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歩むと決めた道の先は、大斧で切断されていた。
志波くんを見舞った九月のあの日から、私は太郎くんに通ずるあらゆる道を探した。
もうこれ以上、自分の気持ちに嘘はつけない。
太郎くんに会わなきゃ。
会って、言わなきゃ。
あの時はごめんって。
身を震わせながら喫茶店に来てくれただろうに、私は彼を切り捨てた。
今は、とても後悔している。
そして私と太郎くんが付き合うことができないとしても、これだけは伝えておきたかった。
太郎くんが幸せになれないと、 私も幸せになることはできない。
太郎くんが痛いなら私は痛いし、太郎くんが泣くなら私も泣く。
だから太郎くん、幸せになって。
「マドンナ」なんか消しちゃって。
もしも太郎くんが心から笑えるなら、隣にいるのが私じゃなくてもいい。
だが、あらゆる努力を尽くしても、太郎くんの連絡先を知ることはできなかった。
「ごめんね、おねえちゃん。
本当はあいつの情報は昔は持ってたんだけど
…おねえちゃんの害になると思って、夏に捨てちゃったんだ」
お隣の窓越しから、遊くんは本当に申しわけなさそうに言った。
彼の判断は、常識的に考えて非常に賢明である。
そりゃ捨てるだろう。
恥を忍んで、二流つながりの真咲先輩にも聞いてみたが
学部が違うため、構内では三度くらいしか顔を見たことがないとの事だった。
共通の知り合いもいないらしい。
そして
「もうすぐ就活だから、オレが学校にはあんまり行かなくなっちまうかもしんねーな」
という先輩の言葉を聞き、私はうなだれる。
私が余りにも情けない顔をしていたのか、
先輩は妹でもあやすような感じでこう言ってくれた。
「…まぁ、もし顔を見かけたら伝えといてやるよ。
小野美奈子が探してるって」
そう言いながら先輩は
キツネの顔をしたオレンジの実がなった草、フォックスフェイスを一本だけ包んで渡してくれる。
「オレのおごりだ。食いモンじゃねーけど、元気だせ」
元々フォックスフェイスの可愛さを非常に気に入っていた私は、深々と頭を下げた。
更に、親しい友人達にもダメ元で太郎くんの連絡先を聞いてみた。
はるひは深いため息をつく。
「…真嶋の連絡先なぁ…。
在学中にあんだけやらかしといて、誰も携帯知らんかったみたいやなぁ。
意外にガード堅いねん。あいつ…」
ハリーにも聞いてみたが
ひどく複雑そうな顔をされた後、
「ワリィ、わかんねぇ」とポツリと言われた。
SNSもネットのコミュニティも、当たれる所は全部見たが
太郎くんという人間が最初から居なかったかのように、
何の手掛かりも見いだせなかった。
私が太郎くんの行方を必死に探しているうちに、
カレンダーが一枚、二枚とめくれていく。
気が付けば既に11月の上旬になっていた。
赤や黄色に色づいた紅葉が木々をかざり、暖かい食べ物が段々恋しくなってくる。
予定通り、アルカードのバイトは辞めた。
最終日に、店長が「お疲れ様」と言い、小さな花束を渡してくれた。
その不意打ちに心が熱くなったが、また一つ、太郎くんとの絆が消えた。
時の流れには、抗えない。
消えていく。私の中の太郎くんの跡が、少しずつ消えていく。
そう言えばつい先週のことだったが
奇跡的な再会をした。
だがその相手は太郎くんでは無く、
アルカードの店内にて、彼の隣で常に華やかに笑っていた
ナポリタンを食う女(私はナポ子と呼んでいた)である。
下校中に偶然立ち寄ったコンビニで、ナポ子はお弁当を選んでいた。
余りのことに勝手に運命を感じてしまった私は
うっかり彼女に話しかけてしまったのだ。
「あ、あの…っ!」
茸ご飯を手に取っていた彼女は大変驚いたようだが、私の真剣な表情を見て
「アンタまさか、まだあんなの追いかけてんの?」
と同情するような顔をする。
私が何も言えずに口をもごもごさせていると、
彼女はスッパリ言い放つ。
「…悪いけど、うちらとタローちゃんは、あの件以来連絡取ってないから。
アタシ二流生じゃないし、もう会う機会も無いと思うよ」
「…それでも、連絡先だけでもいいんです。お願いします」
ナポ子は可愛そうな子を見る目を私に向けるが、豪奢な革のバックから携帯を出す。
片手でボタンを押しながら言った。
「…そういえば、電話帳から僕のアドレスを消してくれってメールが最後に来たなー。
面倒くさいからそのままにしてたけど」
私の表情が、ぱっと明るくなった。
少しずつ、自分が矮小になっていく気がする。
「…タローちゃんって、何だかんだで潔癖だったんだよね。
アタシもご飯奢ってもらったり、一緒に騒いで遊んだくらいだし。
カップルとかじゃぁ、全然なかったよ」
ナポ子は遠い目で言う。
「可哀想だね、タローちゃん。きっとあの人、呪われてたんだよ。
遊んでるときも、何かたそがれてたし」
彼女は軽く笑ったが、そこにはかすかなる憐憫の色があった。
やがて彼女は赤外線ポートを私の方に向け、言う。
「ホラ、タローちゃんのデータ送ったげるよ。
アタシからもらったって、言っていいよ。
でもアンタ、物好きなんだねー」
私は何度も礼を言いながら、太郎くんの電話番号とアドレスを受け取った。
ああ、こんなシンプルなアドレスだったんだ。
それは想像していたものよりも、ずっとひねりがなかった。
その日の帰り道は、いつもよりもずっと長く感じる。
歩きながら連絡を取るだけの精神的余裕が、私にはなかった。
家に帰り、爆発しそうな衝動を抑え
必死で辺り差しさわりの無いメールを送る。
『小野です:
太郎くん、お久しぶりです。小野美奈子です。
メアドはナポリタンが好きな彼女から聞きました。
勝手に聞いてごめんなさい。
連絡が取りたいです。返信をください』
メールを送った直後に、返信がくる。
『指定されたメールアドレスは、存在しません。』
背筋が凍った。
わずかな望みをかけ、電話をかけてみる。
数回のコール音の後、
女性の平坦な声が聞こえてきた。
『…お客様のおかけになった番号は、現在使用されていません。もう一度番号をお確かめになって…』
太郎くんは、携帯そのものを解約していたのだ。
私は自分の携帯を、ベッドに力任せに投げつけた。
―終わった。
私と太郎くんの間にあった、最後の一筋のつながりが絶たれた気がした。
これだけやっても、太郎くんにはたどり着けなかった。
不思議と涙も出ず、私は
「ああ、よくやったなぁ」
などと変な達成感を得ていた。
「燃え尽きた」とは、こういう感情なのかもしれない。
あれから一週間が経ち、私の衝動はかなり弱まっていた。
太郎くんには会いたい。
でも、もう会える気がしない。
「…そんなに頑張ったのに、結局手掛かりなかったんやなぁ…」
はるひの残念そうな声が、屋上にこぼれる。
「美奈子さんは、十分頑張ったわよ」
ひーちゃんがお弁当を食べながら穏やかに言った。
今日ははるひとひーちゃんと、三人で屋上でお弁当である。
11月と言いつつも暖かい日だったので、それほど辛くは無かった。
はるひはすでに事を熟知していたが、
この二ヶ月の間で、ひーちゃんにもほぼ全部言ってしまった。
おこがましいことだが、はるひとは違う考えを持つ、
他の女の子の意見が欲しかったのである。
「うちの考えは偏っとるかもしれんから、その方がいいで」
と、はるひもそれに賛同してくれた。
太郎くんの話を聞いた時のひーちゃんの様子は、とてもここには書けない。
ただ、彼女が予想以上に多くの人切り文句と
何らかの隠された過去を持っていることがわかった。
だが私の気持ちを聞いたひーちゃんは次第に落ち着き、
今では客観的な視点でアドバイスをくれる存在になっていた。
「…美奈子さんは、真嶋先輩のことが好きだったのよね?」
「うん…」
「やれるだけのことは、やったのよね」
「…やったと思う」
「私だったら」
前置きして、彼女は言う。
「これが運命だったんだなって思っちゃう。
きっとここが、私と先輩との終着点だったんだって」
「…あんた、ドライやなー」
はるひの言葉に、ひーちゃんは可愛らしく笑った。
「…だって、そうなら仕方がないじゃない。
私なら、新しい人を見つけちゃうな。
それで、真嶋先輩とは二、三年後に偶然会って、ちょっとだけ世間話をするの。
あの時は、あんなことがあったねって。
それが理想的かな。
…でもきっと、私も人のことだからこんなことが言えるのかも」
ひーちゃんの言葉は確かに論理的すぎたが、正しいように私には思えた。
私と太郎くんは、もう会えない。
私は結局、学力と志望分野の都合で二流を目指すことになったが
かなり大きい大学だし、サークルも無数にある。
だからきっと、もう会えない。
いつの日かは会えるかもしれないが、それは現実的じゃない。
ああ、さよならなんだ。
この時完全に、憑き物が落ちたような気がした。
家に帰ると、自室の押し入れを開ける。
もうもうたる荷物の中で、
最上段に置かれている白い箱を手に取った。
蓋を開けると、それはほとんど入れた時のままの状態を保っていた。
ちょうど一年前に太郎くんに買ってもらった、
灯台型のガラスのランプ。
太郎くんが私に残してくれた、唯一の形あるものだった。
彼を切った夏のあの日までは、机の上に置いてあった。
だが太郎くんに最後の引導を突き付けた後も捨てることができず、
かと言って見ているのも辛かったので、
こうして押し入れの中で眠らせておいたのだ。
久しぶりに見るそれは、見れば見るほどに
羽ヶ崎の伝説の灯台にそっくりだった。
派手ではないけれど温かみのあるデザイン、素朴な白い色…。
まるで作者が、あの灯台を見ながら作ったんじゃないかというくらいだ。
羽ヶ崎の灯台のミニチュアとして売られてても、誰も疑わないだろう。
唯一の違いと行ったら、羽ヶ崎の灯台は一直線の強い光を放つが
このランプは淡く優しく回りを照らす、という所か。
後ろ側を見ると、作者の名前らしきものが彫ってあったが
よくわからない人だ。
地元の人だろうか?
非常に精巧でよくできたランプだと思うが、
私にとっては、手放さなくてはならないものだった。
これこそが、私が維持していた最後の砦、
私達がつながっているという、最後の望みでもあったのだ。
でも、もう持てない―
さよならを、してしまおう。
そしてこれほどよく出来たランプを、私の事情で日陰に隠しておくのは
やはり忍びないのだ。
きっと、もっとふさわしい場所があるはずだ。
だが、フリマに出すのはどうにも無理だ。
できれば、嫁入り先をこの手できちんと決めたかった。
灯台伝説をそのまま懐古させるようなこのランプには、
はばたき市の潮風をそのまま感じる場所こそふさわしい。
ふと、小さな記憶がよみがえる。
早朝の海岸、遠目に見える灯台。…入学式の朝。
そう言えば、あそこからなら灯台が見えるはずだ。
考えは出たものの、私はかなり躊躇した。
ランプにはふさわしい場所だが、私にはふさわしい場所ではないと思う。
アルバイト募集のメールを見逃してしまっていたこともあり、
あの場にいくのは少し気まずかった。
20分位うだうだ悩んでいたが、一大決心をして彼にメールを送る。
『こんにちは:
小野美奈子です。
突然メールしてごめんなさい。
実はお願いがあるんだけど、話を聞いてもらっても良いかな?
急ぎじゃないから、いつでも大丈夫です。』
その日の夜に、ようやく返信がきた。
『Re:こんにちは:
用件次第。
っていうか、まずは用事を書け。
今週の日曜なら空いてる。学校でなら明後日の放課後』
―日曜日に会ってくれる。
思いもよらない相手の反応に喜びを感じた。
直接お店にランプを持って行った方が、話もしやすい。
日曜でお願いします、お店に行ってもいい?
置いて欲しいものがあるから見て欲しい
―と、彼には再びメールを送信した。
しばらくして、承諾の返事がくる。
次の日曜の予定が埋まった。
喫茶珊瑚礁に、このランプを持っていく。
そして佐伯くんにお願いするのだ。
このランプを、お店に置いてくれないかと。
→20
瑛の名前が出ました。
途中までは意識して無かったのですが、いつの間にか
作中に瑛が出てないことに気がついたので、最後に出そうと思っていました。
瑛と総一郎さんを書くのが、凄く楽しみです…!
つうかデイジーの太郎捜査方法が若干怖いですね、すみません
ハリーは本当は、ネイで太郎のアドレスを入手できる環境にあるんですが
無理なのでああいう返事になってしまいました。
2011.1.9
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