第四話

5





ぼやぼやしているうちに9月と10月が過ぎ去り、
気づけば秋も今月で最後になった。

そして今日は、11月第3週の始まりの日だ。
文化祭と昨日の野球部全体練習の疲れが残っていてちょっとしんどかったが、
案外気力で何とかなるものだ。
…もっとも、授業中は寝てしまっていたが。




そしてうちのクラスに転校生の男の子が来てから、
一か月以上が経っていたことに、ふと気づく。

黒い学ランに身を包んだ、しっとり気味の男の子。


黒板前に立っていた彼は、本当にどしゃ降りの中の犬のようで、
始終うつむいたままだった。
煮え切らない彼に対し、クラスメートが野次を飛ばしたので
反射的に制したまでは良かったのだが、
それをきっかけに、私は若王子先生に「古森係」をやってくないかと打診されたのだ。

古森くんの力になりたかったし、本当にその役割を引き受けたかったが、
野球部とアンネリーでパンパンの私の日常に、それを入れる余裕はなかった。

その日、一日だけ「考えさせてください」と猶予をもらい、友人と帰宅をした。
で、思い余って友人にその顛末を話したら、彼女が「古森係」を引き受けてくれた。

面倒見の良い子だし、若王子先生も「彼女なら安心です」と了承してくれたので、
今その友人は、毎日古森くんの家にプリントを持っていっている。










今日は帰りに誰にも会わなかったので、一人で帰宅することにした。

頭の中で流行りの曲を流しながら、
学校の第二駐輪場(めったに使う人がいない・別名「若ちゃんの餌やり場」)の
外側の道路を歩いていると、聞きなれた二人の声が耳に入ってきた。
校内と外を隔てるフェンスと木のせいで姿は見えないが、あの声は間違いない。


「だーかーらっ! 忘れたとは言わせねえ!
 ちょうど一年半近く前、お前は校庭でハードルを…」
「それはもういい」
「よくねえっ! いいか、屋上で俺は見たんだからな!
 このハリー様の視力をなめんなよ」
「…何で他人のことを、そんなに覚えてるんだ」
「バーカ!! アーティストの観察力を見くびるな。
 屋上でギター練習をしてたら、見えちまったんだよ!
 つうか、普通に覚えてるっつーの。忘れてたら、むしろ俺が相当ヤバい…」


間違いない。
ニガコクの二人だ。



志波くんとの仲は今更言うに及ばずだが、
私はハリーとも相当仲が良い。

というか、私にハリーを紹介してくれたのが志波くんなのだ。
意外にも、彼らは友達だったのだ。

私はハリーの作る曲が大好きだったが、
ハリーが私の好きな「劇団春夏秋冬」を「ダセェ」と否定したことにより、
残念ながら、現時点での我々の音楽的見解は対立している。

だがそれを抜きにしても、私はハリーが大好きだった。

自己主張がうるさいくせに、妙におせっかいで面倒見が良い。
同じおせっかい通しで言い合いになることも多かったが、
大事な存在だ。



せっかくニガコクとフェンス越しに対面したので、
この機会に大声で「オーーーーーーッス!!!!」と叫んでみようかと思ったのだが、
一呼吸早く、後方から私におっとりした声が降りかかってきた。

「あら、美奈子さんじゃない?」
後ろを向くと、ひーちゃんが笑顔で立っていた。
相変わらず、今日も美人だ。


その声に呼応するかのように、ニガコクの会話が止まる。


やれやれ、私がいるのがばれちゃったよと思いつつも、
私がひーちゃんに信愛の情を見せようとした時、
フェンスの向こうからハリーの声が飛んできた。

「美奈子っ!? 美奈子がいんのか…!?」

「いる」
私が簡潔に返事をすると、突然矢のような怒声が降ってくる。

「お前、何時何分、地球が何回まわった時からそこにいたぁっ!?
 っていうかまじありえねーだろっ! どこの国の卑怯もんだよっ!!」

その口調に、短気な私はムッとする。
ただ歩いていたのに、何でそんなことを言われなくてはいけないのか


「何それ、ひどくない? ちょっととがってるからって」
「テメーが平べったすぎんだよ!」

―女子に対する禁句が繰り出された。




貴様、来年海に連れてくぞ


私がヒートする直前に、フェンス向こうから別の声が響く。
「何だ、君たち、
 地球の自転に興味があるのか?
 地球がまわった回数は、実はすでに解明することが可能なんだよ」


独特の澄んだ声。
氷上くんだ。

…いつからいたの?


「はぁっ!? 何いってんだよお前、空気読めっつーの!」
向こう側で憤慨するハリーをよそに、ひーちゃんが私の肩をトントン、とつつく。


目があった。


ひーちゃんがニコッと笑う。
「帰ろう」の合図だ。


大いに賛同したので、私たちは何も言わずその場を後にした。

―この時はまだ、気がつかなかった。
 私の存在がばれてから、志波くんが一言も言葉を発しなかったことに。
 そして、その理由にも








私達は、通学路の並木道をてくてくと歩く。
いつのまにか、道の両脇の木が色づいて黄色に変わっていた。
もうすぐで、冬になる。




「針谷くんって、可愛いわね」
ひーちゃんは楽しそうに笑っていたが、
「…そうかな」
平べったい呼ばわりされた私は当面失笑しかできなかった。


「そういえば美奈子さん、次の日曜に誕生日だったわね」
ひーちゃんが思い出したようにつぶやく。

覚えていてくれたのが、純粋にうれしかった。

私は照れた様に笑い、無言で頭をかく。
反応が男子生徒のようで、なんだかうすら気持ち悪い。
だって、ひーちゃんが美人なんだもんよ


「うん、また一つ、むりやり大人に近づくよ」
「もー! 何いってんのこの子は」
私の言葉に、彼女は笑って返してくれた。










ひーちゃんと別れた後に、商店街に用事があったのをふと思い出した。
カバンの中を見ると、ビデオショップのTURAYAの青い袋が目に入る。
今日が返却期限のDVD。

そうだ、これを返さなくちゃいけなかったんだ。

少し帰るルートからずれるけど、まあ仕方がない。






大通りにあるTURAYAでビデオを返した後、
なんとなくぼんやりした気持ちになっていたので、
普段あまり行かないような、商店街の小さな店を散策してみることにした。


そういえば、この辺りには、一人ではあまり来たことがない。
うっかりした所に小さなリサイクルショップや、金魚が泳ぐアクアリウムショップなどがあり、
口をあけて何となく見入っていると、誰かが後ろから肩をトントンと叩いてきた。


まったく意図していなかったので、純粋に「誰?」と思い後ろを振り向くと、
そこにいたのは彼だった。
いつもの、すごくさわやかな、そのギリシャ。

「…太郎くん?」
私の言葉に、彼は「やぁ」と薄くほほ笑んだ。
相変わらず、隙のない笑顔である。
しかもなぜ、こんな商店街の片隅に彼がいるのか、その狙ったかのような登場はなんなのかなど、
色々な疑問が一気に吹き上げてきて、私は少し硬直する。


その様子を見て、彼は私の疑問を悟ったらしい。
聞いてもいないのに、ここに来た理由を教えてくれた。
「母親の誕生日プレゼントを、買いにきたんだ。
 彼女、この近くの雑貨屋で売ってたオルゴールをすごく欲しがってたもんだから」

「え、お母さんの…誕生日プレゼント…?」
その妙に牧歌的な理由に対して、私の中で、無性に微笑ましさが湧き上がる。

太郎くんが、お母さんのプレゼントを、商店街に買いにきた。


太郎くんと地元の商店街の妙なミスマッチさと、意外と家族想いなんだなという気持ちが相まって、
私はプッと笑ってしまった。

その様子を見て、太郎くんは少しすねたように笑う。
「あ、やっぱり笑ったね
 僕にここは、似合わないってこと?」


うっすらとしたからまれ具合が変に心地よくて、私は違う違うと首を振った。
「太郎くん、お母さん想いなんだなって。何かいいなぁって思ったんだよ」


ふぅん、と彼は小さくつぶやくと、こう言ってきた。
「そうだ、良かったらちょっとお茶でもする?
 雑貨屋はまだやってるし、せっかくだから」
彼の提案に、私は素直にうなづいた。


校内や通学路以外で太郎くんとじっくり話すのは、九月のデート以来ではないだろうか。

彼は私のうなづきを確認すると、にっこりと笑う。
「じゃあ、この近くにある、『アルカード』って喫茶店に行こうか。行きつけなんだ」

私は太郎くんの後を、ちょろちょろとついていった。












アルカードは初めてだったがケーキも紅茶も美味しくて、
我々は楽しい時間を持つことができた。

会話の内容は、ほとんどがたわいのないおしゃべりだったが、
話していて、やっぱり私はもやもやを感じた。

何というか、太郎くんはあっさりしすぎているのだ。
会話にも動作にも、おどおどしたものが一切なく、
それゆえ、常に優位にたっている。


だけれども、私はあの始業式の日に、彼の本性の片鱗を見た。

いや、今思うと、初夏に校庭の中庭で見た、
あの修羅場の言動も、彼の本性なのではないか。



―君には初めからうんざりしてた。
 今日で限界だ

こんな感じの言葉だった。


私が言われたら、一週間は寝込みそうな言葉ではある。



いや、あの時の太郎くんは本当に悪辣漢の印象を放っていたが、まだ演技臭さをもっていた。
でも始業式の太郎くんは、完全に「素」の部分が出ていた。


―ふん、僕の何を知ってんだか





自分が言われた言葉だけあって、一語一句きちんと暗記している。

じゃあ見せろ、と私は思う。
こっちが結構な情報開示をしているのに、彼は何も見せてくれない。

何かから逃げているんじゃないだろうか
ここで一言「私たち、つきあってるの?」と聞いて、
コーヒーを飲む彼の手を止めてみたい、という欲求に駆られる。

太郎くんは、言うならばかさぶたであった。
内部に色々隠しながら、表面は乾いている。いや、必死で乾いたように見せている。
それをひっぱがしたら、一体どういうことになるんだろう。

傷があるなら、見せてほしい。私がそれを、治してあげる


でも私も結局逃げていた。
振られるのが怖いから。
太郎くんは受験で忙しいから、面倒なことは3月までとっておかなくちゃ


…などという思いを私は隠しつつ、彼のクラスメートや授業の話、
先日の文化祭の話などを、にこやかな顔で聞いていた。








アルカードを出た後、太郎くんは小さな雑貨店へ寄っていくと言った。
彼が私に「どうする?」と聞いたので、私は素直にくっついていく。

少しでも太郎くんの内側に入りたかった。


商店街の隅にある古いお店に、太郎くんは吸い込まれるようにして入っていった。
私もそこに続く。

店内は小さかったが、手の込んだアンティークっぽい雑貨が並べられていて、
見ている者の興味を引き付けた。
彼は店の一角に並んでいる、宝石箱のようなオルゴールを見ていたが、小さく首をひねると私に聞いた。
「…君だったら、どれが良いと思う?」
「え」
いきなり振られた話題に対し、私は驚きを隠せない。

「私が選んでもいいの?」
「僕、ちょっとこういうのって詳しくなくて。やっぱり女の子のほうが、こういうセンスはあるからさ」

彼は数個のオルゴールを指差して、これとこれはもう家にあるから、と言った。
「それ以外ので、何かいいの、無いかな?」
「…太郎くんのお母さんって、どんな人?」
「無意味に豪奢な人…かな」

微妙に太郎くんに似てると思ったが、そこは堪えるのが空気を読む秘訣である。


ここでもし私が、 「太郎くんのお母さん、見てみたいな」とか言ってみたら、
一体どういうことになるのだろう。

適当にはぐらかされるのか、意外にあっさりといいよと言ってもらえるのか。
わからなかった。
太郎くんといる時は、私は常に薄い氷の上に立っていた。
それでも、防寒具で身を包む小ずるさを私は持っている。



結局私は数分間オルゴールを吟味して、未だ見ぬ太郎くんの母に合いそうなものを選んだ。
彼は私に礼を言うと、値札も見ずにそれをレジへと持っていく。







支払を終えた彼に対し、私はこうつぶやいた。
「お母さん、私と誕生日近いんだね。11月仲間だ」
「君も、もうすぐ誕生日なの?」

太郎くんのリアクションに対し、私はしまったと思った。
これではまるで、プレゼントをねだっているようなものではないか。


でも私は馬鹿正直なので、素直に答える。
「うん。来週の日曜」

彼はそれを聞くと、少し考えた後でこう言った。
「好きなものがあるなら、何か買ってあげようか。誕生日プレゼントってことで」
「えっ…」
この店のものは結構高かったので、さすがに悪いと恐縮したが、彼はさわやかに笑って言った。

「いいよ、前にカレーパンくれたし」
「でも、そんな意味で言った訳じゃ…」
「わかってるから」

太郎くんは、確かにわかっていた。
本当にねだる人は、もっとしっかり甘えてくるものだ。

私は遠慮がちに、隣のテーブルのランプのコーナーに目を移す。
そして一瞬にして、そこから目を離せなくなった。


小さな灯台型のスタンドライト。
薄いすりガラスの中に電球が入っていて、スイッチを入れると
あたりをぼんやりと照らす仕組みになっているようだ。

それをそっと手に取ると、あの人魚伝説が私の中に回帰した。






愛し合ったが、心ない人に引き裂かれた人魚と若者。
海に戻った人魚。
若者は愛する人魚を探しに行き、二度と帰っては来なかった。












子供っぽい伝説ではあるけれど、私はそれを未だに信じてやまなかった。



ランプに見入っている私を見て、太郎くんはやっぱりね、という調子で声を発する。
「君、それが欲しいの?」
うなづく前に、後ろ側の値札を確認した。結構な額だった。

面くらって、あわててランプを戻そうとすると、太郎くんが穏やかに笑う。
「値札なんか気にしなくていいよ。それ、君にあげる」
「…いいの?」
「だって君は、あの伝説が大好きなんでしょ?」

何だか薄くからかわれているような気もしたが、太郎くんの好意に私は感謝した。
「ありがとう。大切にする」

恥じらって礼を言う私を見て、太郎くんはちょっと皮肉っぽくこうささやいたのだ。
「でも、自分で割っちゃう時が、くるかもね」
「え、こないよ」
「わかんないよ。未来のことなんて」
「それって、私が足をひっかけて割るとか、そういうこと?
 そこまでドジじゃないよ。気をつけるから」

私のセリフを聞き、太郎くんは静かに笑った。
「まあ…そういうことにしておこうかな」

彼が何かを隠しているようで、その笑顔は何とも意味不明だった。










TURAYAのDVDは、灯台型の小型ランプに変化を遂げた。
やっぱり太郎くんにプレゼントをもらったことが本当にうれしくて、
私の頬は自然に紅潮してる。

そんな私とは反対に、太郎くんはしごく普段の調子だった。


空を見ると、あたりはすっかり夕焼け末期の暗い色に染まっている。
秋の夕暮れは短い。
まもなく夜になるだろう。



私は太郎くんに少し送ってもらい、やがてわかれ道の路地に来た。

「じゃあ、今日はここで…」
太郎くんがそう言いかけた時、私の後ろを急速な風がヒュッと通った。
え?と思い、後ろを振り返る。

自転車のハンドルが、視界のすぐ真下にあった。まもなくぶつかる。


私が絶句していると、耳の上から叫び声が響いてくる。
「危ない!」

太郎くんだった。



太郎くんが私の肩を急に抱き、自転車から私を遠ざけた。
そのはずみに私はバランスを崩し、転倒する。

そして、太郎くんの上に転げ落ちた。
私の全身の重みが、太郎くんの上にのしかかる。





自転車の運転手は私たちの様子を見て、相当うろたえたようである。
私たちを少し過ぎた所でちょっとだけ自転車を止め、
「す、すみません!」
と謝って、猛スピードで去って行った。

声から察するに、たぶん中学生だろう。





でも、正直そんなことは、もう考える余地がなかった。

私の唇は、道路に転がった太郎くんのそれの上に置かれていた。
簡単に言うと、事故でキスをしてしまったのだ。
そして太郎くんの手は、私の体を抱いている。
ぬくい手
反射的にそう思ってしまった。


事実を把握するまでに、少し時間がかかったが、
把握してから私は全身で硬直した。

そんな私の様子を見て、やはり太郎くんは察したらしい。

彼は手際よく私を起こすと、私のほこりを払い、
ケガをしていないか、買ったものは無事かと聞いてきた。

確認をし、どっちも無事だと私が伝えると、
突然こう切り出してくる。



「君って、けっこう執着するタイプ?」

質問の意図がわからなくて困惑したが、
しつこさには自信があったので、
「割と…」
と素直に答えておいた。


太郎くんは無言で、溜息をつく。
その中には、今まで聞いたことの無いような倦怠的な感じが入っていた。
なんか、すごく面倒臭そうな。


私は震えながら、太郎くんに事実を伝えた。
「太郎くん、あの…押し倒しちゃってごめん… 痛くない?
 ところで…今のって、キ…」
「自転車のマナーが悪い人って、困るよね」
「ねえ、太郎くん」
「……」

太郎くんは冷めた目で私を見ると、小さくこう言った。
「ごめん、しばらく会えないかも。受験に集中したいんだ」
「……え」
呆けている私に、彼は追い討ちをかける。
「答えを出すのは、僕の卒業式まで待っててくれないかな?
 …たくさんのことをいっぺんにこなすほど、僕は器用じゃないんだ」

なぜだろうか、この言葉だけが、今日の太郎くんが発した中で、
唯一真実だと思えた。


この人は今、実は困っているんじゃないか?




無言で突っ立っている私を尻目に、太郎くんは一言
「じゃあ」
と言って去って行った。

相変わらず、一度もこっちを振り返らずに。









こうして私は三月まで、放っておかれることになったのだ。











私のファーストキスはこういう意味で、少しも大事には扱われなかった。


そんなに軽い存在なのか、それとも重すぎて処理不能なのか。
わかるはずのない太郎くんの心中を想像しながら、
買ったばかりのランプの明かりを見つめて、部屋で私は軽く泣いた。


Hurry_1(針谷視点)


太郎とデイジーの事故チューを、どうしても話の中に取り入れたかったので…
太郎は案外アドリブに弱いタイプだと思うので、大いにうろたえて欲しいです。

そしてハリー登場
彼は今後、志波とデイジー共通の親友として、色々とやらかす予定です。

そして古森は、やっぱり幸せになってほしかったので
こういう方向にしてしまいました。
彼は今後は登場しませんが、ちゃんと髪を切って登校するようになると思います。


2008.9.23

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