←19
20
次の日曜の朝九時に『喫茶珊瑚礁』に向かった。
お店が始まると手伝いをしなければいけないから、
早朝の方が都合がいいと佐伯くんに言われたからだ。
お店は家から歩いてすぐだったし、話を聞いてくれるだけでも嬉しいので
私はその時間で快諾する。
灯台型のランプを厳重に数枚のプチプチでくるみ
買った時に入っていた箱の中に納める。
そしてそれを布の袋に入れた。
玄関を出ると、少しどんよりした曇り空が広がっているが、
雨が降る、という感じではない。
傘はいらないだろう。
家から海の方へ向かい、小さな道を縫うように歩いていくと
すぐに珊瑚礁に着いた。
その風景は入学式の朝に見てから、少しも変わっていない。
白い壁は、秋なりの海の色を引き立てていた。
アルバイトのメールを見逃したので足を遠のけてしまってはいたが、
やっぱり素敵なお店だなと思う。
携帯で時間を確認すると、『8:57』と出ている。
丁度いい位の時間だろう。
表口は閉まっていたので、少し躊躇しながら裏口に回り
ベルを押す。
「はい」
明らかに佐伯くんではない、老年の男性の声がした。
想定外の事態にびっくりしたが、そういえばお爺さんがいるという話を思い出す。
「あ、あの… 今日九時に佐伯くんとお約束をした、小野美奈子です」
妙に説明臭いセリフを発すると、呼応するようにドアが開いた。
「ああ、瑛のお友達ですね。めずらしい」
少し日焼けした感じの、穏やかそうな男性が姿を現した。
雰囲気が佐伯くんに似ている。
この人がお爺さんだということは、すぐにわかった。
「僕は瑛の祖父で、喫茶珊瑚礁のマスターです。
…瑛のやつは、今洗面所で格闘しているみたいだから、申し訳ないけれど
少し中で待ってて頂けますか?」
マスターがそう言った瞬間に
「余計なこと言うなって!!」
という大声が向こうから飛んできた。
学校での優等生な様子とは違う、子供っぽい等身大の声色。
お店の中に入ると、木目を中心にしたの内装が目に飛び込んでくる。
ぬくもりがあって、どこか懐かしい空気。
開店前でお客さんが居ないこともあいまってか、
まるで店内装飾の写真集に出てくるような風景だ。
「…素敵なお店」
思わず、口に出してしまった。
ここなら、この灯台型のランプもしっくりなじむだろう。
「おい」
気が付くと、目の前に佐伯くんが立っていた。
当たり前だけど、私服である。随分ラフな格好だった。
格闘したという割には、髪型はいつもの無造作っぽい感じだ。
「…早く見せろよ。置きたいものってやつ」
何故か少し不機嫌そうな彼に対し、マスターが言う。
「瑛、挨拶もしないで何だ。
女の子にはもっと優しく接しなさい」
「だってコイツ、絶対今、俺の髪型の事考えてる!」
正にその通りだったので、思わず噴きだしてしまう。
―佐伯くんのチョップは、マスターによって阻止された。
すでにマスターにも、話は届いていたようだった。
わざわざ私のために、コーヒーをいれて席に着かせてくれた。
私は恐縮しつつも、持ってきた灯台型ランプを二人に見せる。
傍らに立っていた二人は、それを見て素直に感嘆の色を浮かべた。
佐伯くんは窓の外から少し見える、本物の灯台を一瞥して言った。
「…すごいな。まるであの灯台そのものだ」
佐伯くんはガラス玉を見つめるような男の子の目で、ランプを見た。
先ほどの不機嫌はもう消えていて、その瞳には好奇心があふれている。
「これ、手にとっても良いか?」
私が頷くと、彼は大切そうにランプを持った。
「へぇ…。随分精巧に出来てるんだな。
ガラスの質感も、変にツヤツヤしてなくて、かえってしっくりくる」
「僕にも見せてくれないか」
マスターがそう言うと、佐伯くんはランプを大切そうに渡す。
「…ふむ。少し年代物なのかな…。とても綺麗だ」
マスターはそう言いながら、そっと裏を見た。
「この作者の名前、見覚えがあるな。
たしかはばたき市在住のガラス工芸家だ」
「お前、これどこで手に入れたんだ?」
佐伯くんの質問に、商店街で、と私は答える。
「へぇ…。大方、その店が作家から買ったのかな。
専属契約でもしてるとか。
でもこれ、一点ものっぽいな」
「私も詳しくは知らないけど…」
「HPとか、探せばあるかもしれない。気になる」
佐伯くんはすっかりランプが気にいったようで、ずっと熱心に眺めている。
これは、かなりの好感触だ。
「あの…もし良かったら、これを引き取って頂けませんか?
好きなようにしてくれていいので」
空気の良さを見計らい、思い切って切り込んだ。
途端に、佐伯くんとマスターの顔色が真面目なものになる。
コーヒーの爽やかな香りが、急に私の元へとやって来た気がした。
つまり、沈黙が生じたのだ。
「…どうして、ここを選んだんですか?」
マスターは静かな笑顔を作って私に聞いた。
「入学式の朝、道に迷ってこのお店に寄ったんです。
その時の帰り道で、灯台がお店の近くに見えていたのがとても印象的で。
だから、つい。
ご…ご迷惑をかけてたらすみません」
この時点で、私は自分がひどく迷惑なことをしているのではと心配になった。
押しかけ同然なのだから。
「迷惑だなんて、とんでもない」
マスターは優しく言う。
「僕はこのランプが、とても気に入りました。
ただ…」
「じいさん」
佐伯くんの強い口調がマスターの言葉をさえぎった。
マスターは佐伯くんの方を見て、諦めたように息をつく。
佐伯くんは場の空気を変えるつもりなのか、少し声を大きくして話す。
「これ、照明はつくのか?」
「つくよ。ここが電源」
「…明かりの様子は、夜にならないとわからないな。
置くにしても、どこがいいか、しばらく考えないといけない。
レジ横と窓際じゃ、全然違うからな。
窓際だとしても、上手い場所に置かないと光が邪魔になりかねないし…」
さっきまで子供っぽかった目は、すでにマネジメントを考える人間のものになっていた。
随分色々な考察をする佐伯くんの様子に、私は感心する。
「佐伯くん、凄いね。
私、そこまで全然考えが回って無かったよ」
「こういう細かい部分で、店の印象が全然変わるんだよ。
この店、将来俺がやってく予定だから…」
佐伯くんの少しだけ棘のあるような口調に、マスターは何故かうつむいた。
「…これ、無償でいいのか?
元々かなりのものだろ?」
佐伯くんの質問に、私は言う。
「もらってくれるだけでありがたいから、そんなの全然いいよ」
「…ふーん…」
彼は、深くは追求しなかった。
言えるわけない。
見てるとつらいから、このランプをもらって欲しいなんて。
私は、結局幸運な人魚にはなれなかった。
でも、このランプを見た誰かに、幸せな人魚になってほしい。
その人魚との出会いの場にふさわしいから、このお店を選びましただなんて。
言えない。
言えるわけが無い。
美味しいコーヒーも飲み終わり
(しかもお菓子まで頂いてしまった)
やがて帰宅予定の時間になった。
「じゃあ、これはウチで預かる」
佐伯くんはそう言い、ランプを箱に入れる。
「…ありがとな。
俺、こいういうの好きなんだ」
彼は率直に、嬉しそうな表情を見せた。
私が席を立とうとしたその時に、マスターが紙とペンを持ってきた。
「お嬢さん、良かったら連絡先を教えてくれませんか。
万が一の事情があって、これをこの店から手放す時がくるかもしれない。
その時は、僕はこれをあなたにお返ししたい」
「えっ…。あ、はい」
ちょっとはっきりしない言い方に対し
一瞬、店を畳むのか?と思ったが、まさかなとすぐに切り返す。
連絡先を聞くのはごく一般的な対応だ。
私は紙に、自分の住所と名前を書いた。
マスターは紙を受け取り、穏やかに微笑む。
「ありがとう。
…今日、珊瑚礁に来てくれて」
ふと窓の外を見ると、雨が降っていた。
大降りとまではいかないが、傘が無いと少し辛い。
傘を持たなかった自分を責めつつも、まあ仕方がないかと思う。
どうせ家まですぐだし、大したことはない。
こんな私を見て、二人は言う。
「あれ、おまえ、傘持ってないのか」
「風邪をひいたらいけない。瑛、送ってあげなさい」
大丈夫ですよ、と答える私に対して
佐伯くんは素直にマスターの言うことを聞いた。
「…わかった」
私はコーヒーとお菓子、
そしてランプを引き取ってくれることのお礼をマスターに言い、
佐伯くんと珊瑚礁を出た。
ぱらぱらと晩秋の雨が空から落ちてくる。
少し肌寒かった。
海の色も、何だか寂しそうだ。
佐伯くんに傘に入れてもらっているわけで、結果としては相合傘である。
それを思うと、急に緊張してくる。
そういえば、この人は学園の王子なんだ…
私の前では子供っぽい仕草をすることが多いけれど、やっぱりかっこいい。
一方の佐伯くんは、何かを考えているようで、沈黙を守っていた。
佐伯くんの機嫌というのは、結構扱いが難しい部分があるようなので、
下手に手を出すべきではない。
二人して無言で浜辺を歩いていたが、やがて彼が口を開く。
「なあ」
「何?」
「…ウチの店、おまえにとっては必要なものなのか?」
いきなり返事に困ることを聞かれたが、素直に答えた。
「あのランプを見て、珊瑚礁のことを思い出した。
珊瑚礁の近くに灯台があるなって…」
「おまえにとって、あのランプは何かの意味があるのか?」
「……」
沈黙する私に対し、佐伯くんは目を伏せた。
「…嫌なら言わなくていいけど…。
おまえにとって、大切なものを預かれる場所ってことはあってるのか?」
「うん。あってるよ」
私の返事に、佐伯くんはほんの少しだけ嬉しそうで、でもとても不安そうな顔をした。
「…珊瑚礁は…あっても良いんだよな?」
「…?」
彼の不安げな顔の真意がわかるのは、少し後のことだった。
私は自宅の前まで送ってくれた彼に対し、お礼を述べた。
佐伯くんは風邪ひくなよと言い、雨の中を戻ろうとする。
「佐伯くんも風邪ひかないでね。
あと、今日本当ににありがとう。
今度、お店に見に行くから」
私がかけた言葉に対し、彼は笑う。
「…絶対に来いよ。二年後でも三年後でもいいから」
―珊瑚礁閉店のメールを受け取った時、
彼のあの笑顔の裏に潜んでいた悲しさをようやく知った。
ひどい話ではあるが、それを聞いた途端に、
珊瑚礁に足を運ぶことができなくなった。
何も知らずに、ランプを押しつけてしまった自分が恥ずかしくなったのだ。
二人の気持ちも知らないで。
ごめんなさい。
だが佐伯くんから、ランプに関しての話を持ってくることは無かった。
私としても、彼があのランプを気にいっているなら、
そのまま持ち続けてくれて一向に構わなかった。
だってあれは、もう珊瑚礁にあげたものなんだから―
やがて珊瑚礁は閉店し、年が開けた。
私はニガコクの二人と初詣に行き、今年の皆の幸せを祈った。
佐伯くんは先に卒業証書を受け取り、実家に戻ったという話を聞いた。
志波くんは一流体育大学を受験し、
一方の私は、二月の末に二流大学を受けた。
―めくれていくカレンダーのように、全ては過ぎていくものなんだなぁ。
などとぬるい感傷につかっていると、思いがけない物が送られてきた。
3月1日。
卒業式前日の夜だった。
私宛に、宅配便が届いたのだ。
箱には『天地無用』のシールが貼られ
伝票には『割れ物注意』と書かれていた。
そしてしっかりと、日付指定がされている。
送り主は、佐伯くんだった。
送り主の住所は珊瑚礁だったが、伝票の字は多分佐伯くんが書いたものだ。
あれ?と思いつつも、箱を開ける。
そこには、あの灯台型ランプが入っていた。
正直、それは予想通りだった。
送らせるような手間を取らせてしまい、申し訳ないと思う。
そして、佐伯くんとマスターからの手紙が二通、同封されていた。
マスターの手紙を開ける。
『あの時に、閉店のことを言えなくて申し訳ない。
そのランプはお店の中で、きちんと珊瑚礁を彩ってくれました。
本当にありがとう。
ランプは、瑛の意思で今日、君の元に届くように私が送りました。
伝票は瑛が実家に戻る前に、置いて行ったものを貼っています。
あいつにはあいつなりに、色々な考えがあるようです。
それに君を巻き込んでしまってすまないけれど
あの時、珊瑚礁を訪ねてくれてありがとう。
佐伯 総一郎』
次に、佐伯くんからの手紙を開けた。
全てを読み終わった後に、私は愕然とする。
本当に細い偶然が、必死でより合わさって
一本の道筋を作り上げていたのだ。
珊瑚礁にこのランプを置いてもらって、本当に良かった。
―佐伯くん、ありがとう。
私は震える手で、戻ってきたランプの表面をそっとなでた。
これは、運命なのか。
全ては、あした明らかになる。
→Teru
瑛は書くのが難しかったです。
でも、瑛プレイは楽しかったです!
マスターも書けて嬉しいです。
個人的には珊瑚礁は夏も冬も対応できる、最強の喫茶店だと思ってます。
2011.2.12
back