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11月のあの日から、私はずっと待っていた。


自分の手で、この真綿に杭を打つことを−

それはすなわち、「太郎くんへの告白」だった。
手つなぎとかキスとかで、悩んで泣くのはもう嫌だ。


傷つく覚悟はできている。

それでも、太郎くんへの気持ちを直接伝えたかった。
私はこれくらい、あなたのことでいっぱいで、
だから好きです 

と、彼に伝えたかったのである。
自己満足だと、知っている。
だからこそ私は、告白を決行するのだ。








太郎くんは、どこにいるのだろう


人垣に囲まれているかもしれないし、
その反対に、一人でぽつんとしているかもしれない。

太郎くんの華やかさは、周りをひきつけてやまないが、
その一方で、私の中では太郎くんは、誰にも心を開かない存在だった。

−もちろん、「誰にも」の中には私も含まれている

でも、それでもちょっとはもしかして、というだけの期待が私にはあった。
太郎くんの特別になりたい。本当の太郎くんが見たい。

私は太郎くんの人物像に関して妄想ばかりしていたので、
内心相当思い上がっていた。






日が降り注ぐ中庭に出ると、大勢の女子が固まって黄色い声を上げていた。
その中心にいるのは、頭ひとつ高い太郎くん。
この集団の周りには、卒業式特有の泣きたくなるような
はかなさは何一つなかった。

ただただ、明るいだけの集団である。


私は急速に失望する。
もちろん彼が女の子に囲まれていたこともあるが、
最後まで、彼が「仮面」を取ってくれなかったことに−




周りの女の子たちは、明らかに自分を「かわいい」と認識しており、
かつその資格があるような子ばかりであった。
(こういうことを考える時点で、私は相当性格が悪い)

私は己のしょぼさに一瞬ひるんだが、
ここまで来たら、もはや引くわけにはいかない。


「あの」
女の子の黄色い声を、私の言葉が引き裂いた。

それはそうだ。
この空間で、私は一番陰鬱だ。


私を見た瞬間、太郎くんはそれはそれは爽やかに笑った。
「やあ」



一目で気づいた。



いつもの顔



演技





私の心は、一気にしーんとした。



女の子たちは私を一瞥して、ひそひそ話す。
「ねえ、あの子…」
「しっ! 聞こえるって!」

彼女たちの不審な言動に私は眉をひそめるが、
今となってはこんなのモブだ。



私の異質な雰囲気を感じたのだろう。
女の子たちはそそくさと去ってゆく。
「じゃあ、また遊んでくださいねー!」

「ああ、じゃあね」
太郎くんは笑って手を振る。


太郎くんは、だれにでもやさしい。



私は知る。この人にとって、私は特別などでは無いということを。

足が震え、顔が引きつりそうになった。
でも、ここまで来たならもう言わなきゃ。


「太郎くん、卒業おめでとう」
第一声は棒読みだった。

彼もそれに応えるかのように、さらっとした調子で流す。
「ああ、それはどうも」

悲しいくらいの阿吽の呼吸である。
今までシンクロなどしたこともなかったのに、何でこんな時ばかり―


「あの、これからは学校だと会えないから、連絡先を聞きたいんだけど…」
「ゴメン、僕、携帯持たない主義なんだ」

私がすがるように放った言葉を、彼は笑顔で振り棄てた。
待ってましたと言わんばかりの顔で。

「…じゃあ、私の番号」
私はどんどん見苦しくなる。
そんな私を見て、彼は呆れた顔をした。


「…ねえ、卒業式のセンチメンタルに浸りたいんだろうけど、そこまでは付き合えないよ」


「…え?」


あからさまに面倒臭そうな顔をする太郎くんを見て、私は固まる。


彼は実にあっさりと、蚊を振り払うかのようにこう言った。

「ー僕は、ちょっと可愛い後輩と出かけて、高校時代の思い出を作れた。
 楽しかったよ。君との会話。
 でも君だって、それなりの見返りはあったはずだ。
 連絡先なんか交換したって、すぐにうっとおしくなるさ。
 だからここで終わりにして、次の相手を見つけよう。お互いにね」







私は、悟る。
すべては、太郎くんの台本だったのだと。
気づかぬうちに、のっていたのだ。


だがそんな内心とは裏腹に、私の口調は完全にすがりつきモードに入っていた。

いや、ネタですよね? ありえないっすわこの展開。



「そんな…」

みっともない私の態度に、太郎くんの声色が荒だつ。
「やめろよ。ただのゲームだろ?
 君くらいの美人なら、これくらい割り切れよ。
 …じゃないと、将来苦労するよ」


目の前の景色がゆがむ。
と同時に、10種類くらいの感情が一気に駆け上がってきて、
心の中を駆けずり回った。

傍から見たら、今の私はぽかんとしすぎで、
まったく馬鹿に見えるんだろう。


こんな様子の私を見て、太郎くんが失笑する。
「…まさか、本当に僕を好きになったとか?」

「好きだよ」

私の言葉に、彼は憐れみの笑みを向ける。
「君、本当に素直なんだね。
 人を信じるのも、たいがいにした方がいい。
 僕でいい勉強になったじゃないか」




「……」

内心もう本当にありえねえと思ったので、
思いのたけを、素直に一気にぶちまけた。

「だって太郎くんは、いい人だもん」

私の吐露が、彼の余裕を突き崩す。



思わぬ言葉だったのだろう。
太郎くんの仮面が消え、素の顔になった。



今だ! ここでたたみかけろ―




何となく、戦国武将になった気分である。

「だって11月に、自転車にぶつかりそうになった私をかばってくれたじゃない。
 いい人だよ」

この言葉に、太郎くんは絶句する。
「……」


若干呆けていたが、彼はうつむいて、気まずそうに小さな声でこう返した。
「そんなの、あたりまえじゃないか… それがいい人だなんて、何いってんだ…」


とうとう、『本物』の太郎くんを引きずり出した。

私は確信する。
「ゲーム」をやる時点で相当腐っているが、
本当は、やっぱり真っ当な人なんだ。


攻めよう。とにかく攻める。
「私はそれが嬉しかった。だから好き。それがいけない?」

「…やめてくれない? そんなの、ただの反射じゃないか」
「反射なら、無意識ってことだよね? 太郎くんは、いい人なんだよ」

少し大きく出すぎた。
私がそう思ったすきに、彼が反撃を返してくる。

ここはもはや告白場所ではない。
ある種の戦場である。


「…もういい。そんなに僕を信じたいなら、こうしよう。
 喫茶アルカードって覚えてる? 11月に寄った所。
 僕はときどきあそこに寄る。君がバイトでもしてたら、会えるかもしれない」

「…バイトすれば、会えるの?」

「さあ。僕もわからないや」
そう答える彼の顔には、再びあの『演技』が戻っていた。


―手慣れてやがる。


私は、自分が思っていたよりも、自身が頑丈であることを知った。
「…あのさ」
「何?」

太郎くんは、露骨に帰りたいオーラを出し始めた。
端正な顔が嫌な感じにゆがむ。これも演技だろう。


「太郎くん、今まで何人とゲームしたの?」

私の問いに、彼は少しだけ考えて、こう答えた。
「君、今までに食べたパンの数とか、覚えてる?」







その得意げな顔に、その満足そうな声の色に、私は絶望を隠せなかった。





この人は、なんて矮小な青春を送っているんだろう。


さっき見た野球部の先輩方の、堂々とした姿が脳裏によみがえってきて
不意に涙が出そうになった。

あの人たちには誇りがあって、戻る場所があって、仲間がいる。
でも、太郎くんには何もない。

彼の後ろに積まれていくのは、下らないゲームの勝利スコアと、
薄っぺらい満足感だけ。
このままだと、太郎くんは腐りきる。




私の好きな人が、こんな青春を送っていたなんて−


志波くんの言葉が脳内をめぐる。

「お前はおせっかいだから、他人のことを、可能な限り助けようとする」

本当にそうだ。
でも、目の前で好きな人が腐っていくことを傍観するなんて、絶対に無理だった。

ごめん志波くん、私、太郎くんをほっとけない。



私ははっきりと言う。
「わかった」

私の言葉に、太郎くんは「へぇ」という表情をした。

「喫茶アルカードだね」
私が念を押すと、彼はわざとそれには答えずに軽く笑い、
「もう、行くよ」

と言い残して去って行った。



やはり、太郎くんは一度も振り返らなかった。

彼の背中には、何もない。
友情も努力もない。

あるのは、自己満足の勝利のみ―



私は異様に凛とした気分で携帯を開き、
喫茶アルカードのモバイルHPに接続した。

シックな感じのベージュの背景。あの店らしいHPだ。
そこには、こう書かれていた。
『アルバイト募集中(※月〜金の夕方〜夜まで・五連勤可能な方のみ)』





五連勤






素で能面のような表情になる。


週二日くらいだと思っていた。
受験でもともとアンネリーのバイトを減らすつもりだったから、
その分にねじ込むつもりだったのに−


五連勤なんかしたら、全部取られる。


アンネリーを急に辞めることになる。
真咲先輩や有沢先輩に迷惑がかかる。
ありえなかった。



そして何よりも―

野球部はどうなる?
さっき、甲士園に行くと誓ったばかりなのに。

先輩方を裏切るのか。
部活をほったらかすのか。
さっちゃんに全部押し付けるのか。

そして不意に、志波くんの顔がよぎった。
私が突然野球部を辞めたら、志波くんはどんな気持ちになるんだろう。
昔みたいに何かしらの理由を作って自分を責めて、野球を辞めてしまうんじゃないか。

マネージャーである私が、志波くんの邪魔をするの?






どうしろと―








言いようの無い絶望感を感じて、
携帯を片手に立ち尽くす。








2月29日。
春が始まる直前の日に、私の運命は変わってしまったのだ。



Hurry2



悪辣太郎解禁!!!!!

これで太郎のスカポンタンぶりをいっぱい書ける!
どうしよう…すごく楽しみです(笑)

次回からは三年目です。
ハリーが荒ぶる予定です。


荒木先生リスペクト…!!(笑)


2009.4.12

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