第二話

3





夏休みが明けた。





と言っても、休みの間も部活のために学校に出てきていたので、
そこまで新鮮味はない。
セミのミンミン声も八月のままだ。




でも、文化部の人が一気に戻ってきたことで、
学校の人口が急増した。

「あー!! 夏休み、終わるの早えーよ」
と言いながら、連れだって校内を歩く子を見るにたびに、
あー 二学期始ったなぁと私は実感する。


始業式の校長先生の話を斜め聞きし、
若王子先生からのアメリカみやげのボールペン
(なぜか「SUKONBU」と書かれていた)をもらったら、
そこからはもう放課後だ。




手提げバックにジャージを詰め込み、
クラスの子に「ばいばーい」と手を振って廊下に飛び出す。


部活の時間。








廊下を歩いていると、少し遠くで、おわっとするような大きな後ろ姿を発見した。
私は大声で彼の名を呼ぶ。

「志波くーん!」




彼は無言で私の方に振り返り、
「おう」と言いながら
軽く手を振る。


志波くんは、今年の六月に正式に野球部の部員になったばっかりだ。
背が高くて無口で目つきが鋭いので、
一年で出会ったばかりの頃は怖い人かと思っていたが、
のんびりと付き合ってみると、案外まっすぐで優しい子だった。


彼は中学校で野球をやっていたが、
最後の試合でトラブルをおこし、意図的に野球から遠ざかっていた。

私は初めの頃は、彼が野球をやっていたことを知らなかったので、
彼が心中に抱える陰りや、時折、私たちの練習風景をひっそりと
眺めている意味を理解できなかった。


私は彼と親しくなるにつれ、志波君が野球に並々ならぬ気持ちを
持っていることに気がついたが、
私がやんわり野球部に誘っても、彼は首を横にふるだけだった。

志波くんの瞳の中には、ひた隠しにしている何かがあった。
…その正体を知ったのは、つい今年に入ってからだったが。



でも今年の六月に、彼の中で何かが「溶けた」らしい。
練習試合での相手校ピッチャーの横暴な振る舞いに、
進んでバッターボックスに立ってくれたのだ。
打者席に立った志波くんは凄く堂々としていて、本当に頼もしく見えた。


志波君のおかけで試合に勝利することができ、
部員の熱烈なアプローチもあって、
彼はそのまま野球部に入部した。



志波君は色々と誤解されがちなタイプなので
野球部の皆とうまくやっていけるのか心配だったが、
同じものに情熱を注ぐ存在に、部員の皆は寛大だった。

知り合ったころに持っていた、相手を拒むような雰囲気も消え、
周りの仲間に、彼なりに淡々と心を許した。

そして皆も、志波君を受け入れて
この夏は太陽の下で共に甲士園を目指して戦った。


最終的に出場は逃してしまったが、
今年の夏は、本当に良い思い出が作れた。












私は志波くんにとてててててと寄り、
「オッス」
と笑いかける。


「…何だ、その挨拶」
「ハリーの真似」
「…微妙」
「正直すぎる」

彼の言葉に、私は口をとがらせる。
志波くんは、プッと静かに笑った。

志波君は確かに言葉たらずで誤解されやすい面があったが、
一歩裏返せば、嘘をつかないということになる。
私は彼の、そんな部分が好きだった。


「そういえばさ、はば学優勝したね、甲士園!」
「ああ、鈴木さん、凄かった」

―鈴木さん、というのは、今年のはば学のエースの名前だ。
 三年生で、甲士園の優勝投手だった。


はば学は去年も甲士園に出場しており、
鈴木さんは二年生投手として注目を浴びていた。
私たちが、一年生のころである。

その理由は、彼の球種の多彩さもあったが、
球児らしからぬ茶髪と、「ギャル男」といっても差し支えのない風貌にも
あったことは否定できない。

甲士園は確かに髪型の規定はないが、鈴木さんレベルはちょっと前例がなかったので、
マスコミたちは、少しからかい半分の視線で彼を追いかけた。


こうして注目をあびた鈴木さんだが、
甲士園の準々決勝で敗退してしまったのだ。
原因は、試合中のメンタル面の乱れだった。
プレッシャーで投球のリズムが乱れ、
それまで優勢だった試合情勢が一気に逆転されてしまったのだ。


その時のインタビューで、
「応援してくれた皆や先輩に…顔向けでき…ない」
とTVの前でぐちゃぐちゃになって鈴木さんは号泣した。
(もっとも、はば学のおじいちゃん監督は
 「選手の気持ちと、試合采配のバランスをうまく取れなかったに私の責任」と、
  カメラの前できっぱりと言ったが)



そしてはばたき市に戻った鈴木さんは、
部室にて、茶髪をばっさりとバリカンで刈ったそうだ。

秋になって、練習試合ではば学と試合をやるときに、
彼のすっきりっぷりにはね学の皆が驚いた。
「噂では聞いてたけど、まじで鈴木くん坊主だよ!」


それから一年間ずっと、本当に鈴木さんは丸坊主だった。
案外地味顔だったので、それが坊主とマッチして純朴そうな風貌に見える。





そして今年、はば学は優勝した。
優勝投手の鈴木さんは今年もTVの前で泣き、
涙声で「皆のおかげで、勝てました」と叫んだ。
その姿が聴衆の胸を打ったらしく、いまやマスコミ界のちょっとしたアイドルだ。







「同じ県のはば学が勝てて、嬉しいよ」
私は笑う。

近所のはば学の優勝に、はね学生徒も全体的に喜んでいた。
決勝戦は野球部の皆と一緒に、部室のテレビで応援したものだ。


でも、浮かれているだけの私と違い、志波君は来年を見据えていた。
「…鈴木さんは凄い。はば学も」
そこまで言うと、彼はじっと私の方を見る。

「でも、来年は勝つ」
志波君の目は、静かだったが燃えていた。


私は何も言わず、その言葉を静かに受け入れる。





野球部のマネージャーとして、正直に言うと、
はば学とはね学の実力差は、決して同じではない。


はば学は甲士園の常連だが、はね学はまだ出場経験さえない。
選手層の違いや、施設の充実度などは、
はね学はどう考えてもはば学にはかなわなかった。


はね学の選手の中で、唯一の一流体育大クラスの選手が、
今年の六月に入ったばかりの志波君だ。

彼は中学時代、野球をやっている市内の人間なら、
知らない者はない位の強打者だった。
中学生の頃から、甲士園行きを確実視されていたくらいに。




でも、部に入ったばかりの志波君では、
まだチームの中心にはなれない。

彼もそれをわかっているので、
あまり部内ででしゃばったり、
他の選手のやり方に口を出したりはしなかった。




来年こそは勝ちたい、と私も思っている。
だからこそ、今度の一年が本当に大切なのだ。


でも身近に「はば学」がいる限り、
はね学がはば学を避けて甲士園に出ることは不可能だ。

はば学は、県内ではある意味「王者」だった。
一応野球部連中とは顔見知なので
商店街で会った時などに、まれにからんだりする。
彼らは野球関連以外では、へらっへらした普通の男子高校生だが、
試合中の一体感と迫力は、見ている私たちを圧倒させた。


「あー… はば学強すぎだよ…」
私たちの前には、どうしようもなく大きな壁が立ちはだかっていた。


とにもかくにも、打倒はば学のために
後で監督や部長と相談して、練習のメニューを組もうと思っていると、
後ろから元気な女子の声がかかる。

「小野先輩、志波先輩、おはようございます!」


振り返ると、そこには小さな女の子が立っていた。
「あー、さっちゃん、おはよ!」



一個下で一年の野球部マネ、進藤幸子ちゃんだ。





150センチに満たない小柄な体の上に、
動き方がちょろちょろしているので、まるでハムスターのように見える。

天然パーマのかかったふわふわの天使みたいな髪と、
八重歯がチャームポイントだと、私は勝手に認定している。




「夏休み終わっちゃいましたねー 残念です」
さっちゃんは人見知りも物おじもしない子で、明るく元気ないい子だ。
初めは部員の皆が少し怖がっていた志波くんに対しても、
彼女は何の気負いもなく話しかけていた。



私がどんくさいので、さっちゃんがいて
作業的にも気持ち的にも楽になることが多かった。

野球部マネ、という意味では唯一の後輩である。
二人で洗濯や買出しをしながら、おしゃべりしているうちに
かなり親しくなることができた。




「終わっちゃったねー 宿題はやった?」
私の言葉に、さっちゃんは大きな笑顔をむける。
八重歯がくりっと見えた。
「昨日、超高速でつくろいましたよ!
 まじやばかったっすー

 あ、あたし一足先に、部室に行ってますね
 先輩がた、また後で!」


さっちゃんは言うが早いか駈け出して、廊下から姿を消した。
思わずチョロロロと、足音に擬音を入れたくなる。





「さっちゃん可愛いなぁ。若いなぁ」
「…お前も十分若いだろ」
「志波君だって、若いじゃん」
「俺は大抵、大学生に間違えられる」

志波君の言葉に、私はぷっと思わず噴き出してしまう。
「……」
手加減した軽いチョップが、私の頭上に落ちてきた。





そのまま少し廊下を歩くと、生徒会室の前に出る。

そこには、見覚えのある姿があった。

「赤城くん!」


私の声に対して、
さらっとした赤茶の髪の毛がなびき、「やあ」と軽く手をあげてくれる。
はば学の知り合いの赤城くんだ。

初対面で一緒に傘に入ったり、バスで乗り合わせたり、
ハンバーガーを一緒に食べたりと
やや不思議な縁が、彼とはある。



「どうしたの?」
私が彼の元に寄って聞くと、こう返事が返ってきた。
「生徒会の用事があって、はね学に来たんだ。
 もう用事が終わって、今出てきたところ。

 …初めて校舎内にはいったけど、綺麗な学校なんだね」

割と新しい学校だからね、と私が返すと、
赤城くんは、いや、綺麗だよとしきりに繰り返した。





会話が少し手持無沙汰になってしまったので、
志波くんの方に手を向けて、赤城くんに言った。
「赤城くん、こちらは志波くん。うちの野球部」


「初めまして」
赤城くんが笑うと、志波くんも「よろしく」と言った。
…知り合ったころと比べると、志波くんも本当に少し柔らかくなった。

「…甲士園優勝、おめでとう。凄かった。」
志波くんの言葉に、「ありがとう、まあ、僕は野球部じゃないけど」
と赤城くんは返した。

悪気はないけど一言多い、というのが赤城くんの特徴だった。
まあ、それは本人も自覚しているらしい。


「今年は志波がくるからやばいって、僕の友達で野球部のやつが言ってたよ。
 確かに志波くんの凄さは、素人の僕でも分かるし」
「野球部のやつって、誰だ…?」
「そいつは二軍だから、たぶんわからないと思う。
 でも、『志波に注意』は、はば学野球部の共通認識みたいだ」

その言葉を聞いた瞬間、『猛犬注意』のプレートが浮かんできて、
私は少し笑いそうになる。

それをこらえて
「そうだよ、志波くんは凄いよ!」
と、自校の選手の自慢をしておいた。
だが、志波くんは目を伏せる。
「…いや、地区予選で、俺は鈴木さんから一本も打てなかった」

「ああ、鈴木さんは別格だから。
 あの人の勝利に対する執念は、ちょっと凄いものがあるよ」
赤城くんの言葉に、志波くんが食いついた。
「鈴木さんと、知り合いなのか?」

「そこまで深い知り合いってほどじゃないけど、野球部は校内で有名だし、
 僕は生徒会だから、何かと部長の鈴木さんとは交流があるんだ。
 優勝祝賀パーティの時も、OBの先輩方をもてなすために、
 食材調達に走り回ったのも僕ら生徒会だし」

それがちょうどおとといで、実は結構疲れたよ、と赤城くんはぼやいた。
それでも、ちょっと満足そうな表情が、彼の愛校心をのぞかせている。

「OB…」
志波くんがつぶやくと、赤城くんが返した。
「ああ、30代から大学生まで、幅広く。
 30代くらいの方はさすがに接していて緊張するけど、
 大学生の先輩方はかなり気さくだよ。話しやすい人が多くてね」

「すごいね。歴史があるんだ」
私の言葉に、赤城くんはこう答えた。
「だからこそ、僕らは負けるわけにはいかないんだ。
 先輩方の築いてきた礎を、崩すことなんかできない」



彼の言葉に、私と志波くんは絶句した。
まさに「王者」の言葉だったからだ。

口からこぼれる、絶対の自信。



「いや、僕はそもそも野球部じゃないから、こんなこというのもあれだけどね…」
照れ隠しに赤城くんは笑うが、それでも彼は自校の野球部に誇りを持っている。
いや、彼だけじゃない。きっとはば学全体がそうなんだろう。



来年、私たちは、ここまで勝ち上がれるのか、本当に。






その時、廊下の向こうから、
こっち側へと歩いてきた人影があった。

物憂げな瞳をして顔を下に向け、溜息をついているようだ。
その姿には、やはり例の、初めてあった日に見たような
あの「ものがなしさ」がこびりついているような様子だった。

彼の姿は、校庭の中でもすぐわかる。
何というか、雰囲気が独特なのだ。
高校生らしくない。
特に何もせずに体操服で突っ立っているだけなのに、
回りの人々の醸し出す、青春群像劇をはねのけるようなものが彼にはあった。


実際問題、今日この場面でも、
なぜか彼は赤城くん以上に校舎から浮いていたのだ。




私は反射的に叫んだ。
「太郎くん!」


私の声に、声をかけられた人―太郎くん本人以上に
びっくりしたような顔をした人がいる。
志波くんだ。
「…知り合いか? 先輩に『くん』呼び…?」



一方の太郎くんは、私を見ると一秒間だけ停止して
本当にあっさりとした様子で、笑顔を見せてやってきた。

「やあ、久しぶりだね。終業式以来?」
学校で後輩に名前を呼ばれることに、何のためらいもないようである。





つい太郎くんを勢いで呼んでしまったが、私はその次の行動に困っていた。
私と太郎くんと志波くんと赤城くん。



話題が無い。

太郎くんに言いたいことや聞きたいことはたくさんあったが、
それは他の人の前で話すことではない。

仕方がないので、成り行きで太郎くんを他の二人に紹介することにした。
「あの…こちら、一年先輩の真嶋太郎さん」

私の言葉を受けて、太郎くんは少しだけ口元をあげて笑う。
「はじめまして」


きっと、私の無計画さをまぬけだと感じているんだろう。
それでも、こんな訳のわからない場面に残っていてくれる太郎くんの優しさが、
なんとなくうっすらと伝わってきた。
「太郎くん、こちらははば学の赤城くん。…制服で学校わかるよね。
 で、こっちは野球部サードの志波くん」





赤城くんの方が、明らかに人慣れしていた。
彼は社交的な様子で笑顔を作り、少しだけうなづいて、話し出す。
「初めまして。僕は赤城一雪。小野さんの友人です。
 生徒会をやっているので、その用で今日はこちらに来ました」

「へえ、ようこそはね学へ」
太郎くんは誰にもそうするように社交的に笑い、先輩の余裕を見せた。


「はば学っていったらさ、今年の甲士園で優勝したところだよ
 …って、太郎君も知ってるよね? 凄いよね」








私の言葉を聞くと、急に太郎くんの表情が変わった。
涼しげな瞳はより冷えたものとなり、
あざけるかのような顔で赤城くんを見る。

それは今まで見せたことの無いような、
人を明らかに上から見下したものだった。
そして私は、そういう顔をする人を見ると、心底悲しくなる人種であったのだ。

どうしたの、この人は?
なんでそんな顔をするの?





そして太郎くんの次の言葉が、場の空気を修復不可能なものとした。

「…野球には悪いけど興味がなくてね。
 ああいう泥まみれで汗臭いスポーツは、僕の感性の対局だから。
 ああいう人たちって、結局皆目立ちたがり屋なだけなんでしょ?」



私は絶句した。
野球部のマネージャーとしても、一人の女子生徒としても。


太郎くんは、時々軽妙でくすぐったい軽口を叩くことはあったものの、
こんな、他人を不愉快にさせる言葉を軽々しく吐く人ではない。
…気弱で優しい彼女に気を使って、わざわざ振ってもらう場面以外、では…


何があったの?
どうしたの?




と私が言いそうになっていると、志波くんが太郎くんを強く睨みつけた。


しまった。







志波くんにとってグラウンドは、
一度は野球を捨てて、それでも白球への夢を諦めきれなくて、
フェンスごしから私たちを見つめていて、
何度も何度も立ち止まり、自問自答に苦しみながら、
ようやく戻ってこれた場所なのだ。


彼にとっては、太郎くんの言葉は許し難いだろう。
きっと、この場にいる誰よりも、今腹を立てている。


私はどうしても、不安を感じざるを得なかった。
つい声を出してしまう。
「志波くん、悪気はないの、この人に悪気はないの」

志波くんを止めるのに、必死だった。


でも、志波くんは私が思っていたよりも、ずっとずっと大人だった。
彼は何も言わずに太郎くんを一瞥すると、
私に向かって

「部室に行く」
と言い残し、この場を去る。




志波くんは、自分が事をおこしたら
野球部がどうなってしまうのかを、
誰よりも身を持って知っていた。



遠ざかってゆく彼の背中から、
必死で押し殺したような怒りの色がにじみ出ていた。

私は内心、志波くんに「ごめん」と思う。






赤城くんも、心中穏やかではなかったに違いない。
でも、もともと皮肉屋な彼のこと。

「…真嶋さん、あなたが先輩で残念ですよ。
 そうじゃないなら、僕はここであなたと正々堂々と戦って、嫌味の一つでも言えるのに」

相手が他校の先輩でも、しっかりと言うべきことは言う。

それに対して、太郎くんはふっと笑っただけだった。
「じゃあ、飛び級でもしてもらおうかな」



そして赤城くんは
「じゃあ、用も済んだし僕はこれで。
 小野さんも今度はば学に来るといいよ。
 面白い先生がいるから」
と言い、私に手を振って帰って行った。

彼もある意味、大人である。










―二人っきりになった。



私はあたりに構わずに、太郎くんに激しい口調で詰め寄る。
「太郎くん、どうしてあんなこと言うの!?」

通行人がこっちをチラチラとみているが、
私は衝動を抑えることはできなかった。



本当は、真咲先輩との帰り道で太郎くんを見かけたことを伝え、
私と真咲先輩をカップルだと思ったのかどうかを聞きたかったが、
今やそれはすっかり薄れてしまっていた。


野球を馬鹿にするなんて、いくら太郎くんでも許せない。
私が野球部マネだって、知らなかったなんて、言わせない。


「ああ、まあ…ちょっと虫の居所が悪くてね。すまなかったよ」
太郎くんは、申し訳なさそうな顔をする。
でも、こんなんじゃ私は納得できない。ごまかさないでほしい。



私はまだいい。
でも、志波くんは―

「志波くんはね、野球が大好きなんだよ?
 さっきの言葉、正しくないよ。
 志波くんが目立ちたがり屋なんて、とんでもない。
 むしろその逆で、彼は注目されすぎたせいでー」

「ゴメン、僕は彼に興味はない」
私の言葉に対して、太郎くんはぴしゃりと終止符を打つ。
そして続ける。


「君は何? ここで僕と不毛な喧嘩をしたいの?
 さっきのことは悪かった。謝るよ」




彼の上っ面だけを整えたような様子に、私は思わずこう言った。
「太郎くんらしくない。
 あんな悪意に満ちた言葉を言うなんて、太郎くんらしくない」


その言葉を聞いた瞬間に、太郎くんの表情が心底「面白い」と言わんばかりに歪む。

そして、本当に小さな声で、こう言い捨てたのだ。
おそらく独り言のつもりなんだろうが、私の耳には届いてた。


「ふん、僕の何を知ってんだか」














衝撃だった。


私の顔色が変わったのに、彼は気がついたのだろう。
同時に、自分の言葉が私の耳に入ってしまったことにも。


「……」
彼は本の少しだけ斜め下を向き、ふっと息を吐いた。
その様子からは、彼の心中を察するのは不可能だ。

しかし、太郎くんは明らかに今まで見せたことのない表情をしていた。
まるで、何かを取り繕うみたいな。
彼をまとう孤高のオーラが、一瞬だけ崩れたような気がする。



でも、彼はプロだ。
ああ、そろそろ教室に戻らなきゃと言って、私の元から去ろうとする。
そして去り際に、私の耳元でこうささやいたのだ。
「来週の日曜日に、デートしようか。森林公園で、午後一時に。いいね?」


「えっ…」 私がそう反射的に呟いた時には、すでに太郎くんは廊下の遠くを歩いていて、
いっさい後ろを振り向かなかった。
すでに、私が拒否をする余地はない。


太郎くんが、強引に約束を入れてきた。




私の周りを、もやもやがかけ巡る。






太郎くんは、私の思っていた「太郎くん」とは
もしかして、まったくの別人なんだろうか?


だって、私の知ってる太郎くんは
人の打ち込むものを、ゴミのように切り捨てる人ではない。


今までは、舞台で見たあの圧倒的な、寂しげなオーラに惹かれてはいたが、
ぶっちゃけて、私が追っかけるような価値のある人なのか?







私には、追及する義務があった。
彼が本当はどういう人間なのか。


―見据えてやろう。




来週の日曜日が、私の中で決戦に認定された。




第四話


デイジーの思い描いている「ギリシャ太郎」と、
リアル太郎のズレを、デイジーが認識し始める感じ…を
書きたかったんだと思います。

つうかデイジーに疑いをもたれた時点で、
太郎ルートへののライフは1くらいなのでは…(笑)

連載にも関わらず一話が激烈に長くなってしまい
申し訳ありませんm(--;)m


そしてオリキャラのさっちゃんが登場しました。
彼女はかなり重要な役どころであり、
書きやすい性格なので、楽しんで動かしていきたいです。

2008.8.21

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