20

Teru



小野美奈子が羽ヶ崎灯台にそっくりなランプを持ってきた日から
佐伯はずっとある疑問を抱えていた。

あのランプには、一体何があるのだろうか。
珊瑚礁に来た時の美奈子には、どうにも妙に悟ったような感じがあった。

ランプには愛着があるが、もう持っていれらない…という印象を佐伯は彼女から受けたのである。
もしもランプが不要であるならば、フリマ等で売った方が気楽なはずなのに
なぜ彼女はわざわざ、喫茶珊瑚礁にあれを持ってきたのか。

佐伯はとっくに、美奈子が子どもの頃に
あの灯台で会った女の子であることに気が付いていた。
それを知っての上で、あえて今まで彼女から一定の距離を取っていた。


小野美奈子は、昔とは違う少女になっていた。
もう、あいつを探す「若者」は俺じゃない―
あいつと俺は、別々の道を歩むんだ。

それを感じた時、不思議と佐伯に悔しさの感情はなかった。

残念だが、時が経ったということだ。
そして更に残念であったのが、自分がその変化を受け入れてしまう種類の人間であったことである。



また、大人が持つような「あきらめ」の感情と同時に
子供っぽい我も佐伯は持ち合わせていた。
おかしなことだが、両極端の性分が彼の中には存在している。

佐伯は、12月に入った今でも、喫茶珊瑚礁の閉店に納得できなかった。
もちろん閉店メールが発送されてしまった今では、それを覆すことなど無理であり
何よりも祖父が閉店を取りやめる訳がないのは知っていた。


「体がボロボロでも、ガタガタになっても、俺は珊瑚礁をやっていく。
 今までだってずっとそうしてきたんだ。
 大学に入ったって、何とかやってける」
何度、祖父にこう訴えたことだろう。

だが祖父は、頑として自分の意思を変えることは無かった。
「なら、将来店を開き直しなさい。
 今のお前はもう限界なんだ。
 このまま続けても、自分が倒れるだけだろう。

 お前に必要なのは、大学でしっかりと世間を見ることだ」


祖父の言葉は正論で、それゆえ余りにも痛かった。
確かに学業と喫茶店を無理矢理両立させたために、体は悲鳴をあげている。
でも、それでも俺には守りたいんだ。

自室で悔しさに頭を抱える日が続いたが、
もちろん客の前ではそんなそぶりは出せない。




メールを出してから、珊瑚礁の閉店を惜しむ客が急に足を運びだした。
客は皆暖かく、偽りのない言葉をかけてくれる。


「残念だねぇ。長年通わせてもらったのに…
 次に行く喫茶店なんか、思いつかないよ」

「出来れば、閉店を取りやめてもらえれば嬉しいんだけど、そうもいかないだろうしね。
 このコーヒーが飲めなくなるのはつらいよ」

「瑛くん、お疲れ様。よく頑張ったね」



「今までご来店頂き、本当にありがとうございました」
偽りのない言葉に、偽りの笑顔を向けるのが何よりも辛かった。

本当は俺だって閉店なんかしたくない。
もっとこの店をやりたい。
コーヒーの入れ方を極めたい―

だが、そんなことを言える訳もなかった。







美奈子の持ってきたランプは、散々思考錯誤した末に
店の中央に置くことにした。

周囲のテーブルを少しだけずらし、
小さなテーブルを一台持ってきて、そこにランプを置いたのだ。

夜になると、小さな灯りをつける。

その柔らかい光が、来客たちに大好評だった。
近くまで寄って見入る人も結構いる。

「外の灯台のレプリカですか?」と聞いてくる人もいた。





彼は美奈子に感謝しつつも、この灯台型ランプをどうしようかと悩んでいた。
店を閉じてしまえば、もう珊瑚礁を照らすことはない。
美奈子に返してしまうことも選択肢の一つではあった。

いわく無しのものならば、もらえるのなら自分が持っておきたい。
だが、このランプには何かがある。
美奈子はその「何か」ときちんと向かい合ったのだろうか。

美奈子の親友で、自分と腐れ縁の針谷なら何か知っているかもしれない。
だが、そこまでして人の秘密を暴きたいとは思えなかった。



―これ、俺が持っててもいいのかよ?


ランプを見ていると、時おりこの質問が佐伯の中を回る。













12月中旬のある夜。
すでに夜遅く、時計はラストオーダー5分前の時間を指していた。
あと30分ちょっとで閉店だ。

佐伯は残り少ない営業日をいとおしみつつ、
閉店の準備を少しづつ進めていた。
特に寒い日だったため、店内に客はすでにいない。

「マスター。ちょっと早めに閉めの準備をしてもいいか?」
「ああ、今日はもう来なそうだね。
 少しずつ、片づけていこうか」

外に行けば海特有の寒風が身をさすだろうが、
海は穏やかで、外に出れば波の一定のリズムが心地よく耳に入るだろう。


佐伯はクロスを持ちだして、テーブルを拭き始めた。






その時、店のベルがチリンと鳴って一人の男が店内に入ってくる。
「…すみません。まだ、注文大丈夫ですか?」

客の来店を知った瞬間に、佐伯の顔に爽やかな笑顔が浮かんだ。
「いらっしゃいませ。喫茶珊瑚礁にようこそ。
 もちろん、お伺いいたします」

男は安堵したように息をついたが、佐伯の顔を見てハッとしたような表情をした。
だが、それは佐伯も同じこと。


―この顔、どっかで見た。


そしてすぐに思い出す。
横に流した髪型と、切れ長の瞳。
独特のギリシャ彫刻のような雰囲気…


はね学で一つ上だった、真嶋太郎だ。




佐伯は真嶋とろくに話したことも無かったが、
彼のことを内心疎ましいと思っていた。

それは決してはね学プリンスとしての対抗心などではなく、
どことなく、自分と同じ仮面を被っている臭いを感じていたからだ。

誰にでも優しく、言動も爽やかで、文句のつけようがない。
自分が実践しているからこそ言えることだが、
そんな人間がいるはずがなかった。

綺麗にコーティングされたものの下には、猛烈に隠したい何かがある―
佐伯は真嶋の中に、どうしても自分の裏側を見てしまっていた。



だが、真嶋もきっとそうだったのだろう。
まあ、他人のことなどわからないが。

彼は一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに端正な顔を穏やかにする。
「あ… 佐伯くん…だよね? はば学の。
 僕もそうだったから…つい驚いちゃって。申し訳ないな」

流石に、しらばっくれる戦術は無理だと悟ったのか。
佐伯もにこやかに笑って言った。
「真嶋先輩…でしたよね?
 はい。佐伯です。
 覚えてくれたみたいで…ありがとうございます」

どうせ真嶋は高校を卒業しているんだし、店はもうすぐ閉店する。
もうバレても問題はないだろう。


「忘れないよ。
 『はば学のプリンス』なんだし」
「そんな、真嶋先輩だって…」


ぬるま湯をかけ合うようなしょうも無い会話が続いたが、
適当に流すのが一番だろう。

お客様には変わりが無い。





「今日は寒かったでしょう。
 暖かいコーヒーを入れますよ。

 それとも、紅茶の方がお好きですか?」

「そうだね。僕はどちらかというと紅茶派かな。
 ちょっと気まぐれに海まで来てみたら、随分冷えたから、ここに駆け込んだんだ」

なんでこんな夜にわざわざ冬の海に?と内心思ったが、
佐伯は笑顔を保つ。
「かしこまりました。
 メニューをお持ちします」


そう言って席を案内しようとした瞬間に、
真嶋の顔色が変わった。



社交の塊のような表情がはがれおち、
愕然としたものになる。



佐伯はその変化をさすがに怪訝に思った。
そしてよく見てみると、真嶋の視線が灯台型のランプにあることに気が付く。
さっきまでは佐伯の体が遮っいてて、視界に入っていなかったのだろう。



「これは…まさか…。そんなはずが…」

独り言のように、真嶋は言う。
更に、こう続けた。

「…このランプ、ちょっと見させてもらってもいいかな?」
「構いませんが…」


佐伯の返事もそこそこに、真嶋はランプに近寄った。
その様子は、明らかに今までの客とは違う。
ランプを楽しむために見ているのではなく、何かを点検するような様子であった。



何がどうなっているのか、ちっとも事態が飲み込めない。


やがて真嶋は、ひどく真剣な顔で佐伯に尋ねる。
「このランプ…どこで手に入れたんだい…?」
「僕の友人が、好意で持ってきてくれたんです」

その言葉を聞いた瞬間に、真嶋の表情にみるみる絶望の色が加わった。
「…そうか。…彼女は、やっぱり彼女は…僕を…僕の存在自体を、許せなかったんだ…」
彼は下を向き、その表情を隠した。


どうにも穏やかじゃない風向きに、佐伯はこう言い残して店の奥へ行く。
「…申し訳ありません。少しだけ待ってもらえますか」




厨房では、祖父が調理道具を洗っていた。
「じいさ…いや、マスター。
 もう今日は、外のメニュー表をしまっても大丈夫?」
「もうラストオーダーは過ぎてるし、お客さんも来ないだろうから良いだろう」
祖父はそう言いながら、シンクの水をふき取った。
「そうだ、瑛」
「…何?」
「僕はちょっと、自分の部屋で本を読みたくなった。
 もう少しで、犯人がわかるんだ。
 あのお客様が帰ったら、教えてくれ」

「…ありがとう。じいさん」
祖父の気遣いに礼を言い、佐伯はフロアに戻る。


そして速攻で外のメニュー表を店内に入れた。

もう、良いだろう。
仮面を一枚外しても。
既に真嶋は崩れているんだ。


戻ってきた佐伯を見て、真嶋は小さく言った。
「…すまない。つい取り乱したね」
「いいえ、気にしないで下さい。

 ただ…今から僕は『店員』じゃなくて
 『後輩』として話ができればと思っています。
 大丈夫ですか?」

「いや、そうしてくれ」

真嶋はそう言い、自分を何とか保つように薄く笑った。
「僕が聞きたいのは、真実なんだ…
 どんな残酷なことがあっても、今更気にしないさ」

いや、指でつついたら倒れるんじゃないかと佐伯は思ったが、
そのまま黙って小さく頷いた。

そして、真嶋がこのランプに関わっていることを確信する。

真嶋の女遊びは有名だったが、小野も何かされたのか?
そう言えば、野球部を急に辞めたような…
二年生の最後でという、明らかに不自然なタイミングで。


佐伯の胸は、ざわついた。
仮にも幼馴染である。
ことによっては、本気で怒ってしまうかもしれない。
だが、目の前の真嶋は今にも折れそうで、もはや怒れる雰囲気ですら無かった。


「…紅茶を、入れます。
 そこの椅子に座って頂けますか?」
佐伯はそう言い残し、店の奥で紅茶を二杯入れる。

ランプに一番近い席に座った真嶋の所に戻ると、
カップを席に置いた。

「…ありがとう」
真嶋は弱々しく言う。
だがその言葉が、かえって彼の生まれ持った気品を出していた。







佐伯は真嶋の向いに座り、口を開いた。
「あのランプを持ってきたのは、同じ学年の小野美奈子です」
「…わかったよ。見てすぐに。
 あれは…僕が彼女に買ったものなんだから」

やっと、つながりが見えた。
美奈子では、あのランプにはなかなか手が出ないだろうとずっと感じていたのだ。
このランプを作った作家のHPを見た所、オーダーメイド中心の作品を作っており、
商品によっては、かなりの高額になっていた。

買って与えた人間の存在を疑ってはいたが、真嶋だったとは。



紅茶を一口すすり、真嶋は問う。
「どうして彼女は、これをこの店に持ってきたんだい?」
「俺にもわかりません」
一人称が完全に素に戻っていたが、佐伯がそれに気が付くことも無かった。
「11月の終わりごろに、あいつから連絡があって、
 引き取って欲しいって。

 相当の値打ち物だって見てわかったから、本当に良いのか?って確認はしましたが」

「…持ちたく、なかったんだ。僕からもらったものなんか」
真嶋は自嘲的に言った。
「当然だ… 僕は、彼女を傷つけてばかりいたんだから。
 僕が、本当の僕をやっと出した時は、もう彼女から見捨てられていた」

抽象的すぎてよくわからなかったが、どうにも真嶋は何かわかってないな、と
佐伯は直感的に感じる。

珊瑚礁にランプを持ってきた美奈子の様子は、どう見えもそんな恨み節を抱えたようではなかった。


「…俺には事情はよくわかりませんが」
前置きをした上で、佐伯は語る。
「ランプを持ってきた時、小野はとても悩んでいるように見えました。
 そのランプを手放したくないけど、手放さなきゃいけない。

 そう思っているように、俺は感じました」

「君は、何もわかってないからそんな平和なことが言えるんだ」
かなり辛辣な言葉を吐いた後にハッとした顔をして、ごめん、と真嶋は付け加える。
「…僕は夏に、彼女に本当にひどい事をした。
 いや、ずっとひどい事をしつづけていたよ、本当に。

 でも、夏にとうとう愛想をつかされた。
 彼女はきっと、僕の顔も見たくないはずだよ」


真嶋の言葉の中に、かすかなズレを佐伯は発見する。
ほんの小さなことかもしれないが、もしかしたら大きな何かが隠れているかもしれない。
「夏に愛想をつかしたのなら、どうして夏にランプを手放さなかったんですか?
 見たくもないなら、すぐにでも売っぱらえば良いでしょう」

「……!」
予期せぬ佐伯の言葉に、真嶋は少しだけ目を見開いた。

佐伯は一気に言葉を畳みかける。
「でも、あいつは秋の終わりにこれを持ってきたんです。
 推測ですけど、その間に何かがあったと思います」


「…僕は…そんな風には思えないよ…」
真嶋は首を横に振って、紅茶を一口すすった。
「きっと、面倒くさかったんだ」


手放すのすら面倒くさくて、仕方が無いから珊瑚礁に押しつけました―
と暗に言われたようで、内心佐伯はムッとした。

美奈子がこの店にランプを持ってきたのは、何か意味があるはずだ。


灯台型のランプ。
真嶋に買ってもらったランプ…



そういえば、彼女はこの店から本物の灯台が見えることにやたらとこだわっていた。
灯台と言えば、あの人魚伝説である。

大昔に、祖父が自分と美奈子に話した物語だ。


―そう言えばあの時、俺は言ったっけ。
 僕なら必ず、人魚を見つけるよって。


マセガキだったなぁ…と思いつつも、佐伯は頭の中で論理を組み立てる。


美奈子はもしかして、人魚伝説に自分を重ねてしまっていたのではないか。
(本人に言ったら、恥ずかしがって否定するかもしれないが)
このランプを見ながら、若者との再会を待ち続けていたのではないか。

でも、彼女は人魚になることを諦めた。
だからこそ、本物の灯台が見えるこの店にランプを託したのではないだろうか…?
人魚伝説を継ぐ人間のために。


美奈子の話の若者役は、もう俺じゃない。





若者は―まだ航海にもでていなかった。



佐伯は真剣な表情で言う。
「先輩」
「…何?」
真嶋は怪訝そうな顔をした。

「羽ヶ崎の灯台伝説は、知ってますよね?」
「知ってるよ。完全ではないかもしれないけどね。
 
 情けない話だけど、彼女に見捨てられた後でも
 僕は彼女に会えるかと思って、時々あの海に足を運び続けていた位なんだから」

「…足を運ぶ?」

今度は佐伯が不思議そうな顔をする方だった。


真嶋は諦観しきったように言う。
きっと何度も、心中で反復したことなのだろう。
「…ほんの一瞬だけ、僕と彼女はわかりあえた時があった。
 七月だったかな。彼女が僕の愚行を許してくれて、浜辺で語り合ったんだ。

 色々回り道をしたけど、これからやり直そうって。 

 その時に、羽ヶ崎の灯台が強い光を放ってて…
 僕はそれを見て、人魚伝説を思い出した。
 子供っぽい伝説でも、僕の中では十分だったんだ。

 僕は思ったよ。やり直せるって。
 でも結果的には、全部甘かった」


それだ。


佐伯の疑惑は、確信に変わった。



美奈子は真嶋と「わかりあった」ことが忘れられなくて、
彼とやり直しをしたくて、ずっと灯台型ランプを持っていたんだ。

海にそびえ、光を放つ灯台は、彼女にとっても思い出の風景だったのだ。



美奈子も真嶋も、心に見ていた風景は同じものだった―





切り出して良いものか、佐伯は迷った。
美奈子のプライパシーもあるし、それ以外の人間のこともある。

だが言わなければ、永久に人魚と若者は離れ離れになってしまうだろう。
二人の間に起きた出来事は、思い出の中にゆっくりと沈殿してしまうだろう。

そんな大人びた方法をとる前に、まだ出来ることがあるはずだ。

おかしいな。いつもの俺ならこんなことはしないのに―


佐伯は口を開く。

「知ってるでしょうが…はね学野球部は、甲子園で優勝しました」
「もちろん知ってるよ。素直に凄いと思う」
「その後、小野が野球部の一人と付き合ってるって噂が流れました」

真嶋は自虐的に笑う。
「…相手は、きっと僕の予想通りなんだろうね。
 とてもお似合いだと思う。少なくとも、僕よりずっといい」

「でも」
佐伯の口調が鋭いものになる。
「結局その二人は、付き合ってはなかったんです。
 小野が、そいつと友達でいることを選んだんです。

 これは、俺がこいつらのダチから聞いたことで、確かです」


「…!」
真嶋は絶句する。
「な、何で…。相手の名前を言ってもいいよね…。
 志波くん…だろう?

 僕から見ても、彼らはふさわしいカップルだったはずだ。
 なのに何で…」

「わかりませんか?」
内心、少し上から目線になっている自分が痛いと思ったが、佐伯は言った。
「親友だって程に好きな相手と付き合わない理由なんか、一つしかないじゃないですか」



「………!!!」
その言葉を聞き、真嶋は席を立った。
そして灯台の方を向き、顔を覆う。














手で隠された顔からは、
気持が溢れ出んばかりに歪んだ口元以外の表情は見えなかったが、
水のようなものが、かすかに指の間から見えていた。














もうやるべきことはないと、佐伯は悟る。
少しの間だけ、席を外すことにした。

店から出て祖父の部屋に行き、今夜のお客さんからは料金を取らなくてもいいかと聞く。
「構わないさ。お前の知り合いだろう?」
祖父は笑った。





フロアに戻ってきた時には、既に真嶋は平常心を取り戻していた。
だが、目の回りが少し赤い。

佐伯は、最後に言い忘れていたことを思い出す。
「先輩、人魚伝説の最後は知ってますか?」
「知ってるよ。若者は、二度と戻らなかったんだろう?」


「…あくまでも俺の解釈ですが、あの話は未完なんです。
 だから、若者が人魚を見つける結末が付け加わってもいいはずです」

「…ありがとう」
真嶋のこの言葉には、一片の嘘の響きもなかった。
彼は穏やかに微笑む。


「小野の連絡先、教えましょうか?」
佐伯の言葉に対し、真嶋は言った。
「いや、今はいい…。
 馬鹿みたいな意地だけど、ここまできたら、最後まで『伝説』にこだわってみたいんだ。
 後で後悔するかもしれないけど、きっと変な見栄を捨てれば
 連絡先くらいは見つかるさ」


佐伯は、真嶋の意思を尊重した。




会計時、佐伯はお代は良いですと粘ったが、
僕は客だし、君の先輩だからと言われて結局料金をもらってしまう。


そして店を出る時に、真嶋は子供のように笑って言った。
「…ありがとう。今日、この店に来れてよかった」

おかしな話だが、客にそう言われると、
いつも佐伯は胸が震える程に嬉しくなるのだ。

「こちらこそ、ご来店ありがとうございました」
佐伯は頭を下げ、真嶋が店を出るのを見送った。













その日の夜、佐伯は美奈子にランプを返すことを決めた。
あえて、卒業式の前日に到着するように配送してもらおう。
自分は卒業式前に実家に帰ってしまうが、祖父に頼めば何とかなるはずだ。



そして、美奈子に手紙を書いた。




『小野へ


 この手紙を読むときは、もう卒業式の前日だと思う。
 ランプありがとう。
 あの時、閉店のこと言えなくてごめんな。

 正直、あのランプはすごく気に入ってたから、
 俺がもらおうか迷ってたんだけど、
 お前に返さなくちゃって、今日思った。




 今日、真嶋太郎が店に来た。
 お前は真嶋のこと、俺よりよく知ってると思う。

 真嶋、ランプ見て泣いてた。
 あいつ、お前と会うために、時々灯台の近くに行ってたらしい。


 なあ、小野。
 俺思うんだ。

 あの人魚伝説は悲しい終わり方かもしれないけれど、
 続きを作ることも、俺達は自由に出来るって。

 だから俺は、これをお前に返す。
 お前たちに、人魚伝説の続きを作ってほしいから。


 まぁ、なんか困ったことがあったなら、俺の携帯に連絡よこせ。
 じゃあな』



なんともまとまりの無い手紙になったが、これでも美奈子には通じるはずだ。
佐伯は珊瑚礁の印が押してある封筒に、書き終わった手紙を入れ、
それを机の中に閉まった。


窓の外に散る冬の星空を見つめながら、
卒業式の前夜にこの手紙を読む、人魚のことを考えた。

21



異様に、喫茶店での話し合い率が高い連載になってます。

瑛は理性的なようで結構熱い性格だと勝手に思っているのですが
やっぱり太郎と話す場面は書くのが難しかったです…

自分で書いておいて何ですが
冬の夜に海をうろつく太郎はドMだと思います。


2011.2.22

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