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二回戦は、四国の御豆高校との試合だった。
一回戦から約一週間後。
私達三人は、再び甲士園を訪れる。
出場校の対戦が一回りするのに、一週間かかった。
その間、わたしとはるひは京都に遊びに行ったり、
神戸で買い物をしたりハリーと会ったりなど、
高校最後の夏のこの時期を、必死で遊ぶことに費やした。
逆に言うと、一回戦が終わると
後はどんどん過密スケジュールになっていく。
試合を重ねるごとに学校数は減っていき、
二日連続で試合ということもザラでは無いからだ。
でも、私達はそれを望んでここに応援に来ていた。
せっかく一回戦で勝ったんだから、
目指すは頂点に決まっている。
円形の甲士園と、真上に広がる青い空。
そして真っ白な入道雲。
この三点が配置された風景を見て、私は不遜にも
「自分は今、青春をしている」
と感じるのだ。
自己陶酔なのは、わかりきっている事だったー
この二回戦は、甲士園最寄駅の一駅前で私達は待ち合わせをした。
以前の経験から、お互いを探すのに苦労するのを避けたのだ。
はるひは『HURRY』という服を着たハリーに会うなり、こう言った。
「なぁ、氷上くんの件…ホンマに許可でたんか?」
ハリーはそれを聞き、自信満々に答える。
「オゥ。まぁ、このハリー様直々の依頼だからな!」
「…良かったぁ」
はるひは安堵の声を出した。
話のわからない私は、首をかしげるだけである。
「氷上くん? 氷上君に何か頼んだの?」
私の言葉に対して、二人はニヤリと笑った。
やがて、甲士園に到着する。
人の数は前回を超えているような気がする。
私達は甲士園の中に入り、はね学側の応援席に座った。
今日は、第一試合である。
まだはね学応援団は来ていないようで、
一番前の席がまるまる空いていた。
周囲の人も空気を読んでいるようで、そこには座ろうとしない。
数分して、後方からワイワイと人の声が響いた。
振り返ると、生徒会率いるはね学応援団の姿。
応援Tシャツを着た氷上くんが、夏空の下で声を張り上げている。
「皆さん、一番前に座って下さい」
「暑い方は、言って下さいね。数に限りはありますが、帽子を貸し出しますから」
氷上君の傍らには、寄り添うように千代美ちゃんが立っていた。
前から少し気になっていたけど、これはもしかして―
等と私が思っていると、千代美ちゃんが私達を見つけて声をかけてくる。
「小野さん」
「千代美ちゃーん! おはよ」
「ヨォ」
「チョビー! アンタほんま働きモンやなぁ」
「チョビじゃないです!」
千代美ちゃんはちょっと怒ったようにはるひに言ったが、
すぐに私の方を向いた。
「小野さん」
「何?」
「話は針谷君から聞いています。私達と一緒に応援しましょう」
「…えっ?」
思いもよらない言葉に、私はうっかり間抜けな声を出してしまった。
小柄な千代美ちゃんは、少し上を向いて私を見つめる。
「私達と一緒に、はね学の応援をしましょう。
はね学応援チームに、加わってくれますか?」
彼女の顔には、曇りない笑顔があった。
「針谷くんから、氷上くんに依頼がありました。
小野さんを最前列に座らせて欲しいって」
反射的にハリーとはるひの方を見る。
「前に出て応援して来い! そっちの方がよく見えんだろ」
「あんたも、野球部の一員やろ?
部員のみんなに顔見せてあげてや。
マネージャーのさっちゃんって子に、あんたが行くって話したら、えっらい喜んでたで!
見て欲しいって、言ってたわ」
「……」
どうやってさっちゃんと連絡を…と疑問に思っていると、氷上君がやってくる。
「小野君。話は聞いている。僕達と一緒に、はね学を応援しよう」
私は生徒会の二人と一緒に、甲士園応援席の最前列へと向かった。
―広い
遮るものが全くなく、グラウンドが視界いっぱいに広がっている。
太陽の照りつけは厳しかったが、前方の景色が私を夢中にさせた。
皆が、野球部の皆が練習をしている。
「ここに座りましょう」
千代美ちゃんに誘導され、私は一つ不自然に空いた空席に案内された。
「あと…これは応援セットです」
彼女から、メガホンとTシャツが手渡される。
突然の出来事がよく飲み込めないまま私はトイレに行き、服を着替えた。
席に戻ると、すぐに試合が始まった。
周囲から、大歓声ではね学への応援が聞こえてきた。
私も声を張り上げる。
最前列で見る試合は、何故か無性に私を泣かせそうになったが
余分な事を考えるのは帰路についてからにしよう。
今はただ、試合を見ていたい―
御豆高校は四国随一の強豪だ。
絶対に先制点は取られたくない。
いるだけで汗が吹き出しそうな真夏の空気の下で、私は必死にメガホンを鳴らす。
「ブイ・アイ・ティー・シー・オアール・アイ!! 打て打てはね学!! はね学ファイオ!」
そして、この席に座らせてくれた氷上君と千代美ちゃん、
そのはからいをしてくれたハリーとはるひに心から感謝をした。
彼らはきっと、知っていたのだ。
私よりもずっと、私が何をしたいのかを。
試合は6回裏にはね学が一気に三点を入れ、そのまま終了した。
強豪相手に危なげがない、安定した試合だった。
メンタル面でも、はね学は本当に強くなっている。
臆することをしないのだ。
第三試合にいける事を感謝しつつ、私はグラウンドを去っていく志波くんを見る。
彼は今日もヒットを打ったが、得点にはつながらなかった。
その代わり、見事な守備だった。
勝利の余韻に顔をほてらせる私を見て、千代美ちゃんは微笑む。
「小野さん、嬉しそうですね。西本さんに小野さんの様子、伝えておかないと」
私は少しキョトンとしたが、その言葉を素直に受け取った。
甲士園で応援が出来て、本当に嬉しい。
はね学戦終了後、応援チームが帰ったので
私はハリー達の所に戻る。
炎天下の下で二人は少し疲れていたようだが、私を見てニッと笑った。
「オゥ。勝ったな!!」
「あんた、楽しそうに応援してたなぁ。後ろからでもわかったわ」
「…ありがと」
私はそれだけを言い、ちょっとだけはるひに抱きついた。
ハリーとは、拳を合わせあった。
「…あんたにはな、野球部の皆にわかる所で応援してほしかったねん。
あんたも、野球部の一員やから。
ハリーもそう言ってん。
で、うちらと一緒じゃ、野球部があんたを見つけられんかもしれんから
ハリーがな、氷上君に頼んでくれたんや」
はるひの言葉に、私はハリーの方を見た。
「……」
彼は少し照れくさそうに、下を向く。
「…いや、まあなぁ…。つーか西本、口軽すぎだろ」
ここはハリーマニュアルだと威張る場面なのに、その反応が少し意外だった。
この日の試合が全て終わった後、私達は球場を後にした。
ハリーとは途中の駅で別れ、はるひのお婆ちゃんの家に戻る。
はるひと二人で電車に乗っている時に、バックから振動が伝わった。
携帯を取り出すと、メールが来ている。
しかも、既にもう一通来ていたようで、未読メール2件となっていた。
私ははるひに断り、メールを覗いた。
先に来ていた1通はさっちゃんからで
―美奈子先輩の姿、見えました!
応援に来てくれて本当にありがとうございます(>▽<)
という内容だった。
今来た1通は、志波くんからだ。
「今日も:
来てくれてありがとな。元気でた。
次も勝つ」
何とも短く彼らしいメールだが、そこには確かなものがあった。
やっぱりこの前の試合でも、志波くんは私を見つけてくれたんだ。
そして今日も、私のことを見てくれた。
練乳のように甘い自己愛に半分嫌悪を抱きつつも、私の心臓はゆらゆら動く。
世の人は、こんな私を許すのだろうか。
その後も、はば学は勝ち進んでいった。
3回戦、東北代表の歩分高校に4-2。
準々決勝、近畿代表の津院美高校に10-9。
準決勝、関西代表の蔵居高校に5-1。
一体誰が、ここまではね学が勝ち進むと思っていただろう。
志波くんは毎試合ヒットを出していたが、ホームランはまだ打っていなかった。
でも志波くんは凄い。十分すぎるくらい凄い。
そしてとうとう、決勝戦の日になった。
相手は関東代表、倉泥臼高校である。
大会の優勝候補として、常に話題に上り続けている存在であった。
多くの人は、倉泥臼の優勝を予想しているだろう。
だが、それは今までも同じ事であった。
新参者のはね学が、事前に優位に立てた試合なんか一つもないのだ。
決勝戦は昼から始まるので、
私達は先にハリーと合流してお昼を食べた。
昼ごはんを食べている時に携帯を見ると、
志波くんから題名なしのメールが来ている。
その本文には
「行ってくる」
とあった。
私はそれを見て
「いってらっしゃい」
という返信をする。
今日が甲士園の最後の一日になる。
試合結果はどうであれ、彼に心からの野球をして欲しかった。
球場の上に広がる空は、決勝戦におあつらえ向きな
もうもうとした入道雲の立ちこめる快晴だった。
はるひとハリーにひと時の別れを告げ、
応援Tシャツを着てメガホンを持ち、千代美ちゃんの隣に座る。
選手がグラウンドに並び、
アナウンスが、試合の開始を告げた。
最後の試合に対し、回りの人たちもグラウンドを一心に見つめていた。
前日も酷使した喉で、はね学を鼓舞する。
「打て打てはね学!! 勝利を掴め!!」
「はーねがーくーっ!! ファイオ! ファイオ!」
近くで取材のカメラが回っている。
初めは緊張したけど、もう慣れた。
この炎天下の下、選手達は何百倍ものプレッシャーに耐えている。
応援団の席には、はば学からもらった応援旗がはためいていた。
『目指せはね学日本一!!』という元気の良い文字が、
白地にオレンジでふちどりされた生地の上で踊っている。
さっきは結果は気にしないと思っていたが、いざ本番になると
そんな傍観者みたいな余裕はなくなってしまった。
勝ってくれ。
とにかく勝ってほしい。
だが応援もむなしく、5回の表に倉泥臼が2点を入れてきた。
三塁に走者がいた状態でヒットを打たれ、球を取り損ねてしまったのだ。
あっという間に2点が入り、周囲の空気が絶望的な色に塗りつぶされた。
甲士園で初めて先制点を取られた。しかも倉泥臼。
「……」
「あっ…」
沈黙に包まれた応援席で、後ろから大声が飛んできた。
「オイッ!! まだこれからじゃねーか!!
応援すんぞッ!! 声出せッ!!!」
振り向くまでも無く、声の主が誰だかはわかった。
こんな伸びやかな声で叫べる人間は、私の中では一人しかいない。
その声を受け、千代美ちゃんの隣に座っていた氷上君も叫ぶ。
「その通りだ! さあ、応援を続けよう!!」
―氷上くんの口元は、少し笑っていた。
『生徒会長』の肩書きの重さを、この時初めて心底実感した。
彼の言葉を聞き、はね学応援席は再び活性化した。
応援するために来てるのに、応援を辞めたら意味が無い!!
―これが最後の試合なんだから、もうとにかく燃え尽きよう
「はーねがーくーっ!! ファイオ! ファイオ!」
私達は、必死でメガホンを振った。
だが、試合はこのまま動かない。
8回の表が終わったが、0-2ではね学はリードを許していた。
応援席にも、次第に緊張が強まっていく。
諦めてはいけないと思いつつも、試合は確実に終了へと近づいているのだ。
でも、応援席がそんなこと言ってたら―
8回裏。
汗だくになりながらメガホンを振っていると、
眼前で球音が響いた。
打った!
一番初めに打席に立った、9番打者の矢柄くんが外野にボールを飛ばした。
それは駆け寄ってきた投手の間をすり抜けるように落ち、
地面にバウンドする。
足の速い矢柄くんは、二塁まで走って行った。
私達は、沸く。
ノーアウト2塁。
二点差をひっくり返すには、十分なとっかかりだ。
終盤の出塁に投手の心が乱れたのか、
次に打席に立った、1番の吉本くんもフォアボールで塁に出る。
これで、ノーアウト1塁2塁になった。
私達は胸の高まりを抑えきれなかったが、
続く2番3番は三振に打ち取られた。
一気にツーアウト。
すべては、甲士園の魔物の気分次第なのか―
そして、彼がバッターボックスに現れた。
4番、志波勝己。
一度は去ったグラウンドに、自らの意思で再び現れた。
そして、この場面で打席に立つことを選ばれた―
これは、何かあるんだろうか。神の采配か。
甲士園は、志波くんを試しているんだろうか―
大観衆が、彼に注目している。
今日は、まだヒットを出していない。
調子が悪いんじゃ…と、はね学応援席には不安げな顔をする人もいた。
が、彼の表情はいつものままだ。
もし今、私が彼の隣に行けたなら、
「落ち着いて」とか「緊張しないで」とか言うのだろうか。
いや、言わない。
志波くんには必要がない。
彼は、自分で自分を律することが出来る。
一球目、
ファールで場外に。ワンストライク。
二球目、ボール。
三球目、再びボール。
四球目、空振り。
五球目、ボール…
ここでツーストライク、スリーボールになった。
彼がどうなるのかは、次の球次第である。
もしボールになるような球だったら、
志波くんは上手に見送ってフォアボールにしてしまうだろう。
個人プレイでチームのチャンスをつぶすような人ではない。
でも私は、志波くんに打って欲しかった。
このチャンスで、彼に勝負する機会を与えて欲しい。
延長にでもならない限りは、
志波くんの打席はこれで終わりだろう。
倉泥臼の投手に対し、どうか志波くんと勝負をしてくれますようにと祈った。
展開としては、フォアボールで満塁の方が良いのだろうが、
個人的には、ボールになってしまうような球を投げては欲しくなかった。
彼の高校野球を、完全燃焼の形で終わらせてほしい。
私がそう祈ったと同時に、投手がボールを投げた。
志波くんのバットが動く。
パコーンという音がして、ボールが大きく飛んだ。
その瞬間に、全ての音が止んだ。
…ように思えた。
皆が首を上に向け、ボールが空を飛んでいくのを見つめる。
悠々と飛ぶボールの後ろには、青い空と真っ白な入道雲がコントラストを作っていた。
その風景を見ていると、何故か宙に浮いているような気持になる。
つまり、現実味がまるで無かったのだ。
そしてそのまま、ボールは後方のフェンスを越えて観客席へと入っていった。
歓喜の声が周囲を包む。
言葉のあやではなく、スタンドが喜びに揺れた…ような気がした。
千代美ちゃんが顔を興奮で赤くして、私に抱きついてきた。
彼女の小さな体が、力強く私を抱きしめる。
思わず、私はつぶやいた。
「…入った」
二度目をつぶやくことで、やっと感情が追いつく。
「千代美ちゃん、入ったよ…! 志波くんがホームラン打った!!!」
私は顔をくしゃくしゃにして、彼女を抱きしめた。
そして顔をあげ、選手の帰還を見る。
志波くんを含む三人の選手が、本塁へと次々に戻って行った。
3-2。8回裏にして、試合が引っくり返った。
志波くんがホームを踏む。
その時に私の方を見て、本当に満足そうな「やりきったぞ」という笑顔を見せた。
私は思わず彼に手を振った。
彼はそれをみてクスッと笑ったが、すぐに野球部のメンバーにもみくちゃにされる。
ふと、彼の言葉を思い出した。
―オレが試合でホームランを打てたら、お前にやる
周囲の空気が止まる。
私だけが、熱気から隔絶される。
私のために打ったわけじゃないのはわかってるし、
あれははね学のホームランだ。
でも、その言葉を思うと、何故か涙が頬を伝っていた。
意味もわからずに、ありがとう、ありがとうと何度も思った。
続く9回では両者とも無得点のまま、試合は終了した。
初出場で甲士園優勝。
羽ヶ崎学園は、とんでもない奇跡を起こしたのだ。
→Hurry_7
リアル甲子園と甲士園の日程が…違ってました…
試合展開を書くのが大変でした。もう本当にぐだぐだで…
書き方とかを、色々勉強しないとな…と考えさせられました。
デイジーの甲士園や野球部への気持ちとか…難しかったです。
あと、デイジーの苗字を「小野」にしたことで
千代美ちゃんとまぎらわしくなってしまいました…(今更)
2010.10.2
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