0904/star(前編)



(※注意 前作、2007どくろクマとの関係において。
以下隠し文ですが、ご覧にならなくても、本編を読むのに支障はありません)
前作では、最後にひびやんの敬語を解除しましたが、
個人的に「〜ッス」の無いひびやんはひびやんらしくない…と思ってしまったので、
再び敬語に戻ってます。
無計画で、本当に申し訳ありませんm(−−;)m



2007年9月3日。
大学の夏休みであることを利用して、
小坂菜央子と日比谷渉は、近場の高原に、一泊旅行に行く事にした。


「のどかだねー」
「本当ッスね」

各駅停車の向かいの席に座り、
駅弁を食べながら、窓の向こうの風景を見る。

つい一週間前まで残っていた猛暑も、九月に入ってめっきりとおさまった。
日比谷は半袖だが、
菜央子は「寒い」という理由で、薄手のカーディガンを着ている。



彼らが付き合い始めたのは、
菜央子の卒業式の、日比谷のあの告白からである。

それから約二年半が経ち、
ある意味、お互いがお互いの日常の一部になってしまっている。

いても意識はしないが、いないと困る。


そして菜央子は、
今年日比谷が20歳になることをもちろん知ってはいたが、
だからってそんなに遠くに旅行に行く必要もないし、
日常を送っているはばたき市で、
ひっそりまったりと、でも二人で誕生日を過ごせればそれでいい。
そう思っていた。

だが、当の本人が、
旅行に行くことを強く要求したのである。
彼にはとにかく、譲れない何かがあるようだ。
そしてひたすら、「星が綺麗なところ」というキーワードを頻出させる。
菜央子が「何で星にそんなにこだわるの?」と聞いても、
その理由は教えてくれなかった。

そしてとうとう彼は、
「とにかくどこか行きましょう! 旅費はオレが全部負担するんで」
とまで言い出したのである。

いくら何でも、旅費を全部おごられる理由はないので(逆ならまだしも)
「じゃあ普通に旅行に行こうよ」
と菜央子は快諾した。
日比谷の部活の関係もあるので、あまり長期では行けない。
せいぜい、二泊三日くらいが良い所だろう。

星が綺麗に見えて、そこそこ安くて、雰囲気のいい旅行先。

そして二人は、条件に合う場所を見つけるために、
インターネットで検索をしたり、
近所の本屋で旅行雑誌を見たりして、
その結果、無事目的地も決まった。

はばたき市から電車で数時間の、
小さな高原地帯である。

出かける直前に、尽に
「何かお土産欲しいもんある?」
と聞いた所、
「どうせ変なペナントか、変な顔Tシャツだろうからいらない」と、
あっさり断わられた。

よくわかっている。




電車の旅というのは、基本的に暇なものであるが、
二人でぼんやり外を眺めていたり、時々ぽろっと会話をしたりして、
いつものように時間をやり過ごす。


そうこうしているうちに電車が目的地に着いた。

天気がいい。
はばたき市を出た頃には曇っていた空も、
こっちで見上げたときは、
見事な水色になっていた。


そして少しひなびた観光地特有の、
妙に色とりどりののぼりを掲げた、駅回りの土産店。


二人はまず何故かみやげ物屋に直行し、
ご当地どくろクマちゃんを物色する。

日比谷の趣味に付き合っているうちに、
菜央子もどくろクマについての知識は玄人なみになってしまった。

大学で友人がストラップを付けていると、
いちいち「みせてー」と言うので、
友人間の間では、すっかり「クマ好きな人」で通っている。


帰りに土産として買うクマを仮決定し、
二人は歩いて旅館に向かった。

もう夕方だからだろうか、地元の高校生たちがたくさん歩いてくる。
大きなバッグを抱えた二人の姿は、一見して観光客だとわかるようで、
時折ちらっとこっちを見てくる高校生もいた。

「今の人、かっこよくない?」
と背後から聞こえる女子高生の声を、だまって菜央子は受け止める。
こんな反応も、もう、結構慣れた。

菜央子は思う。
確かにこの人は、昔よりも背もかなり伸びたし、目はぱっちりだし、
髪の毛はさらさらだけど、
時々、すごい馬鹿だよ?
イイ男になるっていうのが口癖で、プライドが高くて、
そのせいでよく落ち込むのを、なぐさめなきゃいけないんだよ?

―通行人の何気ない言葉に、いちいちささいな自負心を覗かせる彼女も、
ある意味かなり大人気ない。




そして、濃い影を落とすアスファルトの道を歩いていく。
あたりの木々に止まったセミが、ミンミンと鳴いていた。


小さな旅館につくと、二人は「日比谷」の名でチェックインする。
この旅館は、日比谷が選んだ。
小さな民宿だが、日本庭園がついていて、結構良い感じだ。


旅館の従業員が「日比谷様ですね。二名様…と」
と言ってノートに記入をすると、
「な、なんか夫婦っぽいッスね…」
と、日比谷が小声でささやいた。

その瞬間、従業員の人の顔が軽く笑いに歪んだ。
多分、バカップルだと思われたんだろう。
菜央子にとっては、何となく屈辱的だ。




そしてぺたぺたと音がするビニールのスリッパを履くと、二人は廊下を渡って
泊まる予定の部屋に向かった。

「海老の間」

何故か魚介類名である。



ガラッと部屋のふすまを開けると、
小さな和室に大きな窓、お膳の上にはお茶とお菓子。
それを見て、ようやく一息つけることに疲れがどっと出たのか、
菜央子の気が一気に緩む。


「あ〜… 何か眠くなってきた…」
彼女は荷物を部屋の隅に置くと、
少しぼんやりした様子で、畳の上に座る。


それを聞き、日比谷は
「あ、寝るんスか?」
と問いかけた。

「眠い。ごめん、少し寝る」
菜央子はそう言うと、奥の寝室に行き、
押入れからささっと敷き布団を取り出して、
ころんと横になる。

その様子を見た日比谷は、
「じゃあオレもちょっと寝ます。隣、いいッスか?」
と言って菜央子の隣に行こうとしたが、


「暑苦しいから、別の布団に寝て」
という、素直すぎる菜央子の言葉を受け
ややしょんぼりして押入れから布団を取り出した。


「切ないんですけど…」
「だってあついでしょ、まだほとんど夏なのに。犬とかさ、近くで寝られたら、めっちゃ熱いじゃん」
「オレ、犬じゃないッス…」
「別にいいじゃん」
菜央子は、眠さのために妙に機嫌が悪くなっていた。


二人は目を閉じると、そのまま眠りの世界に行ってしまった。

着いた瞬間に昼寝である。
なんとも気の抜けたカップルだ。



そして数分後、菜央子は目を覚ます。
壁にかかった年代物の時計を見ると、さっきから約30分ほど経過していた。
外を見ると、既に夕焼けの色である。

気分も大部すっきりした。
彼女の昼寝は終了だ。

そして隣では、すーすーという寝息が聞こえている。
日比谷は寝つきが良く、
一回寝たら、多分二時間は起きない。


菜央子は隣の布団で寝ている彼氏の近くに寄ると、
その顔を、じっと覗き込んだ。

寝てる。


付き合っているとはいえ、人の顔をずっと見つめるのは、
なんだか気恥ずかしいものである。

特に菜央子は、身びいきでは無く、
年を重ねるにつれて、大人の顔へと変貌してゆく自身の彼氏に対し、
未だに、妙な照れから脱却できない時があるのだ。
見詰め合うと、正直緊張する。


かっこいい、んだろうと思う。
端整な顔、とも言えなくもない、ような気もする。



でも、初めて会ったときは、
言い方は失礼だが、何この子? と思った。

中学生気分の抜けていない、わけのわからない小僧が絡んできたと感じ、
あんまり葉月くんに迷惑かけるなよ、程度の感想しか抱かなかった。

でも、何だかんだいっても、彼女は彼の成長を、ずっと見てきていたのだ。
帰り道で部活でデートで。
途切れ途切れではあるが、菜央子は日比谷のことを、ずっと見ていた。


特に、付き合ってからのこの二年半は。
そして彼女の立ち位置は、下校中の1mくらいの距離から、
一緒に出かける時の、30cmくらいの距離へと縮まった。


そして彼は、彼女を置いて大きくなった。
背はあっという間に彼女が見上げるくらいになり、
今や二人が並んでいても、誰も姉弟だとは思わないだろう。

近頃の彼は、あまり自分のネガティブな話題は話さないが、
あれもこれもどれもそれも、という風に人を追うことはしなくなり、
一本ぴーんと、男としての筋が通ったような印象を受けた。
つまり、イイ男になったと。



日比谷の癖の無い、実は整った顔立ちを見て、
菜央子は小声でこうつぶやいた。

「この四年半で、随分大きくなったよね、渉は」


本人に直接言うと、調子に乗るから
絶対に言わないが。

彼女は、もしかして日比谷が起きているのでは…という心配をしたが、
もしそうなら、彼は速攻で起き上がり、
菜央子さん、今何て言ったんスか? もう一回言ってください!!
とせまってくるに決まってるから、
きっと本当に寝てるのだろう。


菜央子は寝ている彼氏を放置して、
テレビのチャンネルをひねった。
何となく、部屋を出る気にはなれない。

天気予報の地図が違うことに、おおーと地味な驚きを感じたりしながら、
彼女は夕方の時間を浪費した。

そのうちに、日比谷も起きる。

「…ふぁ〜…」
彼は軽くのびをすると、目をこすった。
「…よく寝た…」

「よっ」
菜央子が日比谷に挨拶すると、彼も
「おはよッス」
と返す。
そしてそのまま部屋を出て、廊下の洗面所で顔をあらった後、戻ってくるなりこう言った。

「すみません、オレ、ちょっと出かけてくるッス。
 探したいものが、あるんです」
「え?」

予期せぬ彼の言葉に、彼女はびっくりするが、
すぐにこう返した。
「何を探すの?じゃあ、私も行く」

「あ、ちょっとスミマセン、それも言えないッス。 ジブン、一人で探したいんです…」

もっと予期せぬような日比谷の返答に、菜央子は内心むっとした。


ちょっと、あんた、今、旅行中
しかもあんたの誕生日祝いできた旅行じゃねえのよさ


「…ふーん」
「スミマセン、どうしてもちょっと、これだけは。
 明日は、ずっと一緒にいるから。」
「……」

自分では意識していなかったが、
菜央子は、かなりすねた顔をしていたらしい。


これで相手が尽だと、
「ひでっ!! ハリセンボンみてぇ」
と笑いものになるのだが、

彼氏の反応は、やはり違った。

日比谷は菜央子の頭にポンと手を置くと、
いいこいいこ、という感じになでる。
「ごめん。でも菜央子さん、すねてるところも可愛いッス」


無意識であっても、女の武器である「すね顔」を駆使してしまったことに、
菜央子は妙な気恥ずかしさを感じた。

戦略を使ったわけじゃない。
可愛いとか、言わなくていい。

彼女は赤くなって、ぷいっと横を向く。

「うっさい、ばか。早く行け」

日比谷は、彼女の頭をさらにちょっとなでた後、
「じゃ、できるだけ早く帰ってくるッス!!!」
と言って、部屋を出て行った。




「………」

ありえない


先輩と後輩というかつての立場が完全に瓦解したことを痛感し、
菜央子は畳の上を無駄にごろごろ転がっていた。

ああもう、完全に抜かれた

しばらくしてから、転がるだけの活動の非生産性を実感したが
しれでも彼女はそのまま床に寝そべる。
そして、つぶやいた。


「渉がもう、20歳かぁ…」
別に天井に話しかけても何も返ってこないが、
何となく、一つの伏目を越えたな感が菜央子の中にあった。


先に自分はもう成人してしまったし、
これからは、いよいよ「大人」としての人生を歩んで行く事になるのだろう。
もう、いろいろと責任がかぶさる時期に、なったのだ。

菜央子は今年大学三年生であり、
そろそろ就職活動について考えなければならなかった。

回りの友人からは「永久就職でいいじゃん」
と半ば本気で言われるが、
日比谷に甘えるだけの人生は、菜央子にとっては嫌だった。

渉がいなくても、自分の足で生きる人間になりたい。
もちろん、別れ話などはまったく出てはいないが、
人間、いつどうなるかわかならい。

日比谷は「いい肩を持った投手」として、大学の野球部でも注目をされてはいたが、
それにかぶさって生きるようなことは、彼女の望むことではない。


今でも、新入生の女の子が時々日比谷に告白しては、
「彼女がいるから」と言われて去ってゆく…という話を人づてに聞く。

つまり、彼は、もてる。
ついでにいうと、別に自分はもてない。

彼がプロ野球入りしたら、同じ人間とは思えないような
すごい美人の女子アナが、彼にアプローチをしてくるのかもしれない。
女子アナは野球選手が好きである、という偏見が、菜央子の中に根付いていた。

何だかもやもやした気持ちを抱えながら、
菜央子は左手の指輪をいじっていた。

いつかはさよならも、ありうる。
というか、人の気持ちに永遠はない。




私は将来、どんな大人になるんだろう?
25になったら、何をするのか。
30になったら、何をしてるのか。




菜央子は数分地味にもの思いにふけった後、
カバンから現地のガイドブックを取り出した。

本格的に遊ぶのは、元々明日からの予定である。

地元の水族館にいって、その後、湖とかでボートに乗ってみようと思う。

このあたりは歴史的な街並みも多いから、
ぶらぶら散歩をするのも良いかもしれない。


彼女が時間をつぶしているうちに、
日比谷が帰ってきた。

「菜央子さん、すみません! はい、アイス!」
彼は部屋に入るなりぺこっと頭を下げると、
袋に入ったみかんアイスを差し出した。

「あ、アイス。美味しそうだね。ありがと」
菜央子は笑ってそれを受け取る。

そして聞いた。
「思ったより早かったね。何を探しに行ってたの?」
「それは、夜のお楽しみッス」
―やはりぼかされた。

「でも、大事な彼女を長時間ほっとくなんて、できないんで、
 目的達成して、速攻で帰ってきました!」
「はいはい」
菜央子は軽く聞き流すが、
心の中で、アイスおいしいありがとうと、日比谷に深く感謝した。





後編

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