何となく、大学生らしいダラダラとした日々を過ごしたかったのである。
彼には人並み以上の運動神経は備わっていたが、
努力というものを軽視する傾向があった。
汗や努力や根性に没頭するのは、何とも泥臭い。
そんな彼であっても、友達がいない学生生活というのはどうにも味気ない。
何故スポーツ観戦サークルに入ったかと言うと、
適度にチーパッパやってれば、薄く快適な人間関係が築けるからである。
もっとも上級生の男子の中には、
真嶋からどことなく立ち込めている横柄さを快く思わない者もいたが、
真嶋にとっては、そんなものはどうでも良かった。
むしろそんな上級生の態度こそ、
可愛い新一年の女の子の心をあっという間に
さらってしまった彼に対しての、嫉妬であろうと真嶋は思う。
少しの機知を働かせれば、女の子なんかすぐに落とせる。
高校時代の経験を通して、真嶋はそのことをよく知っていた。
そして今日は、はばたき市近隣の大学野球部の春季リーグを観戦に来ている。
試合の対戦表は、真嶋が在籍する二流大学と一流体育大学。
そしてこの試合こそが、優勝を決める大一番であった。
プロスポーツ選手を数多く輩出している一流体育大学が優勝候補なのは
いつものことだったが、二流が優勝候補に食い込むのはかなり珍しい。
お互い、他校との試合では全戦全勝しており、
名実共にこの試合が優勝者を決する。
応援席に座ったサークルの仲間たちは、
二流のイメージカラーであるライトブルーのメガホンを持ち、
かっせー かっせー にーながれー! と一様にエールを送っていた。
真嶋ももちろんメガホンを持ち、応援に興じたふりをしているが、
実は試合のことなんて、半分どうでも良かった。
ただ、暇つぶしで来ただけだ。
どうせ家にいても暇だし、単なる付き合いである。
というか、こんな勝機の薄い試合を応援して、一体何になるのだろう?
相手は超強豪の一流体育。
しかも向こうの投手は、甲士園の優勝投手。
試合の展開は0-2。一発逆転は少し難しい。
そしてすでに、試合は九回の表。
これ、応援するだけ無意味じゃないか?
汗水たらして必死に戦う二流の選手に対して
妙に覚めた感情が、真嶋の中に湧き上がる。
勝ち目の無い戦いなのに。
「まったり観戦、その後は飲み会!」というのが
サークルのスタンスであるのに、
これはどう見ても、まったり観戦ではない。
みんな必死に応援しすぎ。
というか、日差しが暑すぎる。
四月の日差しは予想よりもずっと強烈で、
額にうっすらとかいた汗を、真嶋は不快に思う。
「あつーい。焼けちゃう」
隣にいた同級生の少女が、困ったような顔をする。
この彼女とは学部も同じで、真嶋はよく行動を共にしていた。
涼しげな顔の美少女で、よく機転がきく。
手首の細さと睫毛の長さが印象的だ。
清楚な雰囲気が上級生に気に入られている彼女だが、
告白されるとあまり考えずにお試し的に付き合ってしまう性格であり、
常に本人も誰が本命なのかわからない、という有様だった。
真嶋は彼女のそんな面を知りつつも、
彼女のさくっと付き合える性質が気に入っており、
よく行動を共にしていた。
もしかしたら、今度アルガードに連れて行くかもしれない。
彼女は白い手をパタパタと仰ぎ、風を作ろうとするが
あまり効果がないと苦笑する。
つられて真嶋も笑った。
「太郎くん、日傘ない?」
「あるわけ無いだろ」
真嶋の言葉に、彼女はクスクス笑う。
「二流、負けちゃうのかな」
彼女はそういうと、メガホンを握り締めた。
横から二年の先輩が「まだ終わってない!」と口をはさむ。
うるさいな、と真嶋は思った。
もう負けるに決まってるじゃないか。
野球漫画の読みすぎだ。
もちろん、そんなことは口には出さないが。
スクリーンには、マウンドの様子がアップで映し出されている。
現在の試合状態は、九回の表、ワンアウト、
ワンストライクのツーボール、走者無し。
窮地に追い込まれた二流の選手が
緊張感をたたえた顔でバッターボックスに立っている。
真嶋の座る二流側の応援席からは、
かっせーかっせーにーながれ!!という応援ソングが響いてくる。
真嶋はメガホンを振りながら、無表情でスクリーンを見つめていた。
―応援していたって、負ける時は負ける。
あっ、空振りした。
これでツーストライクだ。
バッターの顔がいよいよ険しくなる。
周りのメガホンを振る音と、かっせーかっせー!の声が大きくなった。
真嶋は何気なく携帯を取り出した。
受信メールは無し、か。
その時、パコーンという快音が響いた。
突然の救音と周囲のどよめきに、真嶋は顔を上げる。
ホームランだった。
二流のバッターが打ったのだ。
白球は大きな弧を描き、正面の客席に入っていく。
「やったーーーー!!!!」
真嶋の周囲が一気にざわめいた。
二流スタンドで演奏している、吹奏楽部のトランペットが響く。
応援席の通路に待機していた応援団員が「二流」の旗を持ち、
「ウェーブ!!!」と叫んだ。
その声に合わせて、二流の応援席に波が沸き起こる。
人間ウェーブ。
真嶋も作り笑顔で人間ウェーブをしながら、
やっと少しは面白くなってきたと思った。
この展開に、隣の彼女も少し興奮している。
「太郎くん、あと一点で同点!」
真嶋は彼女の声にうなづきながら、
ここまでやるならもっと盛り上げてくれよ
と、二流野球部に対して思った。
かたや、優勝が当たり前の強豪チーム。
それに立ち向かう、平凡な寄せ集めチーム。
…寄せ集めというのはちょっと失礼だが、この構図は面白い。
太郎は嬉々としてホームベースに帰還する選手を見ながら、
昼食時に暇つぶしで読んだ学校新聞に書かれていた
とある記事のことを思い出した。
「二流大学野球部の選手にはスーパースターはいないが、
その代わり、練習量だけはどこの学校にもひけを取らない。」
だから何?
勝たなければ何の意味も無い。
ホームランを打たれてしまった一流体の投手は、少し動揺しているようだ。
そんな彼を鼓舞するかのように、一流体側の応援スタンドからは
一流体の応援歌が響く。
しかし、彼はどうも調子を崩したようだ。
次のバッターにも大きなヒットを打たれてしまった。
二流のバッターが一気に三塁に滑り込む。
二流の客席が、再び大きく揺れた。
現在ワンアウト、走者は三塁。
場の空気は、一気に二流に傾いた。
ここで球場の大スクリーンは、
少し余裕を失った表情の、一流体投手を写した。
投手は首を軽く横に振ると、
きっと口を真一文字に結び、帽子のつばに手をかける。
きりっとした表情になった。
隣の彼女が、真嶋に話しかけてくる。
さっきまでチークの色でピンクだった彼女の頬は、赤く紅潮していた。
「あれ、あの人の精神統一方なんだって。帽子のつば」
「…妙に詳しいんだね」
真嶋は面白半分な気持ちを抑えて彼女に言う。
「あー、あの投手、高校の先輩なんだ」
「ふーん、君、好きだったの?」
「え? 別に」
真嶋のからかいに対し、彼女は違うよという風に笑った。
こっちの笑顔の方がずっと彼女らしい。
真嶋の知る彼女は、皮肉屋で愛校心など持ち合わせていない
何事にもさらさらした付き合いをする女の子だ。
―つまり、僕と同種の人間。
こんな真嶋と彼女のやり取りも、マウンドにいる連中の耳には届かない。
次に出てきたバッターは、投手の球に三振を喫する。
うなだれたように帰ってきた彼を、二流の選手たちは激励していた。
現在ツーアウト、走者三塁。
いよいよ最後の選手だ。
偶然にも、四番打者に打順が回ってきている。
そして彼は四年生。たしか部長だったような気がする。
毎日汗水たらして一生懸命練習している…と、校内新聞には書いてあった。
応援スタンドの音がいっそう大きくなり、周りの熱気もぐんぐん上昇する。
「かっせーかっせー にーながれー!」
もう、私語をするものは誰もいない。
真嶋もメガホンをパコパコ叩き、かっせーかっせーと叫ぶ。
空気は読まなきゃ
日差しが暑い。
応援席の誰もが、投手とバッターの勝負に見入っていた。
一球目、ストライク。
二級目もストライク。
少し調子を崩したとはいえ、さすがは一流体のピッチャーだ。
そして三級目。
バッターは大きく空振りをした。
三振、スリーアウト。
2−1で一流体の勝利だ。
一流体の投手がガッツポーズを取る。
試合中ずっと緊張を強いられていた彼が、マウンドで初めて笑顔を見せた瞬間だった。
その瞬間に、一流体ベンチから選手がザザザーっと出てきて、投手に駆け寄ってきた。
二流のバッターは、がくりと肩を落とした。
今この瞬間に、彼は敗者になったのだ。
混沌となっていた球場全体が、くっきりと明暗に分かれた。
一気に士気が下がった二流側の応援席で、真嶋は内心「やれやれ」と思う。
彼は敗者を認めない。
どんな勝負も、勝ち負けがすべてだと思っている。
善戦しようが毎日一生懸命練習しようが、勝たなければ何の意味も無い。
勝ってこそのゲームである。
それは高校時代に学んだことだ。
大昔、あの人は卒業式に笑っていった。
「がんばったね。
でもゲームオーバーだよ。お疲れ様」
ベンチから出てきて、とぼとぼと整列する二流選手団を見て、真嶋は思う。
みじめなものだ。
この球場全体の観客から、一心に同情されているんだから
「ねえ…ところで、この後の飲み、どうす…」
声かけついでに隣の彼女の方を向くと、真嶋は絶句した。
隣の少女は目に涙をため、マウンドを凝視していたのだ。
「え… ちょっと…?」
予想しなかった彼女の反応に、真嶋は困惑の声を出してしまった。
それに対して、彼女は指で涙をすくいながら答える。
「…もう少しだったのに… 毎日がんばって練習してたのに…」
何にも執着しないと思っていた少女の言葉とは思えない。
真嶋は少し呆けていたが、すぐに笑顔でハンカチを取り出し、彼女に渡した。
「はい」
「あ、ありがとう…」
彼女は小さな声を出すと、ハンカチで目元を押さえる。
ハンカチにマラカスの黒い色がついているのを見て、真嶋は言った。
「それ、君にあげるよ」
内心、君もたいした子じゃなかったね、残念だよ と思いながら。
―僕側の人間だと思っていたのに。
そして周りを見渡すと、サークルの女子の半分近くが泣いていた。
男子も、目をこすっている者が数名いる。
周りに気付かれないように、真嶋は失笑する。
普段はそこまで愛校心はないって言っているくせに、
皆で仲良くなるきっかけにスポーツ観戦を利用しているくせに、
ずいぶん都合がいいもんだ。
選手は別に、僕たちを感動させるために試合をしているわけじゃない。
マウンドにて、整列した選手だちがお互い握手を交わしていた。
彼らにむけて、応援席から無数の拍手が降る。
真嶋も空気を読んでパチパチ拍手をおくったが、
それは一流体への拍手だった。
僕は、勝者にしか拍手はおくらない。
敗者の美学なんか認めない。
ましてや「お疲れ様」なんて言うはずもない。
そう思いつつも、真嶋は自分の矛盾に気がついていた。
自分も試合中、二流の選手たちを内心応援していたこと
そして明らかに、自分の考えの方がひねくれていること
でもそれを認めてしまうと、彼の脳裏にまたあの女が帰ってくる。
馬鹿じゃないか、彼女のことなんか、もう忘れたのに
そう思いながら、真嶋は周りを見渡した。
サークルメンバーはまだ立ち上がる気配を見せない。
席に座って目をこすったり、物思いにふけっていたりする。
それを見て、真嶋は感じた。
―ああ、ここも僕の居場所じゃないな。
まあ、そんなの最初から知っていたけれど
僕が勝者であり続ける以上、居場所なんかどこにもないんだ。
真嶋はそう思いながら携帯をいじっていたが、
その携帯の中には、未だにその女性のメモリーが残っている。
消せないんじゃなくて、消すのが面倒くさいだけだ。
自分自身の矛盾に対し、真嶋はずっと目をつぶり続けている。
そして一流体の投手はあの人です。
試合描写や心情がぐだぐだになってしまったのが、最大の反省点…
原案を考えたあと、太郎のサークルが野球観戦をしないと知って
ちょっと泣きたくなりましたが、
あまり気にかけないで下さると幸いです…!(笑)
2008.3.18
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