Hurry2

9



休憩に入るとまず、『Red:Cro'Z』の携帯HPを見る。

これが私の日課になっていた。

そんなに毎日変わっているわけじゃないが、時おり更新されている。
パソコン版だと、曲の視聴もできる。
ひいき目抜きに、かなり良くできていると思う。

管理人は「ino」。
…多分井上くんだろう。

Red:Cro'ZのHPが出来ていることは、遊くんから教えてもらった。
ハリーとは、四月に入ってから、会ってない。


否、わざと会うのを避けているのだ。
私は誰にも会いたくなかった。







あらゆる責任を放り投げ、喫茶『アルカード』のアルバイトを始めてから早一月。

私にとって学校は、ただの「授業を受けに行く場所」になり下がっていた。
ホームルームが終わると、誰からも声をかけられないために、さっさと教室から逃げていく。
若王子先生の顔は、あえて見ないことにしている。


私が野球部を辞めたことは、クラスの一部の友達には話したが、
どうせとっくに学年中にばれているだろう。

理由は誰にも言っていない。




好奇心で探りを入れてくる輩なら、適当にあしらえばいいだけだが
私にとっては何よりも、友達に会うのが辛かった。

野球部の皆には、どれだけ迷惑をかけたことだろう。
一言の相談もされずに、たった一人のマネージャーになってしまったさっちゃんは
どれだけ困っていることだろう。

ハリーはきっと、心底怒っているに違いない。
そして志波くんは…どう思っているのか、想像することすら怖かった。

唯一の救いは、志波くんが野球部を続けている、ということである。
辞めたという話は聞かないから、きっと続けているんだろう。

私は自分が自意識過剰であったことを反省しつつも
志波くんが野球を続けてくれてて良かったと、心から思った。


なんて身勝手な女だろう。
結局ただの、保身じゃないか。

きれい事を言っても、一番可愛いのは自分なんだ


休憩中、控え部屋の椅子に腰かける私の口元には、自嘲の笑みすら浮かんだ。







そして私にここのバイトを紹介した張本人―
太郎くんは、「会えるかもしれない」と言ったわりには、予想以上に頻繁にやってきた。

左側にはギャル、右側にはゴスロリという配置で。
とどのつまりは、女連れだ。

そしていちゃつく。
女の子に対して今日の髪型可愛いねとか指輪が似合ってるねとかのお世辞を言い、
彼女たちの興をひくのだ。
店の雰囲気に合わないような大声で周囲を笑わせ、テーブルの帝王のような雰囲気で場を仕切る。

女の子たちは
「もーやだ 太郎くーん まじ話術巧みすぎるから! つうか被害者続出させてんじゃね?」
と大笑いして、ついでにこう叫ぶのだ。
「あ、後輩さーん!! ナポリタンくださーい!」


つまりまとめると
太郎くんはちっともやさしくも紳士でもなくて、
在学中のあのふるまいは全て演技であった。

もっと結論を絞ると、
「だまされた私が馬鹿でした」
ということである。


太郎くんが何のためにここに来ているかは明確には知らないが、
多分、私に見せつける目的もあるのだろう。
真嶋太郎がいかに悪辣か。そして小野美奈子がどれだけ馬鹿か。

そして必ず、お会計の時には私の目を見て笑うのだ。
「ねえ、まだバイトやってんの? いい加減やめたら?」
というふうに。



―嫌がらせも、ここまで徹底しているとかえって清々しかった。

というか、初めは確かに卒業式に開けられた傷口に塩をもまれるように心が痛んだが
残念ながら、人は慣れるのだ。

太郎くんの真意はわからないし、私が毎日彼と女の子の遊興の様子を見るたびに傷つくのは事実だが、
悲しいことに、もうそこまで傷は深まらない。


これは本当に偏見なのだが、なんとなく太郎くんを見ていると、
「太郎カーニバル with no one」
という単語が頭をよぎるのだ。

…学力に自信がないので、英語がおかしいのは見逃してほしい。

だが、回復するのは毎日バイトから帰る途中である。
バイト中は、やっぱり痛い。紅茶を運びながら胸がチクチクする。泣きたくなる。
いつも思う。
なんで私はここにいる?


でも不思議と、辞めようと思ったことはない。
それは案外仕事自体が楽しくて、アルカードが良い人ばかりだという点もあるだろうが、それだけじゃない。
何というか、うまく言えないが
私がここを辞めたら、太郎くんは永遠にこのままだという確信があるからだ。

太郎くんがロクデナシのスカポンタンだと判明した以上
こんな奴はほっといて、新たな人生を歩めばいいのだろうが
変な呪いでもかかっているのか、私にはどうしてもそれができなかった。





―太郎くんが、時々泣きそうな顔で私を見るからだ。


それは本当に、本当にごくたまにしか無いことだが、
騒いでいる女の子たちの隣で、悲しそうな眼をして私を見る時がある。
その雰囲気は、一年の卒業式で見た、あの舞台の上で彼が出していたものと酷似していた。

まるで泣いているような。
捨てられた、子犬のような眼。

だが、視線が合うとすぐに横を向く。

それはきっと、その眼が彼にとっては「隠したいもの」だからだろう。


私は未だに思い続けている。
太郎くんの横にはきっと、本当は誰もいない。
女の子たちはきっと、時期が来たら上手に彼から去っていく。

その時、彼の隣には何が残るのだろうか?




逆に言うと、私がバイトを続けているのは、この一心でだけだった。

―太郎くんを救いたい。
 彼の隣に立って、あなたは一人じゃないよって言いたい。

結局のところ、私もまるで進化していない。
でも、もう突き詰めて考えるのが面倒くさい。








5月中旬のある日。
休憩中の私は、ひんやり感を求めてビニール製のソファーに横たわっていた。
体はぴったりと壁に密着させる。
ここの店の壁のひんやり感は、只者ではない。

今日は、太郎くんたちは来ていなかった。
他のスタッフは皆仕事中で、部屋には私だけである。



清涼感を楽しんでいる私の耳に、壁越しに声が入った。
壁に耳を密着させているせいで、伝わってきてしまったのだろう。
男性の、ぼそっとした話声。

お客様の話を盗み聞きする趣味はないので「やばっ」と思って耳を壁から離そうとしたら、
聞き覚えのある名前が耳に飛び込んだ。

「悪いな、赤城」
「大丈夫。気にしなくていいよ」


―赤城くん。


はば学の生徒会役員で、偶然の縁で出来た友人である。

「アルカード」ははね学生にはほとんど知られていないが、
はば学生が来るかも、という可能性をチェックしていなかった。
まさか、赤城くんが来るとは。

「森は、何頼む? 僕はアイスティーにするけど」
「じゃあ、俺はチャイ」


そしてその相手は森くん―はば学野球部の部長―だった。

森くんははば学野球部の部長、というポジションの割には地味で目立たない。
はば学の選手たちは野心家が多いので、
控え目な彼が部長になった…という話を聞いた時はびっくりしたものだ。



赤城くんと森くん。二人が壁越しに話しているという事実を知り、
やっちゃいけないことだとは思いつつも、私の姿勢はそのままだった。
壁に耳をつけ、二人のやり取りを聞く。

一体、何を話すのか。
もしかして …


「で、相談っていうのは?」
赤城くんの言葉に、森くんは簡潔に答える。

「野球部の応援を、例年より控え目にしてほしい。」


予感は的中した。野球部の話だ。
「王者」の内幕が語られるかもしれない事態に、良くないとはわかっていても私は興奮する。


「控え目?」
「…もう甲士園行きが決定したかのように、校内にポスターを貼りまくるのは辞めてほしい。
 あと、校内新聞の一面特集も勘弁してほしい」

「どうしてかな?」
疑問符がついた、赤城くんの声がかえってくる。
「…今、野球部は本気で危ないんだ」


壁の向こうで、私は息を飲んだ。


森くんの言葉は続く。
「お前も知ってると思うけど、特に吉冨が」
「…知ってるよ」
「吉冨だけじゃなくて、皆プレッシャーを感じてる。王者は負けちゃいけないって」
「…僕個人の意見を言うと、王者も負ける時があっても仕方がないと思う」
「それは一部だ。大多数の生徒は、野球部を自慢のタネにしてる」
「確かにうちの学校に目立つ人は多いけど、それは個人レベルだからね。
 部活だったら、野球部がピカイチだろうね」

感情混じりの森くんに対し、赤城くんはあくまでも冷静だった。
しばらく会ってなかったが、ああ、赤城くんだなぁと私は思う。

「でも、回りからのプレッシャーに対して野球部が倒れるなら、俺は部長としてそれを見過ごすわけにはいかない」
「…理屈も心情もわかるよ。生徒会の力で、回りからの期待を届きにくくすることもできるだろう。でも」
「…でも?」
「…あえて言うけど、陰で言われることは避けられないだろう。今年の野球部は軟弱だって。
 重圧から逃げたって」

太郎くんのことばが真綿なら、赤城くんの言葉はカッターだろう。
正しく的確で、だからこそ痛い。


赤城くんは言う。
「先輩方が築きあげた礎を、傷つけたっていう輩も出るかもしれない。
 正直、僕はそういう声は聞きたくない」

赤城くん流のやり方だ。
冷静で正確な割に、感情的をしっかり混ぜるのが赤城くんの言葉なのだ。


「…その礎のせいで、現部員が苦しんでたら?」
森くんの声には、はっきりと苦悶の色があった。

「…苦しむ…?」
「…もちろん、大多数の人間は心得てるさ。先輩方には礼をつくすって。
 でも、吉冨が…ダメなんだ」
「……」

赤城くんの返事はない。

「…吉冨は、島田さんはまだ大丈夫なんだ。
 でも、日比谷さんには…」
「噛みつくの?」
「噛みつかせないように、回りが必死で押さえてる。
 同じポジションで、伝説を作った人だ。
 しかも彼は…個人成績なら二連覇。吉冨は良くても一回の優勝だ。
 それが吉冨には許せない」


日比谷さん。

その名を聞き、すぐにああ、あの人か…と思い浮かんだ。
野球部関係者なら、知らない人はいないだろう。

私の三つ上。ちょうど真咲先輩と同じ世代である。
はば学野球部のピッチャーで、バッテリーを組んだキャッチャーの島田さんと一緒に
奇跡の甲士園二連覇を成し遂げた人だ。

私は当時中学生でまだ野球にはかかわっていなかったが
あの時の優勝騒ぎは、本当にすごかった。

どちらの優勝時も連日テレビで彼らのことが報道され、友人間でも話題になった。

―もっとも、私は一重のクールしっとり系が好みなので、
 童顔でクリクリした目の日比谷さんも、
 頑健な牛のような島田さんも、キャーキャー言う対象ではなかったが。

…話がそれた。



壁の向こうで赤城くんが聞く。
「…もし吉冨くんが、先輩に不遜な態度をとったら?」
「野球部が終わる」
「…大げさじゃないか?」
「大げさじゃない。日比谷さん本人はともかく、島田さんが怒る」


赤城くんは何も言わない。紅茶を飲んでいるのだろうか。

「わかった」
しばらくして、出した答えがこれだった。
「生徒会としても、OBとの関係がこじれるのは望まないからね。野球部への特別措置を取ろう。
 …って言っても、他の部活と同じ扱いにする位だけどね」
「それでいい。それでも潰れたら、その程度の学年だったんだ、俺らは」
「それは、自虐にすぎると思うけど」

赤城くんの言葉に対して、森くんの失笑する声が響いた。




―私の聞きたいことは終わったようで、話は彼らの学園生活のことへと推移した。
(ゼロワンはやはりアンドロイドである等)

話題が移ったようだし、人の話を盗み聞きするのは良い趣味ではないので
私は壁から耳を離す。

心の中で、二人に詫びた。
すみません。


だが、知ってしまった。
王者、もといはば学は苦しんでいる。


はば学は動揺している。
切り崩すなら、今しかないかもしれない。

―はね学の皆の士気を高めるのには、役に立つかもしれない
 誰も中傷しない形で、この情報をうまく伝達できれば…


だがその直後に、私は自分がもう野球部関係者ではないことを思い出した。
否、野球部に近づくことすらできない人間である。

どの顔をして近づけと?

私の唇は、いよいよ自虐の形に歪む。


ああ、本当に大爆笑だ。
なんだかんだ言っても、結局野球部に戻りたいんだ私は。

でも、太郎くんを捨てられないんだ。

だから、こんな最悪の形で引っかかって、ぶらぶらしてるんだ。


一番の馬鹿は私だ。


そう思いながら、私はソファーに突っ伏した。
ぐちゃぐちゃは、どこまで行ってもぐちゃぐちゃなのだ。




「日比谷さん」と私が秋に会うこと。
そして私がとんでもないことするということは、
当然ながらこの時は、予想すらしていなかった。


この時の私は、あらゆることに対して、本当にまったく無知だった。


ちなみに休憩が終わる前に赤城くんたちは出て行ったので、
鉢合わせをすることは無かった。



Hurry3



デイジーの嫌な部分が結構出てしまいましたが(盗み聞きとか)
個人的には、こういう部分のあるデイジーも好きです。

日比谷の名前を出すかどうか迷ったんですが、
出さないのも不自然なので出しました。


次回は再び針谷のターンです。
ハリーVS太郎(口頭戦)があります。
どっちも口論は実は苦手そうだという…^^

書くのがめっちゃ楽しみです!!


2009.6.7

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