アイス(後編)
前編


「…私さぁ」
「ん?」
「家、出たかったんだよね。何というか、お兄ちゃんと比べられるのが嫌で」
「え?」


意外な言葉に、尽はびっくりした。
歩は優等生だが、渉は率直に言って体育以外は赤点の常習犯である。
比べられて嫌なのは、むしろ渉のほうじゃないのか。

「私は可愛げがないの。親戚の子どもたちとお正月に会うのも、面倒くさいと思ってるくらい。
だから従兄弟の子も私と遊んでも、あゆみおねえちゃんはたのしくないって言われる。
でもお兄ちゃんは、ほら、人間大好きでしょ。
呼ばれれば必ず行くし、大人受けも子ども受けもいいの。
いつも元気で明るい子。小さい子には人間ブランコとかしたりして、せっせと遊んでやったり」

自嘲的な笑みを浮べた歩を見て、尽は何も言えなくなってしまった。

「お兄ちゃんは単純だけど、いつも誰かに囲まれてる。
愛されキャラっていうのかな。からかって面白い系?
だから私、あの人がよくわからなかった。
あの人の感情って、かなりわかりやすいんだよね。
それがかえって、わからない。
しかもあの大雑把さ。ありえない」

「随分言うな…まあ、あたってるけど」
尽の言葉に対して、そりゃ妹だからね、と歩は笑う。

「大雑把で前向きな人って、ある意味無神経だよね」
歩の話の展開の早さに、尽は少しとまどった。
「どういう意味だ?」

「私が高校受験の時とか、お兄ちゃん、普通に明日はデートだーとか浮かれながら、
私に向かって歩もがんばれよとか言ってんの。
で、後ろで雑誌めくってデートコース探してたり。
いらいらするよ、そういうの」
「…まあ、悪気はないよな。日比谷だもんな」
尽は苦笑して、何故か歩の兄のフォローに回っていた。

「私は考えないと動けない人間だから、
あの人の行動力と無計画さと、無駄な度胸がとても信じられない。
あれくらいおめでたい性格だと、人生楽しいんだろうね。
っていうか性格違いすぎだし。
本当に同じ親から生まれたのかって、疑問に思ったこともある」
歩の言葉に対して、顔を見れば兄妹だって一目瞭然だろと尽は内心思った。

だが、普段はわずらわしがって、
滅多に兄のことを詳しく語ろうとしない歩がこれほど多弁になるのは、
やはり何か理由があるのであろう。

数年前、高校からの帰り道、歩のいない場で玉緒が尽にこう指摘した。
「尽くんも歩ちゃんも、重度の兄姉コンプレックスだよね」
ここでいう「コンプレックス」とは劣等感ではなく、
シスコン、ブラコンの類である。
その時は、尽は玉緒に「ばーか」と言ってチョップを返すだけだったが、
彼自身は、既に自分がシスコンだと認めていた。
そしてそこが、歩と自分との決定的な違いだと思っている。

歩は断じて、自分がお兄ちゃん大好きだと認めようとはしないのだ。
兄のことをバカだ間抜けだアホだとののしりはするが、
堰を切ったようにこれだけ悪口が出てくるのは、
本当は大好きな証拠なのであろう。
嫌いなら、言葉にも触れないはずである。


そして兄が結婚することに、やはりショックを受けているんだと思う。


段々太陽が海に近づき、影が長くなってくる。
帰り支度を始める海水浴客達もいるが、二人はその場を動こうとはしない。


「ところで、日焼けは良いのか?」
尽が聞くと、
「厳重に塗りました」
と歩が返した。
彼女は空になったペットボトルをいじりながら、ぼそぼそと話を続ける。

「あのねー また思い出話になっちゃうんだけど
お兄ちゃんが高校に入った日、家に帰るなり私に
『葉月先輩と仲が良い人をマークした! これで一歩前進した!!』
って浮かれた調子で話したの。
その様子を見て、あー もうこいつは本当にアホだと思った。

でもさ、その時のお兄ちゃん、今の私達よりも年下だったんだよね。
で、お兄ちゃんと尽のお姉さんが付き合い始めた時も、今の私達よりも年下。
自分がぼーっとしてたら、いつのまにか老けていた」
「老けたって、誰がだよ?」
「みんな」
尽の問いに、歩は言葉短かに答えた。

彼女は水面に近くなった夕日に対し、
ばかでかい太陽だねと言いながら、目の上を手で隠す。
きっと、帽子を被らなかったことを後悔しているのであろう。

「…私、さっき、お兄ちゃんと比べられたくないから家を出たって言ったじゃん」
「おう」
「…でも本当は、自分の回りが変わるのが、嫌だったのかもしれない…
だから家から離れて、思い出の中に保存しようとしたのかも」

女の子の話というものは、時として急に話題が転換する。
こういう場面に出くわす度に、男と女って、やっぱり違う生き物だよなぁと尽は思うのだ。
突っ込んで聞いてもいいのかどうかを悩む尽の横で、歩はぽつりと言葉を出す。

「私、多分、大人になりたくなかったんだろうなぁ…
だから、周りの人が大人になっていくのが嫌だったの。
自分自身だって、この前まではランドセルしょってたのに。
実際、大人になるのって、すごく嫌だった。
いろんなものに、染まっていく感じがして」
彼女はそう言った後、意味不明でごめんねと尽に言った。


きっと男と女では「大人になる」という感覚が違うと思ったが、
それでも彼女の言いたいことは、自分に伝わっているはずだと尽は思う。
汚れただの純粋じゃなくなっただのは言い過ぎだし、
別にそんな風には思ってないが、自分が子どもに戻れないのだけは確かだった。
「ま、俺もその気持ちはちょっとはわかるけどな。
つきあったり別れたり、修羅場になったり殴られたり」
彼はわざとユーモラスに「やれやれ」というポーズをとって、
歩の気分を盛り上げさせようとしたのだが、
その瞬間、彼女がうつむいて
体育座りをした膝に顔をつけるのを見てしまった。


海水浴を終えた客達は、皆心地よい疲労を浮べて帰ってゆく。
こんな外れの場所で、地味に座っている二人組みなどを見ている人は誰もいないだろう。


尽は女の子を慰める小手先の技術は沢山知ってはいるが、
そんなものは歩には使いたくなかった。
「おい、歩」
「…なに」
歩の声は、明らかに震えている。
「いいか、ここには誰もいない。海水浴客は、俺たちのことなんか見てない。」
「……」
「泣きたいなら泣いちゃえよ。玉緒にも黙っとくから」

その言葉を聞くなり、歩は顔を上げ
両手で自分の顔を覆って、声を上げて泣いた。
尽は歩の方は見ずに、まっすぐ海と夕日だけを見ていた。

彼女は一体、何に対して泣いているのだろう。
兄が自分の前からいなくなってしまう寂しさか、
それとも、自分の子ども時代が
どんどん過去の思い出になっていってしまうのが嫌だったのか。
きっと、彼女自身にもはっきりとはわからないのだろう。
気持ちなんて、ぐちゃぐちゃでもいいよな、と尽は思った。


その時ふと、尽の脳裏にある思い出が蘇る。
まだ小学生だった時、クラスで一時期いじめがおきた。
いじめられたのはおとなしい女の子で、
女子の間ではいじめがかなり広がっていたらしいが、男子の前ではそれは隠されていた。
実際、尽や玉緒も何となく変だな、とは思ったものの、
はっきりといじめだとは気づかなかったのである。
しかしある日の掃除の時間、クラスの中心的な女子数名が、
いじめられている女の子に雑巾を投げつけ、からかいの言葉を発したのだ。
あまりのことに見かねた尽と玉緒はその行為を止めようとしたが、
その前に、歩がいじめっ子の前に立ちはだかったのだ。

彼女は「集団で一人をいじめるのは卑怯者のやることだ」と言い、いじめっ子達をにらみつけた。
そして逆上したいじめっ子たちは勢いで歩を突き飛ばし、彼女は机に頭をぶつけてしまったのだ。
歩は気丈に立ち上がったが、本当に痛かったのだろう。大泣きした。
その後歩は母親に迎えに来てもらい、念のため病院に行ったが、特に大事には至らずにすんだ。
そしてその後、クラスからいじめは消えた。


尽が歩の泣き声を聞くのは、あれ以来だった。
武器として、すぐに涙を見せる女の子が多いのに、
どうして彼女はこんなに不器用なんだろう。

尽は歩に対しては恋愛感情は持っていなかったが、
いつまでも側にいてやってもいいと思った。



そして数分がたち、太陽も半分以上が海の中へと消えた。
歩の涙も止まったが、二人は何も言わずに座っている。
浜辺の海水浴客たちも、大分減った。

すると遂に、彼女が沈黙を破る。
「…もう、帰ろうか」
「そうだな」
尽も頷いた。
「家族四人でとる食事ももう少ないだろうから、大切にしないと」
歩の言葉に、それは俺んちもだよと尽は笑う。

二人は伸びをして、立ち上がる準備をした。

その時、二人の頬に冷たいものが思いっきり当たった。
尽は左の頬に、歩は右の頬に。
不意に押し付けられた氷のような感触にびっくりする。


「何!?」
二人が驚いて振り返ると、そこには夕日にそまった幼馴染みー紺野玉緒が立っていた。
彼の両手には、ビニールにはいったアイスキャンディが握られている。
「びっくりした?」
玉緒はにっこりと笑うと、二人にはい、とアイスを手渡した。

唐突な展開に二人はしばらく呆然としていたが、やがて一気に言葉が口をついて出る。
「おい、声くらいかけろよな! 心臓止まったらどうすんだよっ!」
「悪趣味! 何考えてんの!」

何か随分な言われようだなぁ、特に歩ちゃんとは久しぶりなのに、と
玉緒は肩をすくめるが、
おそらく余り気にしてはいないのだろう。
いつも通りの、温和な笑顔を浮べている。

「ごめんごめん、いきなり顔はきつかったね。せめて背中にすれば良かった」
「いや、そういう問題じゃねえから」
男子二人のやりとりを見ていた歩は、
「ところでこれ、どこで買ったの?」
と首をかしげた。


「この近くを自転車で走ってたら、屋台を引いたアイスキャンディ屋のおじさんがいたんだ。
で、買ったらわざわざ袋にいれてくれてさ」
玉緒の答えに、尽も疑問をぶつけた。
「でも、これ一人で食う量じゃないよな?
何で、俺らがここにいるってわかったんだ?」

「ちょっと買い物でこの辺に出かけてたら、この先の道で、
二人のお兄さんとお姉さんにあったんだよ。大きなスーパーの袋を抱えてて。
で、ここに二人がいるから、良かったら行ってやってって言われてね」
「えっ!?」
玉緒の発言に、尽と歩は絶句した。


見られてたのか。


思わず顔が赤くなるが、声をかけられなかったことに感謝する。
歩なんか、きっと兄の姿をみたら、この服のまま海に泳ぎだしてしまうだろう。

「っていうか、出会いの多い日だなー ちょっと偶然が過ぎないか?」
尽が妙に感心するように言うと、
「これも縁だね」
と、綺麗に玉緒はまとめてしまった。
彼の行為と発言は、何事もそつがない。

「あ、歩ちゃん」
「何?」
玉緒は歩の方を向き、落ち着きのある表情で言った。
「お兄さんの変装、かえって不審だからやめた方がいいよ。
サングラスと帽子しないで、普通にしているほうが目立たないと思う」
「…言っておくよ」
歩は失笑する。

そして玉緒は
「アイスがとけちゃうから、はやく食べたほうが良いんじゃないかな」
と、二人にアイスを勧める。

「玉緒の分は? 無いの?」
歩が聞くと、実は僕の分も、と言って、
彼は持っていたバッグの中から袋に入ったアイスを取り出した。
やっぱり彼は、準備周到である。


そして三人は駐輪場に行き、そこでアイスをかじる。
夕日がもうまもなく沈みそうで、最後の赤が三人を照らしていた。
オレンジの海が際限なく広がっている。


「おいしい」
泣いてすっきりしたのだろう、歩が満足げにアイスをなめると、
「来年も、またここでこうしてアイスを食べれるといいね」
と玉緒は笑った。

その言葉を聞いたとき、尽と歩は、この行為が玉緒なりの優しさだったことを知ったのだ。
玉緒は話の内容は聞いていないだろうが、何を話していたのかは、だいだいわかっているのだろう。

歩は少しうつむいていたが、すぐに笑って大きく頷いた。
「そうだね」
そして尽も、
「大丈夫だろ。おれらの仲だし!」
と言って、アイスにかぶりつく。
急にたくさんかじったため、口の中がキーンとした。


「…ところで、私達って大人なの? それともまだ子ども?」
という歩の問いに、二人は
「どっちでもいいんじゃない?」と笑って答えた。
とりあえず、今はとけそうなアイスを味わうのに精一杯だった。

END 


尽・玉緒・歩のコンビ、実は凄く好きです。

そしてすみません、歩ちゃんが著しく偽造です…
そして季節外れ!
この三人の友情を、もっと書きたいなと思います。
というか、歩ちゃんが主人公の話とかを書いてみたいです。

2007.03.06

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