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日曜日の昼下がり。
針谷は左手にはめた時計を見る。
−13時52分
彼は時間つぶしのために立ち寄った、男性向けアクセサリーショップを出る。
向かう場所は、ただ一つ。
三階にある喫茶店、『パルテノン』
そこで、真嶋と直接対決をするのだ。
今日のことは、あえて誰にも相談しなかった。
井上もバンドメンバーも、志波も美奈子も、誰一人針谷が今日ここにいることを知らない。
相談しなかった理由は、きっと色々あるものの、まだ形になっていない。
ただ、話しをたら、針谷の意見が針谷のものでなくなる気がしたのだ。
針谷は確かに背後に美奈子や志波を背負ってはいるものの、
これは針谷一人の戦いだった。
針谷は思う。
―真嶋は、美奈子の本気から逃げている。
でも、この俺は逃がさねぇ。
なんたって、このハリー様が動いたんだ。
ありえねえだろ普通
ぜってぇに真嶋の尻尾を掴んで見せる。
『パルテノン』はその名の通り、ギリシャを連想させる外観であった。
真っ白な壁の中に、スッと一本、青い線が針谷の身長と同じくらいの所を横切っている。
気取ってやがる、と針谷は眉を寄せるが、ここで様子を崩しては負けだ。
ギリシャ的な意味でも、ここはもう真嶋の陣地である。
入口の横に立ちながら、針谷は思う。
今日、どうやって真嶋に対抗するべきか。
威勢の良い啖呵を自分に向けて切ったものの、
針谷の中では、まだ何も決まっていなかった。
なぜならば、彼は卑怯者と口論をした経験が無いからである。
バンドメンバーと曲のことで喧嘩になることはあったが、
それはあくまでもお互いの意地のぶつかり合いで、勝敗など二の次だった。
だが今回は、相手が「卑怯者」なのだ。
言葉をひらひらさせて話題をぼかし、人の神経を逆なでする連中。
針谷は、そんな人間と戦ったことはなかった。
とどのつまりは、針谷は不安で一杯である。
天地なら、きっと上手にやんだろうなぁ…
などと、後輩の名前さえ出す有様だった。
悶々としている
うちに、針谷は気づく。
「…遅くね?」
時計は、既に14時10分を回っていた。
まさか…だまされたのか?
店頭で針谷が眉をひそめると、店内側から声がかかった。
「気がつかなかったの? 店内の僕に」
「…え」
針谷が振り向くと、くり抜かれた窓の向こう側で、真嶋太郎が穏やかに微笑んでいた。
モデル並みの端正な顔立ちと、相変わらずのVネック。
「僕は1時55分くらいから店にいて、君が外にいるのも知ってたんだけど。
…店の中に入ってくると思っててね。黙ってたんだ。
悪いね。無駄に待たせちゃって」
真嶋の笑顔は、完全に『全てをすっとぼける』バージョンになっていた。
こんな嫌な男、本当に滅多にいない。
いきなり1点取られ、針谷は憤然たる気持ちになった。
「…じゃあ、まあ好きなものを頼んで。僕はもう飲んじゃってるけど」
ベルベットの椅子の上。上品すぎるBGMと共に、真嶋の声が届く。
渡されたメニューを見ると
針谷の時給1.5時間分はあるだろう紅茶とコーヒー、ケーキがずらりと並んでいた。
一瞬絶句するが、針谷は動じないふりをする。
「モカ・マタリ」
適当に目に入ったメニューを読み上げた。
真嶋が店員に手で合図をすると、
品の良い感じの女性がやってきた。
「おきまりでしょうか?」
「彼にモカ・マタリを」
「かしこまりました」
こんなアホ高い店がショッピングモールにあったのかと針谷は緊張するが、
すぐに気を引き締める。
ここは真嶋の陣地だ。
これはコイツの作戦なんだ。
気を抜いたら負けだ。
とにかくゼッテエ勝つ
「あ… 店員さん、ちょっと待ってください。
君、砂糖とミルクはいる?」
真嶋の見えすいた厭味に対し、針谷はキッパリと答える。
「俺はブラック限定だっつーの!」
「じゃ、そういうことで」
「はい」
店員はお辞儀をして、去って行った。
「いい店だろう? 行きつけだったんだ」
真嶋の至極穏やかな言葉に対し、針谷は直球を投げつけた。
「おい、美奈子を解放しろ」
ストレートもストレートである。
だが、針谷にはこれ以外の策が思いつかなかった。
「…」
真嶋はそれを既に見透かしていたのだろう。
笑いの目線が変化した。
いわゆる一つの上から目線。
彼は冷えた瞳で、針谷を見る。
それでも口元では笑顔を作っている。
一体全体、どう育ったらこんな顔が作れるようになるんだか
真嶋が素直に乗ってくるはずがないことは、針谷もすでに予測済みだった。
だが、それでも彼は方向を曲げない。
「もういい加減、美奈子をはなせよ」
「…針井くん…だっけ?」
真嶋は冷えた笑顔を一転させ、紳士的に微笑んだ。
「ゴメン、僕、あまり人の名前が覚えられなくって。
…不要な名前は、消えちゃうんだよね、頭から」
怒髪にきた。
「テッ…!」
針谷は声を荒げようとするが、必死で自分を押さえつける。
―これは作戦だ。作戦なんだ。
こんなのにのったら負けだ。
つうかコイツを野菜と思え。
よし、ナス!
脳内で真嶋をナス認定し、針谷は少しだけ落ち着きを取り戻す。
さらにライブのオーディエンスの歓声を思い浮かべて、必死に自分を奮い立たせた。
つくづく、針谷も打たれ弱い。
「俺様はハリー。『Red:Cro'Z』のボーカルで、美奈子のダチだ。
よーく覚えておけ」
「…うん、頑張るよ。明日まで覚えておけるように」
やはり真嶋は慣れている。
今のも相当きたが、もうナスの声として処理することにした。
そんな針谷を見て、楽しむように真嶋は言った。
「君の言いたいことはわかった。
返すよ。あの子」
「はっ!?」
針谷が素っ頓狂な声をあげると同時に、店員がコーヒーを持ってきた。
「お待たせいたしました」
美しい白地の皿に、黒い陶器のカップが乗っている。
「あ、どうも…」
針谷は小さな声で店員に礼を言うと、
スイッチを切り替えて真嶋を睨みつける。
「何だよ、今のはっ!?」
「だから、もういいよ、あの子。飽きたんだ。
しつこいし、おもっ苦しいし。
君にあげる」
とうとう、耐えられなくなった。
「ふざけんな!!!!」
立ちあがって叫ぶと、周囲の視線が一気に針谷に向く。
真嶋は針谷を見つめて笑った。
それは一見静かな笑顔であったが、
まるで自らの優位性を示すような、ひどく歪んだものに見えた。
真嶋は針谷で遊ぶかのように、次々と言葉を投げる。
「…可愛いからちょっと遊んでみたけれど、もう十分だ。
君が引き取ってくれるんだね。
ちょうど良かったよ、ありがとう」
ここが店じゃなかったら、間違いなく針谷は真嶋を殴っていただろう。
肉弾戦は未経験だが、こんな奴に負けたら自分もその程度だ。
だが、幸いにもここは店だった。
針谷にも、自身を冷却する必要がある。
そのついでに、思ったのだ。
真嶋の言葉に対しての違和感を。
―俺に、美奈子を、あげる?
針谷は席に着くと、まっすぐに言った。
「俺じゃねぇよ」
美奈子を好きなのは、俺じゃない。
真嶋は少し意外そうな顔をするが、まだ余裕を崩すつもりはなさそうだ。
「…どういうこと?」
「俺は単なるダチだ。美奈子の親友として、テメェを成敗しにきた」
「ぷっ…あはははははは…!」
針谷の啖呵に、真嶋は噴きだした。
だが、少しずつ、冷えた口調になっていく。
「親友? …じゃあ何?
君は何の権利があって、彼女のことに口を出すの?
わざわざ、僕をここまで呼んで…」
「……」
言おうかどうか、針谷は迷う。
今回のことは俺個人の暴走で、だから美奈子や志波には迷惑かけたくねぇし
―でも
だが、その一瞬の隙を真嶋は突いた。
「ああ… あっちの彼か…
今思い出したけど、小野さんと彼と君、学校でよく一緒にいたよね?」
真嶋の鋭さに、針谷は止まる。
ヤベェ。想定外だ。
「ということは…」
真嶋は演技のこもった不快な調子で、満面の笑みを見せた。
「君、頼まれたの? あの野球部の彼に」
「ちげぇ!」
反射的に針谷は反論する。
友人の体面を傷つけることだけは、絶対にしたくない。
「今回のことは、俺が勝手にオマエを呼び出しただけだ! 志波は関係ねぇ」
「同じだろ」
今度は真嶋が間髪いれずに反論した。
「まず僕にとっては、どうでもいいことなんだよ。…本当にね。
志波くんだっけ? 彼が動かないから、君が我慢できなくなったってことなんだろ?
君たちの友情は麗しいけど、僕には何の関係も無いね。
少なくとも志波くん本人が来ない限りは、僕は何も聞きたくないな。
迷惑だよ」
真嶋の理論は完全だった。
針谷は何も言えない。
だが。
針谷は思う。
なぜここにきて、真嶋は急に理論的になった?
これはおそらく、ある程度は準備された答えのはずだ。
じゃないと、こんなに綺麗に出てこない。
性に合わないが、もう少し待とう。
多分ボロが出るはずだ。
針谷はこの段階にきて、初めてコーヒーに口を付けた。
あまりの苦さに、舌の上がグッとする。
そんな針谷を尻目に真嶋は言葉を続けた。
「…大体、僕は彼女を束縛したことなんて、一度もない。
全部彼女の意思だ。
バイト先は確かに紹介したけれど、勤めろなんて一言も言ってない」
真嶋は前髪を軽く触った。
「彼女が勝手にやったんだ。僕が止める権利があるはずないだろ?
彼女を救いたいなら、直接彼女本人に言えばいい。
大体志波くんは、同じ部活なんだろう?」
真嶋の言葉に、針谷は息を飲む。
そして真嶋は厭味たっぷりに笑った。
「そもそも僕に言わせれば
人のことでしゃしゃり出て、何の成果も出せない君こそ道化だけれどね。
一人で良い気分になっててさ。君みたいのが、一番タチが悪いんだ」
おそらくは、これが真嶋の決め台詞だったのだろう。
彼はこれで、針谷を粉砕できると思ったのだろう。
だが針谷には、まだ手があった。
そうか。
真嶋は知らなかったのか。
だとしたら―
もっとも、腐りきった下の下には無効なカードかもしれないが
「美奈子は、野球部を辞めた」
針谷の一言が、場の空気を斬った。
「あいつはアルカードのバイトをするために、
一年からやってた野球部を辞めた」
切り札ではあったが、針谷の予想では
「それが僕に何の関係が?」と言いながら、真嶋がのらりとかわす確立の方が高かった。
だが。
真嶋は固まっていた。
その顔には、一切の演技が無かった。
その様子を見て、逆に針谷が困惑する。
自分のカードが、その場の空気を一変させてしまったのだ。
やがて、真嶋は小さくつぶやいた。
「…嘘…だろ?」
「こんな嘘ついて誰が得すんだよ」
針谷の言葉に、真嶋は斜め下を向く。
本当にかすかだが、彼の口は震えていた。
「僕は、てっきり…野球部をやりながら、バイトをしてたんだと…」
「そんな都合のいいシフトは存在しねーよ!」
真嶋のあまりの無責任っぷりに、針谷は声を荒げた。
やっぱりコイツ、知らなかったのか。
美奈子がどれだけ多くのものを捨てたのか。
自分自身が、美奈子からどれだけ沢山のものを捨てさせたのか。
そして憎むべきことは、
真嶋がそれを、美奈子自身にやらせるように、しむけたことだ。
針谷
は一瞬迷う。
俺は人に上からものを言えるような奴じゃない。
本人達がが不在なら尚更だ。
でも、俺はこれを言いに、今日ここに来た。
「…テメェが野球が嫌いだっていうのは、美奈子から聞いた。
俺は野球部じゃねぇから、それに関しては特に何もねぇ。
でも、美奈子は一年から、ずっと野球部で頑張ってたんだ。
日の当たんねー場所で、ちいせえ野球部を支えてきたんだ。
それに、行き場の無かった志波を入れたのだって美奈子なんだよ。
俺は当事者じゃねーけれど、今年のはね学は、もしかしたら甲士園に行けるかもって噂も出てる。
なのに…」
針谷は言葉を止めた。
ヤベェ。俺が無意味に崩壊しそうだ。
だが、針谷は一気に言うことを選んだ。
「なんで美奈子がいねーんだよっ!?
おかしいだろっ!
一番いなきゃいけねー人間の一人じゃねぇかっ!
そりゃいくらなんでも、全部テメーのせいとは言わねぇ。
でも、俺はガマン出来ねーんだよっ!!」
これは志波の代弁ではなく、針谷自身の言葉であった。
真嶋からの返事は無い。
彼は無表情で座ったまま、ぐっと口を結んでいる。
―もう無理か。
針谷は言いたいことは言いきったので、
もう帰ることにした。
彼はコーヒーを必死で飲み干すと財布を開き、
コーヒー分以上の代金をテーブルに置いた。
「あばよ」
「待って」
針谷が席を立とうとすると、真嶋が小さくつぶやく。
口調が一変したことに、針谷は驚きを隠せない。
「…何だよ」
「…はね学が今年、甲士園に行けそうなのは…知ってた…
でも…彼女が… マネージャーを辞めてのは…知らなかった。
僕と彼女は…野球部の話は元々しなかったし…」
自分に甘いのもいい加減にしろと針谷は叫びたくなるが、
今の真嶋には、もはやそれも不要だろう。
それよりも、針谷は真嶋が自分をひきとめた理由が欲しかった。
こんな中途半端な立ちぼうけは気持ちが悪い。
「つうか…どうした」
謎の言葉を言う針谷に対し、真嶋は問う。
「君、ネイで何曜日にバイトしてるの?」
当然の質問に針谷は面食らったが、何とか答えた。
「す…水と金」
「じゃあ、僕はその曜日には行かない。
だから…それ以外の曜日には、ネイに行ってもいい?」
「はっ?」
意味不明の真嶋の言葉に、針谷は反応が出来なかった。
「君はもう、僕の顔なんて見たくないだろ?
でも、僕は…ネイが好きなんだ。僕のチェロ用品は、全部ネイで買ってる。
だから、君のいない曜日に行く。
それでいい?」
「……」
針谷には、真嶋の意図がわからないというよりは
もう意図を考えることすら面倒になっていたが、
さっきとはうって変った、真嶋の今にも泣き出しそうな、すがるような目を見ると
捨てておくことも出来なかった。
「勝手にすればいーんじゃねぇか?
つうか好きにしろよ、そんなモン」
それを聞くと、真嶋は小さく「ありがとう」と言った。
針谷は何も言わずに店を出た。
『パルテノン』を出ると、針谷は釈然としない思いのままショッピングモールを出て、
はばたき駅まで歩いた。
緑の色が異様に濃い。
引導を渡すつもりで行ったのに、
逆にかえってぐちゃぐちゃになっていた。
「…コーヒー高けぇっつーの」
小さく恨み節を言いながらも、頭は別の所にある。
最後の方の、あの目はなんだったんだ。
ネイに来るのに、俺の許可がいるわけねぇだろ?
何なんだ、あの間違った純粋さは。キミワリィ。
針谷は思う。
もしかしたら、美奈子はあの目を見たのかもしれない。
あんなみっともない目、そうそう人には見せないだろう。
男の自分にとっては、言いようのない憐憫しか感じない。
が、美奈子にとってはおそらく多分―
ああ、もういいや、面倒くせぇ。
「ま…さすがハリー様って感じだよな。多分解決!」
針谷は心にもない俺様節を呟きながら、夏間近の繁華街を歩いていった。
→10
もっとねちっこいバトルを考えていたのですが…思ったよりもすぐに終わった気が
贖罪太郎が引きずり出されました!
よーし 太郎いじめるぞー!!
全てを知っているように振る舞いつつも、
練乳のごとく予測の甘い太郎が大好きです(褒め言葉)
この後は、ひとまずDO☆GE☆ZAはやりたい
次回はデイジーのターンですが、ハリーはもうちょっと出張ります。
2009.9.22
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