Hurry4

10



五月の中旬くらいに、太郎くんからデートに誘われた。
「セクシーな服を着てこい」という指定付きで。

バイトを始めてから、太郎くんは私で遊んでいると思い込んでいたので
この誘いは、正直凄く嬉しかった。
どうせ単なる遊びかもしれないが、ひとまずは私の努力を見て、思う所があったのだろう。
…と考える自分に対し、私は自嘲を抑えられない。

もうすっかり、太郎の駒だ。
「太郎くんを助ける」という
最初の立派な志はどこに行ったのだろう?

―いや、ひとまず敵の下にくだってから、その後改心させればいい。
 ひとまず太郎くんの望むように行動するのだ。

策が下手なことは自覚しているが、細かいことを考えるのは面倒くさかった。






だがその後、太郎くんに異変が起きる。

彼は「用事が入った」と言い、二回もデートの日程を変えたのだ。
そして五月の終わりごろから、彼は明らかに以前とは様子を変えた。

例の馬鹿騒ぎは変わらないのだが、伏し目をする時が多くなった。
ため息が増えた。顎の下で手を組んで、考え事をする動作が目につくようになった。

私を見ると、唇を小さく噛むようになった。
本人は隠しているつもりなんだろうが、隠せていない。


一体五月の終盤に、何があったというのだろう。




そんなこんなで、現在六月の中盤である。
さすがにもうデートの延期は無かった。




私は普段セクシーな服など着ないので
太郎くんの求める「セクシー」が何だかわからなかった。

そのために本屋でそれ系の雑誌を立ち読みし、
我流でセクシーセンスを磨いていった。
ちなみに、新しい服はスカートを一着だけ買った。


デート前日、ベッドの上に明日着ていく服を広げ、
私は少し満悦する。
…これだったら、セクシーって言えるかな…

私は服を畳んでタンスにしまい、明日のことを思いながらベッドに入った。
ドキドキしてしまい、二時間くらいは眠れなかった。






翌日。

六月にしては空はカラリと晴れ、鮮やかな青一色だった。
私は少し寝不足の体をひきずり、森林公園へと向かう。


森林公園の門をくぐると、待ち合わせの定番スポットである噴水が目に飛び込んできた。
私たちも、ここで待ち合わせをしたはずだ。

あたりを一瞥したが、太郎くんはまだ来ていない。
まあ、約束の時間より10分ほど前だ。焦らずに待つことにしよう。

時間潰しに親子連れや犬の散歩をする人などを眺めていると、
ふと、不穏な視線が注がれていることに気がついた。
なにかこう、意図を持って人を見まわすみたいな。

何か嫌な雰囲気を感じて、そっちの方に顔を向けると、少し離れた場所で、
茶金髪でじゃらじゃらっとしたアクセをつけた、大学生くらいのチャラい男が私の方を見ていた。

服装や雰囲気から察すると多分ナンパだろうが、
どうも様子がただのナンパとは違う。

目を合わせたくないからしっかりとは見ていないが、
彼は腕を組んで体を少し斜めに向け、
「あれ?」
という様子で私を見ているのだ。

私を見て、キョロキョロと辺りを見渡す。
そして首をかしげると、また私を見る。
その繰り返しだ。

何だこいつ。
誰かを探しているのだろうか。
私はあんな人は知らないから、誰かと勘違いでもしてるのか。
こんな空気は望んでいない。

早く太郎くん来ないかな…

と思った瞬間に、ちょうど本人がやってきた。
「太郎くん!」
私は思わず、声を出して彼を呼ぶ。

いつもの晴れやかな青Vネック。
どうも太郎くんはVネックの癖があるようだ。




しかしVネックの晴れやかさとはうらはらに、彼の顔には明らかに苛立ちの色がある。
何? 何でこんなに怒った顔してるの?
遅刻したわけでもないのに―

私がその理由を伺おうとしても、その時間すらもらえなかった。
「来いよ!」
と太郎くんは怒鳴って私の腕を掴み、そのまま森林公園の奥へと私を引きずっていってしまったからだ。

―あのナンパ男が何をしかたっかのかは、結局知るよしも無い。




木々が両方に立つレンガ道の真ん中で、太郎くんは私に詰め寄った。
「僕の目がおかしくなったのか? それとも君が間抜けなのか?
 セクシーな服で来いっていったよな?」

「……!」
セクシーセンスを否定されたことよりも、
服装の傾向なんて些細なことに
ここまで明らかに怒りを見せる太郎くんに、私は強いショックを受けた。

これは本気で怒っている。
怒っている演技では無い。
なぜなら、目と口元に余裕の色が無い。顔が歪んでいる。

太郎くんが演技をする時は、必ず綺麗な姿を取る。
自分を魅せる技に長けているのだ。

でも今の太郎くんは乱れていて、落ち着きの欠片もなかった。
こんな太郎くん、初めてだ。



「…私、セクシーな服なんて着ないし…」
私の弱々しい反論に対し、彼は無情に鞭を打つ。
「ああ、そう。じゃ、デートはやめだ」


―はぁ?

常識を逸した彼の言葉に対し、私は思わず叫んでしまった。
「ほ、本気で言ってるんじゃないよね?」

彼はくっと軽く笑う。「余裕」が戻った。
「ところが本気さ。言うことが聞けないなら、何で来たんだよ?」

「嬉しかったから」

下らない見下しには正直な気持ちをぶつけること。
これが太郎くんに一番聞く攻撃方法だった。
ああ嬉しいさ。好きな人にデートに誘ってもらったら、嬉しいに決まってる。

どうしてそれすらわからない?


それがわからない気の毒な太郎くんは、予想通り表情を一変させた。
「…何だよ…それ…」
その様子は、まるで何かを怖がるような子どもそのものである。
「…おかしいだろ…そんなの…」

これ以上勝手にやると何かに触れてしまいそうな気がしたので、いっそ聞いてしまうことにする。
「…太郎くん、どうしたの? 何かあったの? 何か無理してない…?」

すると彼は表情を一気にこわばらせ、こう叫んだ。
「やめてくれ!」
思いの他強い口調に、私はびくっとする。

その様子を見て、太郎くんは我にかえったのか、落ち着きを取り戻した。
「…ごめん、今日はもう帰るよ。じゃあ」

彼はそう言うと私に背を向けて、並木道の出口へと足を運ぶ。
その姿はとても寂しそうでむきだしで、大きな何かにぐるぐるに縛られているようだった。

「……」
私は彼を姿を見送りながら(何故か、追いかけるという気持ちになれなかった)
一人の人間がずたずたになっていく様子を、一種達観した気持ちで振り返っていた。

太郎くんはきっと、私の予想以上に崩れている。
だって自分が傷つくよりも、彼を憐れむ気持ちの方が強い。

失敗したセクシー姿で、私は並木道の中、一人たたずんでいた。








数日後。
放課後にアルカードでバイトをしていると、
太郎くんが突然一人で来店してきて私に詰め寄った。

その様子を見て、他の従業員はぎょっとする。
この客がこんな切羽詰まった色を出すなんて、今までに無いことだったからだ。

「バイト、もう終わらない?」
せかすような彼の言葉に私は驚く。
「…もうちょっと待って…あと30分経ったらあがるれるから」
小声で私が返すと、彼はそんなものはサボれという。

流石にありえないので断ると、彼は渋々席についた。
―サボるのが無理だなんて知ってるくせに、どうしてそんなに余裕がない?

太郎くんは、明らかに何かに焦っている。



バイトが終わって店から出たとたんに、太郎くんは私に近寄ってきて
険しい顔でこうつぶやいた。
「海に行こう」


そして彼は一人で歩きだす。早足だ。
私は言葉を発する余裕も無く、太郎くんに遅れないようにと必死で彼の背中を追った。


私達が海岸についたころには、既に夕日は沈んでいた。
はばたき市の砂浜は、真夏には海水浴のスポットになるが
まだ梅雨も明けていない今は、人影もない。

太郎くんは何も話さない。
事態が飲み込めないので、私も何もしゃべれない。

ざんざんざんと、寂しく一定の波音だけが私たちの耳を打つ。


少しして、ようやく彼が口を開いた。海をバックにくるりと私の方を向く。
「…聞きたいことがあるんだけど…」
「何?」
「君は…どうして平気なんだ?」

太郎くんの意味不明な質問に、私はきょとんとすることしかできない。

それを見て、彼は斜め左下を向いて言う。
「僕に、こんな目にあわせられてるのに。
 なのにどうして…君は平気なの?」

「…私が、自分の意思でやってることだから」
私がきっぱりと言うと、彼は叫ぶ。
「そんな訳無い!」

彼の否定が余りにも速攻だったので、私の中で何かが動く。
それは、私のことをちっともわかってくれてない…という、怒りの気持ちだった。


波音がうるさい。
耳をかきまわされるようだ。


私はアルカードで働くに当たって、実に色々な物を捨てた。
今年こそは甲士園にいけるかもしれない野球部。
一年の時から、ずっとお世話になってたアンネリー。
そして、それぞれに付随する友人やお世話になった人。


自分の意思じゃなかったら、こんなことをするはずが無い。

私の沈黙を見て、太郎くんは言う。
「…今までの子たちなら、僕はとっくに勝ててるんだ…
 なのに、君は…」

彼は足で砂浜を軽く蹴る。

「君は平気なのか? 僕に勝った気になってるの?
 僕の仕打ちに耐えることで、優越感にひたれるってことかい?」


―いよいよ言っていることの意味がわからなくなってきた。

ただ一点わかっていることは
まさに今、目の前で一人の人間が勝手に自滅しているということだ。

「…優越感になんか、ひたってないよ…」
「そうじゃなかったら、バイトなんて出来るはずないんだ…
 君はただ単に、こんな僕を見て楽しんでるだけなんだ。
 だって君は…」

太郎くんはハッとして言葉を止める。
そして首を振り、やっと手に入れた餌を守る小動物のような表情をする。
「いいか、これはゲームなんだ。
 本気になったら負けなんだ」
彼の声を聞き、私は思う。

―完全に、自分の作った罠にはまってやがる。

何かを考えすぎて、自分で自分を追い詰めたのだ。
私はバイトを始めた時点で、既に十分に腹をくくっている。

私がやりたくてやってるんだから、放っておけばいいのだ。



「太郎くん…すごく辛そうに見えるよ…」
あと少しつつけば涙目になりそうな彼に対して、私はあえて静かに言う。


「辛いのは君だ! 僕じゃない!!」


子どもが傷を痛がるような声で叫んだ後、太郎くんは下を向く。
「……」

その表情は、辺りがもう暗いことも手伝って伺い知ることはできなかったが、
少なくとも、「最後の太郎」に違いなかった。

演技の皮を一枚ずつはいでいって、最後に出てきた本音の姿。
真嶋太郎の奥の奥。


こんな様子を人前に出すまで自分を追い詰めてしまった彼に対し、
私はあまりの可哀想さに涙が出そうになる。

やっぱり太郎くんは、一人ぼっちだったんだ。



太郎くん、今の太郎くんはめちゃくちゃだよ。
駄々っ子になってるよ。

―どうしてそんなになる前に、私に教えてくれないの




事情も知らないのにとか、うっかり手を出すとこっちが噛まれるかもとかは、
もうどうでも良かった。

好きな人が目の前でボロボロになっているのに手をさし出さないなら、
私は今日ここで女をやめる。

「太郎くん… もういいよ…ゲームとかどうでもいいよ…」

だから話して

と言おうとした瞬間に、彼がそれを遮った。
「…ごめん、もういい」

太郎くんはそう言うと、何かを飲み込んだような表情になる。
「無理に連れてきてゴメン。送って行くよ」



私の必死の助け舟は、受け取ってはもらえなかった。
空虚感に襲われながら、砂浜を後にした。


私達はただの一言も話さずに、無言で夜道を歩いた。








―太郎くんが喫茶店で騒動を起こすのは、この一週間後のことである。




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セクシーじゃないデイジールートです(笑)

太郎がどんどん勝手に自滅する様子が面白かったです…!^^




2010.1.6

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