた。
「あ、そうだ…! ねえ氷上くん、そこの椅子に座って。顔、伏せて」
「…?」
氷上は戸惑った様子を見せたが、テーブルの前の椅子に素直に座った。
彼が背を曲げて、腕の中に顔を伏せたのを確認すると、あかりは自分のカバンをがさごそさぐる。
「そのまま一分待ってね」

その音と、一分という時間に
「…何をするつもりだ?」
と不安を表す彼だが、あかりはあえて返事をしない。

やがて一分ほど経ち、氷上の中で緊張が少々緩んできた時、
突然彼の顔に暖かくて柔らかいものが押し付けられた。
「うわっ!!!!!!」
氷上は予想してなかった出来事にやや高い声を上げ、慌てて起き上がった。
「な、なななんなん何だ、今のは!?」

後ろを向くと、あかりがピンクの包み紙を持って立っている。この包みを自分の頬に押し付けたのだろう。
「あんまん」
満面の笑みで、あかりは答えた。

「あ…あんまん… なんだ…あんまんか」
意外に平凡なそれの正体に、氷上は胸を撫で下ろしつつも、
慌てた様子をあかりに見せてしまったことに軽い怒りを感じ始める。

「海野君、それはどこで買ってきたんだ」
「裏門のすぐ脇のコンビニ。食べる?」
「…昼食時以外の飲食は、校則で禁じられているはずだ」
「若王子先生も買ってたよ? ピザまんはここに限りますとか言って」
「………」
「まあ食べなよ」
あかりは強引に氷上に渡すと、にこっと笑った。
「前、スキー場でもらった肉まんのおかえし。正直言って、
 あの肉まんに勝てる肉まんは他に売ってないからさ、あんまんにしてみたんだけど」

自分の好意のお返しと言われれば、氷上にそれを拒絶できるわけがなかった。
彼はきまり悪そうにしつつも、礼を言う。
「…ありがとう」
その声の中には、かすかだが嬉しさも確かに入っていた。
しかし、すぐに厳しい顔を取り戻す。

「これは君の好意としていただくが、とにかくもう帰りたまえ。外が暗い。
 …よ、良かったら、僕が送っていこうか…?」

「え」
いつもなら、普通に誘いを受け入れる彼女が、今日は何故か歯切れが悪い。
「今日はちょっと…」
その様子に、氷上の表情が目に見えて曇る。
「そ…そうか」

彼がそう言った瞬間に、教室のドアから西本はるひが顔を出した。
「あ、あかりー!!! そんなところにおったんか! 一緒に帰ろう!」
「あ、はるひ」

「あ…西本君と一緒に帰るのか。そうか、すまなかったね」
彼女の歯切れの悪さに、彼なりの理由を見つけたのだろう。
約束をしていたのなら、仕方が無い。
氷上は弱く笑って、椅子に腰掛けた。
おそらくここで、あんまんを食べて帰るのだろう。
ここで食べるものやむをえない。下校中に歩きながら飲食をするような彼ではない。
それ以前に校則違反である。

「うん、じゃあ。また明日!」
あかりは手を振って、教室を出て行った。

「……」
自分以外誰も居ない教室で、氷上はあんまんを食べる。
長い時間のやり取りでそれは既に少し冷え始めていて、正直言うと、決して美味しくはなかった。
しかし、あかりがくれたものならば、食べないわけにはいかない。

そしてあんまんを食べていると、あんまんと下の薄い紙の間に、
何かがはさまっいてるのが見えた。

「…?」
薄紙をめくる。そこにあるのは、小さく四つ織りにされている紙片であった。
氷上はそれを取り出すと、あんまんを持ったまま、紙を広げる。

そこには、こう書かれていた。



やりたいようにやってみるのが良いんじゃない?
氷上君はそのままで、いいと思うよ。


エンピツで書かれた女の子の字、おそらくあかりの字だろう。
この紙は、おそらく彼女のノートの切れ端か。
氷上が机に顔を伏せている間にこれを書いて、あんまんにはさんだのだろうか。
あんまんの蒸気のせいか、少し湿っている。

ふと、氷上はあることに気づいた。
あかりは校外のコンビニでこのあんまんを買った。
もしかして、自分のこれをくれるために、わざわざ戻ってきてくれたのか?

氷上はガタッと立ち上がり、廊下に出る。
途中で部屋の椅子にひっかかり転びそうになったが、何とかバランスを保った。

廊下には、すでに誰もいなかった。
首と視線をあちこちに向けたが、人の気配はない。
あかりはもう帰ってしまったのだろう。



帰り道、はるひがあかりの顔を覗き込んで言った。
「なあなあ。本当にうちと帰って良かったんかー?
 氷上くんと帰りたかったんちゃう?」
「いや、いいんだよ」
あかりはにこっと笑う。

あんなメッセージを見られた後、どうやって彼と帰ればいいというのだ。

「そうなん?」
「うん」
首をかしげるはるひの横で、あかりはわざとらしく携帯をいじくっていた。


GS2で初SSです。
氷上って、何か一生懸命で可愛いですよね…!
そして一生懸命さゆえにから回ってる所がもうたまらんです(笑)

というか、彼の肉まんは美味しそうですよね。
これから寒い季節になるので、是非食べてみたい(笑)
というか、秋なのに冬の話です。
季節感はいづこ… そして千代美ちゃんをきちんと出せなかったのが残念です。
彼女は大好きなので、是非今度書いてみたいです。

2006.9.8

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