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Hurry_1






12月中旬。

針谷がライブ演出の打ち合わせのためにバンドメンバーと行きつけのファミレスに入ると、
そこにはいつもと違う空気があった。


頭が良いことで有名なはばたき学園の制服を着た少年たち五人が、
店の右隅、針谷の指定席に居座って、
「俺、ナポリタン食うー!」
と叫んでいたからである。


その妙に甲高い声を聞いた針谷は
なんとももにょもにょした不快感を感じたが、
いくら何でも、これでキレるほどに彼も子供ではない。

針谷は内心「チェッ」と思いながら、連中の左隣の席に腰かけた。
窓の向こう側からいつも見える漢方薬店が、今日は少し違った角度で見える。


「何食う?? とりあえずドリンクバーはつけとくかぁ?」
井上がメニューを広げた瞬間に、隣のテーブルからまた大声が響く。



「っていうか、まじねえよ、本当にねえっつーんだよ!」
「まーまー、吉冨。ジェノバ風ピザでも食って落ちつけよ」
「そうだよ、吉冨はとりあえず落ち着けや」

―まるで駄々っ子を静めるような口調である。
しかもその駄々っ子は、既に声変わり済みであった。


妙にカンに障ってイライラしたのと、ちょっとした好奇心も手伝って、
針谷は後ろをちらっと見た。

はば学独特の濃紺のブレザーを着た、五人の男子高校生。
そして彼らの脇には「HABATAKI BASEBALL CLUB」とかかれた大きなバックが、
狭そうに置かれていた。


―はば学野球部





針谷自身は野球をやっていないが、
友人の志波勝己や小野美奈子から、彼らの凄さはよく伝聞されていた。

曰く、常勝軍団であると。




確かにこのあたりで野球をやっている人間で、
はばたき学園の名を知らないものはいないだろう。
(針谷のバンドメンバーも、そっちの座席をのぞきこんで
「あ、はば学」と小声で言っていた)


針谷も、もともと名前くらいは聞いていたし
志波や小野の影響で、最近は無駄に野球の知識が豊富になってきた。






中心に陣取って、さっきから一番偉そうに吠えているのが、
期待の二年投手、吉冨一也だ。
彼は癖の強い黒髪と太い眉、妙に長ったらしいまつ毛を持っていて、
彫りが深い日本人離れした容貌だった。

そしてそんな吉冨を、針谷側の向いの席からやんわりといなしているのが、新部長の森淳介。
「ほら、吉冨。オレンジジュース」


最近のはば学では、エースが部長に任命される機会が多かったが、
今年は珍しく両者が分担されていた。

まあ、吉冨の様子を見ていれば、その理由はおのずとわかるが…
あれが部長は、さすがに無理がある。




興味を持ったものをついつい観察してしまう癖のある針谷にとって、
吉冨の言動と行動は格好の材料だった。



「っていうか、鈴木さんがもう一回甲士園でればいいだろうがよ」
「無茶言うな」
「なんで俺が全校生徒の期待を背負わなきゃいけねえんだよ
 連覇連覇ってうるせえなぁ
 連覇は二年前にやっただろっつーの!
 追随なんて、まっぴらだ!!!」
「難しいことは考えんなや」

何というか、吉冨は実に子供っぽかったのだ。

それも時々ある、才能に勘違いし、自惚れて後天的にわがままになったタイプではなく、
本当に生のままの、加工されていないわがままさだ。

様々な意味で、バンド内にはいて欲しくないタイプの人間である。




吉冨はグラスの水をくゆらせながら、大声でこう言った。
「っていうか、来年は志波がくるなぁ」
周りを囲むはば学の野球部員たちも、大きく頷く。


突然ふってわいた友人の名に、針谷は息を飲んだ。

隣では井上が、マイペースに「ラザニアひとつくださーい」と店員に注文している。




「志波、なんでうちに来なかったんだろうな」
吉冨の言葉に対し、部長の森がつぶやいた。
「時期を逃したんだろ」
「おっしいなぁ…」
吉冨は何の悪気もなく言う。
「志波ほどの選手がもったいねえ。
 はね学なんか辞めちまって、うちにくればいいのに」



―その言葉に対して、反射的に針谷は怒鳴っていた。

「おいっ! 聞き捨てならねえなぁっ!!」
「こらっ、針谷っ…!」
頬を紅潮させてあわてるメンバーを無視し、彼はイスから身を乗り出して吉冨を凝視する。



「…何だお前?」
ポカーンとするはば学野球部を見て、内心しまったと針谷は思ったが、
すぐに己に勢いを付けさせた。
ライブでよくとる決めポーズが無意識に出てしまう。

「俺は…ハリーだ!
『Red:Cro'Z』のボーカルで、志波のダチだ!
 …まぁ、ある意味…師匠でもある」

そのセリフを聞き、森が即座に謝罪する。
「ああ、そうだったのか。すまなかったな。
 失礼なことを言って…」
「へー! じゃあ志波に伝えろよ。対決楽しみにしてるってさ!」
森の言葉は、トーンの大きい吉冨の言葉に押しつぶされた。


「……」
どうにも非常識な吉冨の態度に針谷はひるむが、吉冨はそんなものは一向に気にせず
「わりぃ、ちょっと…便所」
と言って席を立った。


筋肉質で均整のとれた吉冨の後姿を一瞥すると、
針谷は小声で、近くにいたはば学選手に耳打ちする。
「…なんだ、あの失礼な奴」

彼はさらっと、こう言ってのけた。
「悪気は特にないから、大目に見てやってくれないか。
 あいつは才能と素質だけならここ10年で一番の投手なんだけど、
 いかんせん気性が激しくてさ」

そういえば、「投手は気性がむずかしい」という話は
針谷も小野から数回聞いていた。
何でも、今のはね学の主力投手も筋は良いが、気性が激しくて扱いが難しいらしい。

そしてそういう連中が、どうにも針谷は苦手だった。

―才能ばかりに溺れて、回りをちっとも顧みない。
そのくせに、それが許されるときてやがる。



「…吉冨は、ちょっと繊細が過ぎてさぁ」
部長の森が言った。
「ああ見えて、極端にプレッシャーに弱いんだ。
 練習では最高なのに、試合だと時々ヘマをする。
 それに来年は、連覇のプレッシャーが酷いんだ」

プレッシャーに弱い、という言葉に対して、針谷は吉冨に妙な親近感を覚える。

だが
「…吉冨って、そんなにすごいのか?」
という針谷の問いに対し、野球部員たちは全員首を縦に振った。
「ありえねえくらいの天才だよ」

この回答に、自分と吉冨の差を見せつけられる。
俺はただの、緊張に弱いだけの奴なのに―



「…じゃあ、志波も天才なのか?」
針谷はある程度の覚悟を持って、こう聞いた。

「天才だよ」
森はきっぱりと答える。
「俺はサードだけど、部長としては、志波が部員じゃないのは本当に痛い」

そういえば、志波の守備位置はサードである。
自分のレギュラーを捨ててでも、志波を欲しいということか。

針谷は森のおっとりした薄い顔の中に、
「部長」の看板を背負った人間の妙な根性を見た。


「だから、俺も吉冨も、志波が野球の世界に戻ってくれたことが本当に嬉しいんだ。
 たとえ学校は違くても、一緒にプレイできるんだからな」
「まあさー」
森が穏やかに語っていると、戻ってきた吉冨が席に乱入してきた。

「俺も森もみんなも、志波との対決を楽しみにしてるんだよ。
 っていうか、はね学のマネージャーが、あいつを野球部に戻してくれたって噂だよな?
 だから、志波に伝えといてくれ。
 来年も負けねえよって。

 ついでに、機会があったらマネの子にも、ありがとうって言っといて」
口調は相変わらず粗野だったが、その言葉の中には、一片のねたみもひがみも入っていなかった。




吉冨の言葉を聞き、針谷は反射的にカバンの中身をあさって、
紙を五枚ほど取り出した。


そしてそれを持ったまま、はば学野球部の陣取る席へと向かい、
テーブルの上に叩きつける。

それは、『Red:Cro'Z』のライブ宣伝ビラだった。
キョトンとするメンバーを尻目に、針谷はこう叫ぶ。

「俺らのライブのことが書いてある。良かったら来い」



バンドのメンバーは絶句していたが
(なぜか井上だけは笑っていた)
ハリーは志波を認めたこの連中に対して、妙な好感が湧いていた。
それと同時に、同じ才能の世界に身を置く者として
自分の本気も見て欲しくなったのだ。



困惑気味の野球部部員をよそに、森が静かにつぶやいた。
「あ、ここのCD、うちのOBの先輩が持ってる…確か」

その言葉に、震えるほどに針谷は嬉しくなったが、ぐっとこらえてこう言った。
「へー、わーってる先輩だなぁ!
 だからお前らも来い! いいか、来なかったらクビだからな!」

そして針谷は井上らバンドメンバーの方を向き、大声で叫んだ。
「おい、今日はもう帰るぞ」
「へぇっ?」
メンバーたちは素っ頓狂な声をあげるが、井上だけは案の定、例の妙に明るい調子の声で
くっくっくと笑うのであった。






喫茶店を出て、針谷はメンバーから一人先行した様子で、夜の街を歩く。

彼の心中には、色々な気持ちがいっぱい渦巻いていた。
「天才」である吉冨。そしてその吉冨に認められている親友の志波。
そしてその志波を野球部に戻した、おなじく親友の小野美奈子。

針谷は嬉しかった。
志波が天才であり、彼が自分の場所に戻ってこれたことが、素直に嬉しかったのである。
やっぱり、志波には小野が不可欠なのだ。



そんな針谷の後ろで、メンバーの一人が小声で井上に囁いた。
「なあ、井上」
「…何だ?」
「俺さ、思うんだけださ、針谷の奴、志波をねたんだりしねーのかな…?
 ほら、ここだけの話、針谷は地道な積み上げタイプだろ?
 『才能』なんか見せられて、悔しくねえのかなぁ。
 俺だったら、ぶっちゃけすっげー嫉妬するんだけど」

その言葉を受けて、井上は微笑する。
「…よくわかんねえけど、嫉妬よりも、好きって気持ちの方が勝ってるんじゃねーの?
 結局素直だからなぁ、のしんは…」

そんなメンバーの言葉など聞こえてない針谷は、
突如空中に現れた現れた12月の雪を両手で受け止めて、
「うおっ、雪っ! すげー! 珍しくね?」
とはしゃいでいた。



針谷はとにかく志波が好きで、そして小野のことも好きだったから、
この状態がずっと続けばいいと、素直に願っていたのである。




Kathreftis_6



ハリー視点で、二年12月の話です。
基本はデイジー視点ですが、時々針谷視点が入ります。
いや… 針谷に状況を俯瞰させるのが楽しくて…!

この連載では、
太郎←デイジー←志波 という状態を、ちょっと外野から見ているハリーですが、
とにかく直情型(の割には妙にぐだぐだ)で、正義感が妙に強いハリーに、
色々と話を動かして欲しいなぁと思っています。

あと、GS2世代はば学野球部は完全に捏造しました!
監督… 会いたいよ監督…

志波の好敵手みたいな感じで、活躍させたいと思っています。


2008.10.6

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