その中に、私の好きな、ひとがいた。
私はひびやんに、彼のことが好きだと、海辺でこっそり打ち明けた。
そしてひびやんは、笑顔で協力を申し出たのだ。
翌日ひびやんと一緒に帰ってお茶をした時に、
せっかく集めた私の好きな人の情報を、彼は惜し気もなく私に渡してくれた。
その人の好みの映画、遊園地で好きな乗り物、興味を持っている話題。
そんなものがびっしりと、ルーズリーフの片面に意外と綺麗な文字で書いてあった。
私は恐縮し、
「悪いよ、こんなものもらっちゃ。
せっかく集めた情報なのに」
と喫茶店のテーブルでの上で両手をぶんぶん振る。
すると彼は笑って、
「女の人を助けるのは、イイ男の必須条件ッスよ!」
と言って、私にその紙を押し付けてきた。
私は彼の素直さとまっすぐさに驚嘆する。
そして、かなりストレートに自分の困惑を打ち明けた。
「…でも私、これって、ひびやんを利用してることになるんだよ?
ひびやんが集めた情報だよ?
失礼じゃない?」
でも彼は、そんなのちっとも気にしない。
「え? そッスか?
でもせっかくあるのに、使わないのもったいないじゃないッスかー」
「……ありがとう。参考にします」
私はかしこまった態度で、彼にお礼を述べた。
本当に優しい子。
きっと、私の一番の味方。
そんなやりとりがたくさんあって、
一緒に遊びに行く度に、
ひびやんはそのたびに相談にのってくれて、
私を励ましてくれた。
どうしてそんなに、いい子なのかな
わざとではないが、彼の時間を奪ってしまっていることを、
彼を好きだと言う後輩の子に対して申し訳なく思った。
きっと、気にしているだろう。
そして数日後、
春の陽気のまじった空気の中を一人で下校していると、
たんぽぽで彩られた道の横を歩く、小学生の姿を見つけた。
使い古した赤いランドセルが、少しきつそうに肩にかかっている。
そして小学生っぽい、二つにわけて下側で二本に結んだ髪形。
その子が横道から出てきて私の前を歩いた瞬間、
「ああ、この子、見覚えがある」
と確信した。
小学生だから、尽の友達。
この背格好と後姿は多分、ひびやんの妹の歩ちゃんだ。
尽の連れてくる友達は結構不確定だったが、
玉緒君と歩ちゃんはダントツでよく来ていたので、自然と覚えていた。
私はそそそそと、足音を隠して彼女の後ろに忍び寄る。
そして彼女の後髪の分け目がしっかりわかるくらい近くに寄ると、
ポンっと彼女の肩を叩いた。
「あーゆーみーちゃん!!」
彼女は、走り寄る私に気がつかなかったはずなのだが
振り返って私を見ても、びっくりする様子もなかった。
前に垂らした栗色の前髪が、ふわっと揺れる。
彼女の大きな瞳は私の顔を少し見た後、
その視線を私のお腹のあたりへと移した。
透けるような白い肌以外は、
歩ちゃんはひびやんにそっくりな顔をしている。
あえて違いをあげるならば、
ひびやんの目はすぐに感情を表にするが、
歩ちゃんの目は感情を内に押し込めてしまうことだろう。
そういう意味ではひびやんとは正反対の子だし、
尽と彼女が、どうして友達になったのかよくわからない。
よく「人は表情が命」と言われているが、
この子は多分、その点で随分損をしていると思う。
彼女の大きな瞳は沈んだ色をしていて、何を考えているのかよくわからない。
よく化粧品のCMで言われている目力というものは、間違えると逆効果になるので、
人によっては、彼女に圧迫感を感じてしまうかもしれない。
私も初めのほうは、年下にもかかわらず彼女に対して
無口で近寄りがたい子という印象をもっていた。
だが、だんだんうちに来る回数を重ねるに連れて、
どことなく歩ちゃんの表情の中にも感情が入り込んでくるようで、
彼女の気持ちも、少しずつ推測できるようになってきた。
というか、最近尽に
「歩、姉ちゃんのこと、好きみたいだよ。
うちに来るのが楽しいってさ」
と言われたのだ。
しかしこの言葉だけでは、
この家が好きなのか、私のことが好きなのか判別できないと思い、特に反応も出来なかった。
そして感情を内に込めてしまう点に関しては、
多分彼女に悪気はなくて、
本当に凄く人見知りをする子なんだと思う。
同じように引っ込み思案で人見知りでも、
実はちゃっかり者で愛され上手の玉緒くんとはまた違った意味で、
彼女と時々家の中ですれ違ったりした時に、交流をはかるのが楽しみになってきた。
それゆえ、今こうして声をかけたわけなのだが。
最近の歩ちゃんは、作ったものではあっても
私にまず笑顔を見せてくれることが多かった。
しかし、今日は違った。
彼女の瞳には、明らかに怒りの色が見えていた。
一瞬何かと動揺したが、相手は小学生である。
彼女はまだ11歳だ。子どもじゃないか。
「……」
さすがに直接的すぎる敵意はすぐに引っ込めたものの、
歩ちゃんの瞳の色は相変わらず暗い。
どうか、したのだろうか?
しかしいきなり踏み込む訳にはいかず、私はにっこりと笑って彼女に挨拶をする。
「歩ちゃん、こんにちは! 今帰り?」
彼女は無言で頷くだけだ。
完璧に閉じてる。
自分が長女なので、むくれた子どもの扱いには慣れている。
そう思って自分を立て直し、今日はそっとしておいた方がいいのかな…と私は思う。
というか、何故こんなに彼女の扱いに対して考えているのかが謎である。
すると、いきなり歩ちゃんは口を開いた。
予想どおり、口調がかなりとげとげしい。
「お兄ちゃん、役にたってますか」
「…は?」
歩ちゃんの突然の言葉に、私はきょとんとする。
役に立つかと聞かれても、
あんたのお兄ちゃんは道具じゃないだろ、という内心の言葉を声に出すわけにもいかず、
私は笑顔で首をひねった。
「ん? どういうこと?」
歩ちゃんは無言で私を見る。
その視線のあり方が、
下校の時にひびやんを冗談で「小僧」と呼んだ時の様子にそっくりで、
何となく、きょうだいって似てる部分がはしばしに出るんだなーと思った。
歩ちゃんは、無表情を崩さずにこう続ける。
「お兄ちゃんのイイ男データ、どうですか?」
予期せぬ質問に、私は一瞬固まったが、すぐに復興する。
「イイ男? ああ、あれかぁ…」
そう答えつつ、何で歩ちゃんがこんなことを知ってるんだろうかと私はうがった。
まさか、ひびやん、歩ちゃんに言ってんの?
もしかして日比谷家のお茶の間で、私の好きな人のことが話題になっているのかと
最悪の状況を一瞬想像したが、
いや、あの子にはそんなことを人に言いふらしたりはしないと思った。
私は彼を、信じてる。
歩ちゃんはそんな私の思惑をよそに、
無言のまま私に背を向けて、帰ろうとする。
だが妙な質問を振られたままで、このまま帰すわけにはいかないと、
私は彼女の横に無理やり並んだ。
この図は、絵的にかなり無理がある。
「ねえ歩ちゃん」
「…」
「ちょっといいかな」
「はあ」
「お兄ちゃん、何か言ってたの?」
もしかして、私のためにわざわざ集めたデータを出したり、
わざわざアドバイスに乗ったりするのを、
面倒くさいと感じているのではないだろうか?
そうしたら彼に申し訳ないし、今すぐにやめてもらっても構わないのに。
だが、直接言って欲しかった。
私が頭の中で無意味に今後の展開をシュミレーションしていると、
歩ちゃんがこっちに軽蔑のまなざしを向ける。
それを見て、こんな小学生の子どもでも
他人に軽蔑の感情を持つんだと、初めて知った。
そして、彼女はこう言ったのだ。私をしっかりと見据えて。
「言うと思いますか?」
「え?」
「お兄ちゃんが、尽のお姉さんへの愚痴なんか、私に言うと思いますか?」
歩ちゃんの視線があまりにもまっすぐ過ぎて、無意識に私は目をそらした。
そして、悟った。
この子は、お兄ちゃんのことで、私に怒っている。
でも、どうして。
一回感情のかけらを表した歩ちゃんは、もうそれを止めようとはしなかった。
内に感情を込める人間というのは、大体激情家である場合が多い。
ましてや小学生。
感情のコントロールなんか、出来るわけがない。
私だって出来ないのに。
「お姉さんは親友のくせに、お兄ちゃんの上辺しか見ないんですね」
―流石にこれは、腹が立った。
どうして11歳の子に、私達の友情について否定をされなければならないのだろうか。
でも、穏やかに、穏やかに。
「え? 親友だって日比谷君も認めてるけど?」
「お兄ちゃんは、人に負担をかけるのが嫌なんです」
歩ちゃんの理論が飛躍している。
怒りを込めて私を見つめる彼女の後ろ側で、モンシロチョウが飛んでいた。
「負担?」
私はとうとう真実を突きつけられたのかと思い、心の内側に氷のような冷たさを感じる。
やっぱり、迷惑だったのか。
「どういう意味? 私のことが迷惑だって、お兄ちゃん、言ってたの?」
「ただの『迷惑』だけだったら、お兄ちゃんはすぐに忘れます」
歩ちゃんの言葉の、意味がわからない。
「お兄ちゃんはバカです。
この前のテストは余裕で補修だったし、
他人を追いかけてばかりいます。
似合わないコスプレで、商店街を練り歩きます」
彼女はいきなり自分の兄について語りだしたが、
突然こう叫んだ。
その表情は、どう見ても小学6年生のものではなかった。
「でも、お兄ちゃんはあなたのカウンセリングマシーンじゃない!
お兄ちゃんの気持ち、考えたことあるの?」
いきなり降ってきた言葉に対し、私は絶句した。
「…お兄ちゃん、うちの近くのバッティングセンターに夜よく行くんです。
練習ついでに、気分転換になるからって」
歩ちゃんは話を続ける。
彼女の視線が私を捉えたので、長いまつげが何だか怖く見えた。
「お兄ちゃんは元々ああいう人間ですから、
ちょっと前までは、スッキリした顔で帰ってきてました。
でも今は、バッティングセンターから帰ってきても、もやもやした顔をしてるんです。
…お兄ちゃんの性格から考えて、そんなことはありえないんです」
歩ちゃんの顔が、ぐっと歪んだ。
口元が結ばれた後、彼女は一気にこう言った。
「お兄ちゃんがそうなったのは、尽のお姉さんのせい!」
彼女はそれだけ叫ぶと、私の反応も見ずに後ろを向き、
だだだだだーっと駆け出していった。
赤いランドセルが、背中と一緒にカタカタ揺れている。
スニーカーの彼女は、走るのがとても速くて、
私は、元々小柄な歩ちゃんが豆粒のような姿になるのを、呆然と見ているだけだった。
どういうことだろう。
私は、ひびやんを、傷つけていたのか?
内心混乱してしまい、カバンの中から携帯を出す。
メールの差出人を『日比谷 渉』にして、
「最近、何かつらいことがあったの?
良かったら、遠慮なく言っちゃっていいよ」
という文章を打ったが、
彼はきっと、語尾に笑顔の絵文字を入れて、
「え? ジブン、毎日元気ッスよ!」
と返してくるだろう。出す前からもう、予想はついている。
そう思ってこの行為の無駄を感じ、
打ちかけのメールを消した。
そして黄色やピンクに彩られた道を帰る間、
ひびやんのことばっかり考えていた。
どうしてなのか、好きな人のことは一度も思い出さなかった。
END
親友モード時のひびやんは、
主人公の前では一生懸命気持ちを隠そうと努力していましたが、
家ではきっと、悩んでいるのが無意識に出てしまってて、
それに歩ちゃんも気づいていたりしたらいいなー…
と思い、考えた話です。
2007.5.16
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