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太郎くんが浜辺で崩壊した一週間後。
放課後、アルカード入りして制服に着替えてホールに出ると、
そこには不穏を突き抜けたとんでもない空気が漂っていた。
ここが店だということもお構いなしに、太郎くんと女の子達がテーブルを挟んで怒鳴りあっていたのだ。
いや、怒鳴りあうというのは正確な表現じゃない。
大声を出しているのは、もっぱら女の子の方ばっかりであり、
太郎くんはひたすら沈痛な面持ちで、彼女達に頭を垂れるだけだった。
「別れるってどういうこと!?」
「超うけるんですけど」
彼女達は太郎くんを見下すように、顔を斜め上にあげた。
ああ、改めて見ると、やっぱり綺麗な人たちだ。
ファンデやら何やらいっぱいぬったくているんだろうが
そのゴテッとした可憐さも、赤切れに悩む私にはうらやましい。
「…すまない。全部僕が悪いんだ」
太郎くんは全てを失ったような呆然とした表情で、小さく言った。
するといつもナポリタンを食ってる女性(私はナポ子と心の中で呼んでいる)
が髪をいじりながら、さも意地悪い様子で笑った。
流石は太郎くんの傍にいるだけあって、やっぱり相当の人である。
「うちらさぁ、そういう綺麗なだけの言葉はいらないんだよねー
しおらしくなれば済むと思ってんの?」
「しおらしくなるだけなら、ナメクジでもできるしね」
ナポ子の隣にいたゴス子も便乗した。…この人も怖い。
太郎くんは両手を握りしめて、ひざの上にぐっと置いていた。
彼女達に反論する様子は全くない。
可愛そうな太郎くん。
いつも突然人を背後から刺すような奇策で戦ってばかりいたから、正攻法を知らないのだ。
彼が知っている正式な謝罪方法は、
罪悪感をぶちまけて素直に謝り開き直るという
もっともオーソドックスな手法だけなのだろう。
店の一角がこんなもんだから、他の客は全員ガン見である。
店員も好奇心に負け、ガン見せざるを得ない。
只一人、店長だけが途方にくれた顔をしていた。
確かに気の毒ではある。
そんな外野の思惑をよそに、彼らの話は進行していた。
「大体、話が違うじゃん」
「…ごめん」
「三年の前期までは、うちらと一緒に去りゆく青春を謳歌するって話だったよね?
お金は全部タローちゃん持ちで」
「ああ、そうだった。…でも…もう無理になったんだ…」
「くっだらね」
ナポ子は自身の爪の上にのったピンクの花をいじると、吐き捨てるように言った。
「タローちゃん、まじ株下がりまくりなんだけど。
アタシ、そこまで責任負えないわ」
「結局、自分の行為の馬鹿らしさに気がついたってことでしょ?」
ゴス子が物凄い言葉を言った。
それをわかって付き合ってるあんたも相当凄いが。
「ああ、僕は馬鹿なことをした…そしてその馬鹿に君達を突き合わせた…」
太郎くんの言葉を、ナポ子はシュッと切り裂く。
「じゃあ、土下座でもしてもらおうか」
太郎くんは一瞬固まったが、
「…そうだね、少しでも君達の気が晴れるなら…」
弱々しく席を立つ。
―もはや謝罪のバーゲンセール
それを見て、流石に私は静観できなくなった。
彼らのテーブルに駆け寄って叫ぶ。
「ちょ…ちょっと待ってください!!」
私はいまにも土下座しそうだった太郎くんの腕を掴み、必死で言った。
「太郎くん、土下座なんかしないで!」
私の太郎くんは、土下座なんかしちゃいけないの!
冷静さを装っている私も、結局はただの乱れる馬鹿である。
太郎くんは私の必死さに困惑の色を見せるが、私の手をひきはがして、
かばうようにその腕を私の前に差し出した。
「いいんだ、これは僕の問題だ」
「よくないっ!」
状況がよく掴めていないが、私は叫ぶ。
「太郎くんは土下座なんかしちゃだめ!
…耐えられないよ、そんなの…」
―ちなみにこの時点で、バイトのクビは覚悟していた。
こんな乱れた我々を見て、ゴス子が笑う。
「あなた、太郎くんにここに連れてこられた後輩でしょ?
悪いけど、遊ばれてるだけだから。
それにここで土下座させたほうが、あなたのためにもなると思うの…」
「違う」
ゴス子の言葉を、太郎くんは遮った。
そこには今までの沈痛な色はなく、静かだが力強い響きがあった。
太郎くんは私を見つめる。
信じられないくらいに端正な顔立ちが、目の前にあった。
この顔だ。一年目の卒業式で、私を落としたのはこの顔だ。
虚勢を全部取っ払った、本物の太郎くん。
少し見つめ合った後、太郎くんは視線を前方に戻す。
「この子は、僕の大切な子なんだ。
この子じゃないと、駄目なんだ…」
私は自分の耳を疑った。
届いた。
ずっとずっと一方通行だったものが、とうとう繋がった。
言うならば、公園の砂場でふたりが向かい合い、両側から必死でトンネルに穴を掘っていたら、
ようやく相手の手に触れあえたあの感覚だ。
しかも私一人だけが必死で掘っていたとずっと思ってたから、
この嬉しさは只事ではない。
余りの衝撃展開に感情がフリーズしていると、
太郎くんが私を抱きしめた。
そして耳元でささやく。
「…ごめん。でも僕は…君がいればそれでいい…」
ちなみにこの後どうなったかと言うと、
見かねた店長が乱入してきて、ナポ子とゴス子は追い出された。
だが二人は特に文句を言うこともなく、
伝票だけを机に残してあっさりと帰っていった。
そして太郎くんに「お客様、ちょっとお話が…」と呼びかけて、
私と太郎くんを休憩室に連れ込んだ。
そしてたっぷりと説教をくらった。
曰く、ここはごく普通の飲食店なんだから、痴話ゲンカなら外でやってくれ。
本来ならお客様(太郎くん)にこのような忠告という形でのお話をするのは恐縮ですが、
当店のアルバイトとの関係もございますのでご了承ください。
また、今後こんなことはしないで頂きたく思います云々。
私は内心やっちまったと思ったが、
何故か説教が耳に入らず、こみ上げる嬉しさを抑えることは出来なかった。
太郎くんは太郎くんで、やっぱり申し訳なさそうな顔はしていたものの、
どことなく嬉しそうな様子であった。
店長、すみません。
明日からアルカードマスターになるから許してください。
やっと店長のお説教から
解放されて店を出ると、もう日が落ちていた。
私と太郎くんは、顔を見合わせて笑う。
―良かった。太郎くんもトンネル開通感を感じてくれてたんだ。
「…大分叱られちゃったね」
彼の言葉に私は苦笑する。
「あれだけやればねえ…」
すると、彼はこう言った。
「あのさ…ちょっと海に行かない?」
その言葉は、この前の誘いとは全く違う響きを持っていた。
「海? また?」
私がきょとんとしていると、太郎くんは照れ臭そうにつぶやく。
「…もちろん、君さえ良ければだけど。もう日も沈んだし」
「いいよ、行こ」
彼の表情を見た私は、否応なく頷いた。
海開きを三週間後に控えた砂浜は、心なしか先週よりも波音が穏やかになっている気がした。
月が海面の上に出ており、私と太郎くんは並んで体育座りをしてそれを見つめる。
この前来た時と場所も時間も同じだけれど、全然違う。本当に全然違う。
それがなんだか嬉しくって、意味もないのに目頭が熱くなった。
太郎くんも私と同じ気持ちなのだろうか?
「…僕は君にひどいことをしたね」
太郎くんがつぶやく。
「もう平気だよ」
私は素直な気持ちを言う。
「…僕、もう自分に嘘をつかないことにしたんだ」
「うん」
「君を見てたら、もう一度、やり直せる気がして」
「…やりなおす?」
「上手く言えないんだけど、君とのこととか、あと色々なことを、やり直したいって思った。
この二年間で初めて」
涙が若干勝手に出た。
太郎くんは言葉を続ける。
「…僕は、自分が思っているほど器用じゃないってわかった。
だからもう、ゲームはやめた。
…でも、君に許してもらえるのか、今でもわからない」
若干どころじゃなく涙が出た。
きもいから止まって欲しいが、止まらない。
私の中で、色々なものが走馬灯みたいにガーッと流れる。
走馬灯を言葉に添わせることが出来なかったので、変なセリフを言った。
「許すも何もない。私は太郎くんが好きだから」
「…でも」
太郎くんの顔が曇る。
「僕は君から沢山のものを奪った。バイトも部活も。
…僕はひどいやつだろう?」
「……」
春(三月くらい)満開だった私の心に、一瞬疑惑の念がよぎる。
バイトはともかく、どうして部活を辞めたことを知ってるの?
意地でも言いたくなかったから、
太郎くんには黙ってたのに―
二流つながりで、真咲先輩からでも聞いたのかな?
いや、部活をやめたことは、先輩にだって言ってないはず…
志波くん→真咲先輩→太郎くん か?
私が伝搬ルートを勝手に模索していると、
太郎くんがうつむきながら言う。
「…野球部が今年は甲士園に行けるかもしれないって、それは元々知っていた。
でも、君が野球部を辞めたことは、つい最近まで知らなかった。
これはあることがきっかけで知ったんだけど…
君、一年からずっと部活をやってきたんだろ?
だから、僕は本当にひどいことをした。」
体の熱がヒュッと下がった。
私の望まない言葉を彼が言ったからである。
「違うよ、太郎くん」
さっきまでうかれていた私の言葉は、一気に芯を取り戻す。
「私は自分の意思で野球部より太郎くんを選んだの。
確かに悩んだけど、ここにいることがその結論だから」
正直言うと、この事実を人に言われたくなかった。
何故なら、私が自分から野球部を捨てたから。
確かに布団の上で二転三転したり
悩みあぐねてシーツを爪でバリバリに引っ掻いたりした夜もあったが、
結果私は野球部を去った。
野球部にはさっちゃんという有能なマネージャーがいる。
でも、太郎くんには私しかいない。
こういう甚だしい噴飯ものの思い上がりの結果、私はアルカードでのバイトを選んだのだ。
その言葉を聞き、太郎くんは私の目を見る。
その視線のあまりの無防備さに、逆にこっちが怖くなった。
「凄くいきなりな話なんだけど、僕はテニスが大好きだった。
本当はわかってないかもしれない。でも、君の気持ちはわかってるつもりなんだ」
私がきょとんとしていると、彼は言葉を続ける。
「前、君は僕に何でテニス部をやめたのかって聞いたよね。
あの時は『プロ志望の人に申し訳なくて』って言ったけど、あれ、実は嘘なんだ」
「…そうなんだ」
「……」
太郎くんの目が少しだけうるむ。
―この人は本当に、素直すぎる人なんだ
「…テニス部を辞めた理由は、ゴメン、今は言えない」
「無理に言わなくてもいいよ」
「でも、本当は戻りたかった。ずっと。だから君も…」
「…ありがとう」
きっと私の知らない所で、彼は100万回くらい悩んだんだろう。
でも、もういい。
ふと視界の隅に光を感じ、私はそっちの方を向く。
ちらっとかすめただけど、すごくすごく強い光。
浜辺の向こうの向こう側―切りだされた岬の先端にある灯台が、
海に向けて一本の光を放っていたのだ。
「…伝説の灯台」
愛する人魚を探すために、若者は海に旅だった。
その道を照らしたのが、この灯台だという。
物言わず、夜空に一本の光明を照らす灯台は、日常ではない風景を作りだしていた。
私が感動していると、太郎くんが穏やかに笑う。
「…例の伝説、思い出してるの?」
私は無言で頷いた。
奢り高ぶっているかもしれないが、
あの光が、私と太郎くんの気持ちが通じ合ったことを象徴しているように感じたからだ。
この前ここに来た時は、光はついていなかった。
真相はただ単純に、時間が若干早かったからとか、季節によって点灯の時間を変えるとか
そんな理由だろうけど。
灯台伝説は悲しい話なのかもしれない。
けれど今、目の前にある光は確かに本物だ。
「ねえ」
太郎くんが私に呼びかける。
「…その…もう一度、ちゃんとデートしなおしてくれないか?」
彼の顔は、照れているのか少し赤くなっている。
私は笑った。
「森林公園だよね? 服はセクシーなんでしょ」
それに対して彼は失笑する。
「意地悪なんだな。なんでも良いよ、それを好きになるから」
「これからは私がいじめる番だよ」
私達は顔を見合わせて、クスクス笑う。
長い長い回り道をして、ようやく元の道に戻ってきた、そんな気がする。
「じゃ、帰ろうか。送るよ」
太郎くんが手を差し出す。
私はそれを握りながら、彼にこう聞いた。
「あ、そう言えば…携帯、今度こそ教えてくれるよね?」
「ゴメン、今日は家に忘れちゃったんだ…今度合うときでもいいかな」
申し訳なさそうな太郎くんの言葉に、私は一ミクロンの悪意も感じなかった。
今度のデートで聞けばいいんだ。
私達は、ここから始まるんだから。
→Hurry5
双方らんらんるーになりました
今後を書くのが物凄く楽しみです!!!
2010.1.16
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