…ようやく終わった。
社会的責任は果たせた。
コートを羽織ってバッグを持ち、花椿先生に
「お疲れ様でした」
と会釈をすると、先生は
「ハッピー・バレンタイン」と言って私に小粒の高級チョコレートをくれた。
今日のお礼で、バイトの皆に配っているという。
もらっちゃってもいいんですか、と聞くと、
下らないこと言うんじゃないわよ!と一喝された。
そして小声で、「小僧にもよろしくね」と言われたので、
「伝えておきます」と言っておいた。何を伝えるのかは謎だが。
新はばたき駅から電車に乗り、はばたき駅で降りる。
電車から、真っ黒な外の風景を見ていたら、
窓ガラスにゾンビが映っていたので驚いた。
そしてはばたき駅のトイレで思いっきり化粧直しをして、
駅前広場に出る。
寒い。
周囲では、大量のカップルがいちゃついていた。
数メートル離れた、スロープ中央の石の丸椅子にも何組か座っているが、
一人、単体(というのも変な言い方か)で座っている男の人がいた。
彼女でも待っているのだろう、居心地が悪そうだ。
風景に特に気を惹かれるものもなかったので、
コートのポケットから携帯を取り出し、
渉に今から行くというメールを送ろうとする。
すると、前方からいきなり
「菜央子さん!」と声がかかった。
声の主に、物凄く心当たりがあったので、
携帯を閉じて前を向くと、目の前で渉が笑っている。
予期せぬ登場の仕方に、私は素でおわっと思い、声が出なかった。
彼はいつもの調子で明るく
「バイト、お疲れ様です!」と言い、
私の無駄に大きいバッグを何も言わずに持ってくれる。
「え、待ってたの?」
「夜道は危険だし、あの、ジブン、待ちきれなくて…」
相変わらず正直者だ。めっちゃ楽しみにしてたんだ!
聞けば、私が今日何時にバイトからあがるかを前もって聞いていたので、
10分くらい前からここで待っていたらしい。
「で、あの石でできた、丸い所で座ってました」
とういう事は、さっきの一人ぼっちの男性は、実は渉だったのか。
遠目から見て気が付かなかった事よりも、
彼を「男の子」ではなくて「男性」と認識した事実の方が、
私にとってはびっくりだった。
もしかして、また、背がのびた?
制服のサイズが小さくなったが、もうすぐ卒業なので短いのを必死で着てる。
という渉の話が、ふと脳を横切った。
あーあ、抜かれる抜かれる。というかとっくに抜かれてる。
「成長が晩成型なのはずるい」という身勝手な思いを抱いている私の横で、
相変わらず渉はニコニコしてる。
「で、家で母が菜央子さんの分のご飯作ってるんで、良かったら食べてください」
「…いつもすみません、ありがとうございます」
恐縮して、お礼を言った。
私と渉は既に家族公認で、お互いの家族にも会ったことがある。
渉のお母さんは小柄で賑やかな人で、
お父さんが意外にも筋肉質のがっちり型。
食事中、お母さんが話しかけても、
お父さんは何も言わずに頷いていただけなのを覚えている。
渉曰く、「無口」らしい。
そして妹の歩ちゃん。
尽の友達なので、付き合う前から面識は少し会ったが、
いざ付き合ってから接してみると、
「弟の友達」と「彼氏の妹」では、また違った感じがする。
歩ちゃんは目鼻立ちが渉にそっくりで、
渉が女の子だったらこんな顔だったんだろうなと連想させる。
私も尽に顔が似ているとよく言われるので、
どっちも、顔が似てる異性の兄弟がいるなんて面白いねという会話もした事がある。
歩ちゃんはきっちりした優等生で、性格は渉と全然違う。
「かわいげがない」と渉は言うが、どうせ実はかわいいに決まっているのだ。
私だって、口には出さないが弟はかわいい。
15分ほど歩くと、見慣れたマンションが見えてきた。
渉の家はこのマンションの七階にある。
高所恐怖症のくせに、よくこんな高い所に住んでいるねと疑問に思う。
いや、もしかして気が付いてないのか?
だったら言わない方が良いから、だまっておこう。
そして私は渉の家にお邪魔し、ご両親と歩ちゃんに挨拶をした。
お母さんが「菜央子ちゃん、具合悪そうだけど大丈夫?」と心配してくれたので、
「ちょっと寝不足で…」と言いながら申し訳ない気持ちになった。
ご飯をご馳走になって、しばらくぼんやりしていると、
(何かお手伝いしましょうか?というと、お母さんに休んでなさいと言われた)
隣に座ってる渉が私の方を見て、耳元でこう言った。
「あの、ちょっと、部屋…き、来てもらってもいいッスか?」
彼は心なしか赤い顔になってて、期待しているのは明白である。
当たり前か。私もそのつもりで来た。
向かいの歩ちゃんは、
目の前で兄とその彼女が、イチャイチャムードを必死で隠そうとしつつ言葉をやりとりしているのを、
冷静に見つめている。
いや、目が少し笑っているのは気のせいか。放っておいてくれると大変嬉しい。
「は、はい、いいっすよ」
バイトの疲れと、照れ、人に見られているという気恥ずかしさからか、
返事が無意識に渉っぽくなってしまったが、
私がそう言った途端に、渉は私の手をテーブルの下でぎゅっと握って、
空いた方の手で彼の部屋のドアを指差した。
―じゃあ行こう
という意味だ。
私はごくごく平然と席を立ち、自分の分の食器を手に持って、お母さんのいる台所に運ぶ。
渉も一緒に彼の食器を持って、それをシンクに置くと、
ごくさりげなく私の手を掴んで、自分の部屋へ私を連れて行った。
どうしよう、チョコを渡すだけなのにものすごく緊張する。
裁きを受けているような気分だ。
部屋の電気のスイッチを入れると、視界に大量のペナントが入ってきたので、
心の中で、「ようペナント、久しぶり!」と挨拶をしてしまった。
こんなふざけた挨拶が聞こえているはずは無いが、
それに呼応するかのように、渉がこっちを見つめてくる。
相変わらず、うらやましい位にぱっちりした目だが、
顔立ちが少し大人っぽくなっているかもしれない。
「…菜央子さん、もしかして完徹したんスか? 目が真っ赤ッス」
こっちが何も言ってないのに、彼はわかっていた。
おそらくは、食事中から気づいていたんだろう。
いきなりの切り込みに、私は言い訳をひねり出すことができない。
これは下手をすると、バレンタインチョコを失敗した話題に繋がってしまう。
それだけは避けたいので、
「う、うん。学校の課題」
学校はすでに冬休みなのだと彼も知っているのに、
バレバレな嘘をついてしまった。
彼は何か言いたげな顔になったが、何も言わない。
そしてすぐに笑顔を全開にして、照れくさそうに笑う。
「で、先輩、今日は何の…」
「ほらよ!」
ムードをぶち壊すかのように、
私は彼にチョコを押し付けた。
変な間はいらない。照れくさいし恥ずかしい。
彼は「うわっ、凄い高そうなチョコですね」といい、
「ちょっと開けてもいいッスか?」と聞く。
私が頷くと、彼は箱のリボンをほどいて、丁寧に包装紙を解いた。
フタを開けると、細かい細工がほどこされた小粒なチョコレートが、宝石みたいに並んでる。
「…自分、これ、もらっちゃって良いんスか!?
何か説明書、読めないんスけど…何語ですか?」
「いや、あげるために買ったし」
「よっしゃ! ありがとうございます!! 嬉しいッス!!」
渉は嬉しそうにポーズを取る。
その様子を見て、私の緊張は少し収まった。
よかった、買ったチョコでも喜んでくれた
この時やっと、私は床に座ることができた。
急に気が抜けたような私の様子を見た渉は、
いきなりニヤリとした笑顔を浮かべた。
「ところでジブン、今日、尽くんからもチョコもらったんス」
「はあっ!?」
いきなりの言葉に私は驚いた。
だって尽は男ですよ。っていうか、私のライバルは弟なのか。
「見ますか?」
「見せてよ」
好奇心も手伝って、彼に返事をすると
渉は学校カバンの横に置いてあった紙袋から、小さな箱を取り出した。
箱はラッピング用の紙製のもので、おそらく0.1リッチショップで購入したものであろう。
そして私の目の前に座る。
「学校帰りに、もらったんスけど…」
渉がフタを開ける。
中身を見て、私は絶句した。
箱の中には、私が今朝未明に作った失敗チョコレートが入っていたのだ。
「……」
それを見て、私は弟に対して強い怒りを感じた。
なにこれ、ありえない。
渡せない失敗作を、わざわざ隠れて渡しに行くなんて、嫌がらせにも程がある。
私の険しい顔を見て、渉はこう言った。
「菜央子さん、チョコ、作っててくれたんスね」
「それは失敗作です。私が持って帰ります。見なかったことにしてください」
見たものを見なかったことになんか、できるはずもないが、私は内心必死だった。
冷静さを装いつつも、動揺で声が震えている。
「返して」
「イヤです」
「返してよ!」
予想外の拒否に対し、私は言葉を荒げた。みっともないことこの上ない。
すると渉は、ポツリとこう言ったのだ。
「尽くん、言ってました。
姉ちゃんは素直じゃなくて面倒くさい奴だけど、
お前のこと、本当はすごく好きなんだぞって。
今日だって、わざわざチョコを二つ用意したのに、
ドジだから両方失敗したんだ。
だから今日、多分買ったチョコをお前に渡すだろうけど、気を落とすなよって」
「…」
いきなりの渉の真相告白に、私は何も言えなくなった。
言葉が見つからない。
隠すつもりだったことは、とっくにばれてしまっていたのだ。
渉はフタをしまうと、ヒザで少し立ち上がって、ぎゅっと私を胸に抱き寄せた。
優しいけれど、抵抗できない位に力が強かったので、一瞬窒息しそうになる。
「菜央子さん、オレのために、そんなに一生懸命頑張ってくれてたんですね。
今日完徹したのだって、チョコ作ってたせいですよね?
…そんなに頑張んなくていいッス。
オレ、馬鹿だから、菜央子さんが頑張ってるのに気づけなくて… すみません」
耳の少し上の方から聞こえる彼の言葉は、余りにも素直でまっすぐだ。
こんなことを言われたら、もう私だって感情を抑えるのは無理だった。
「ちがう」
私は彼に顔を見られないように、下を向いた。見ないで欲しかった。
「私はすごく自分勝手だから。
渉に失敗チョコを渡さなかったのだって、
失敗したのがばれるのが恥ずかしかったからだよ。
そんな風に言ってもらえる価値ない。
だって私、わがままでしょ。
ありえないでしょ、こんな女。
どこが好きなの。全然わかんない」
最後の方はかなり感情的になっていて、自分でも何に対して話しているのかわからなかい。
意味がわからないついでに、彼の表情を見たくなったので、上のほうを見る。
渉と目があって、急に泣きそうになった。
何でこのポイントで泣くのか、本当に意味がわからない。
先輩の威厳として涙をこらえようとしたが、多少出てしまった。
すると渉は「泣かないで」と言い、私をもっと近くへと抱き寄せた。
「泣いてない」
「どう見ても泣いてます」
「…泣いてないもん」
彼は私の言葉は無視して、こうつぶやいた。
「えーと、その、オレ、
菜央子さんの性格が悪いとかどうとか、
そういうこと、余り気にしないんス。
っていうか、誰でも欠点ってあるような気がするから、
別に全然大丈夫ッスよ。
っていうかジブン、
一度好きになったら、ちょっとやそっとじゃ嫌いにならないから安心してください!」
「………」
私に、一体何を言えというんだろう。
こいつは本当に馬鹿なんじゃないだろうかと思った。
そして、悩んだ挙句にこう言った。
「お願い」
「はい? どうかしましたか?」
「私の顔見て」
「…はい」
目が合う。
私は渉の顔を両手で触って、
そのまま唇にキスした。
心の中で、「大好き」と思いながら。
「今日はありがとうごいました!
めっちゃ嬉しかったッス」
「良かったね」
「菜央子さん、やっぱり凄く可愛いですよね。
ますます好きになりました」
「もういいから」
結局私が余りにもゾンビ状態だったので、
あの後、渉はすぐに私を家まで送ってくれた。
本当は、すごく嬉しいんだけど、
スキップしておうちに帰りたいくらい嬉しいけど、
絶対に表に出すものか。こうなったら半分意地だ。
そして、やっと私の家まで着いた。
玄関の前で、私たちは向き合う。
「…送ってくれて、ありがとう」
「いえいえ、どっちのチョコも、大事に食べます!」
という彼に対し、
「お腹壊したらすみません…」
何故か真面目に謝ってしまった。
「じゃ、オレはこれで…」
と言いかけた瞬間、彼は「あ、そうだ!」と言って、
私の方を向きなおした。
私は何を言われるのか、気が気じゃない。
「先輩」
「何?」
「…これも尽くんから聞いたんスけど、
オレの弁当も、いつも二人分作ってくれてたんスね。
で、オレの方には綺麗にできたやつを入れて、
失敗したやつは自分で食べてたって本当ッスか…?」
その言葉に、私は耳まで真っ赤になった。
今まで料理の上手い彼女でいるために、ずっと内緒にしてたのに。
尽に対して腹立たしさが募ったが、その怒りは、渉の次の言葉でかき消された。
「だから、そういう女だってわかった上で、
嫁に貰わないときついぞって言われました。
でもオレ、付き合った日から、もうそのつもりですから。
別に、菜央子さんが料理があんまり上手くなくてもいいッス。
だから、あんまり頑張らないで下さいね?」
いきなりの飛躍っぷりに、私は唖然となる。
え? いきなり何?
「ねえ渉、ちょっと待って」
「え?なんスか?
もしかして、菜央子さんがジブンを婿に欲しいとかですかっ!?
う、うーん…それはちょっと、家族と話し合ってからじゃないと…」
「人の話聞けよ!!」
真っ赤になりながら、今日何度目かの怒声を上げる私の上では
弟が窓の向こうから、ニヤリと笑いながらこちらを見ていた。
END
つい無駄な描写をしたくなってしまい、
色々とまとまりがなくて、申し訳ないです…
あと、尽を初めてたくさん書きましたが、
凄く楽しかったです。
尽の可愛さを改めて実感しました。
2007.2.14
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