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Hurry_3
「…ホンマに内緒やで? 『喫茶アルカード』。
それが、あの子のバイト先やねん」
5月も中盤を迎える頃。
ネイの店内でバイト用のエプロンをつけて立つ針谷の頭の中で、
おととい聞いた、西本はるひの声が蘇った。
昼休み、クラスメートと談笑している針谷の腕を
突如現れたはるひが強引につかみ、彼を教室から引っ張り出した。
そして人気のない屋上へと続く階段にて、彼女の放った言葉がこれである。
自力で美奈子のバイト先の探究に行き詰った針谷は、
知り合いの中で最も情報通の西本はるひに、それを依頼したのだ。
そして、それがこの答えだった。
彼女の言葉を聞いた針谷は、その情報収集能力に関心しつつも
その「情報」に真偽の目を向ける。
「それ、どこで知ったんだ?」
「はば学の友達からやねん。その子の彼氏がはば学野球部で、はね学との試合を応援で見に行ったときに、
はね学ベンチで美奈子の顔を見とったんやて。
で、この前、アルカードで美奈子を見たって言うてたんや。あれは本人でファイナルアンサーやって。」
「…何つーか、弱ぇな、情報として」
「その子、人の顔を一発で覚えるタイプやねん。だから信用してええで」
「……」
針谷は天井に目を泳がせた。
はるひの友人の記憶力は知らないが、
わざわざこんな人目のない所に引っ張ってきて伝えてくれる情報なのだから、
彼女は確信を持っているのだろう。
小野美奈子は、喫茶アルカードで働いている、と。
だが、肝心の喫茶アルカードの場所を知らなかった。
それをはるひに聞くと、水の流れるような早さで答えが返ってくる。
そこは、はね学生がほとんど行かないような場所だった。
むしろはば学生のほうが詳しいような地区に立っている。
だから針谷は美奈子のバイト先を、今の今まで見つけることが出来なかったのだ。
だが彼は知っている。
店に行ってはいけないと。
「…わかってるとは思うけど、この情報は極秘やで。
あたしもひそかっちもチョビも竜子姐も、だーれも知らんかった。
…あの子、誰にも言いたくなかったんやな
大事な友達やって思ってたのに…あたし、無力やねん…」
ため息をつくはるひの横で、針谷も己の無力を噛みしめた。
「西本、あんがとな、サンキュ」
礼を言われたものの、やはりはるひも釈然としない様子をしている。
「…別に、あたしのことはええんや。
いや、お礼言ってくれるのは嬉しいんやけどな…」
彼女は一瞬頬を赤らめたが、残念ながら針谷はそれを拾えなかった。
「志波だ。志波じゃねぇとダメなんだ」
針谷は予告なしに、動くべき人物の名前を出す。
「…正直、あたし、志波くんとあんまり親しくないで…」
「オマエに志波を動かせなんて言ってねぇから安心しろ。
つうか、それは俺の役目だ」
志波が美奈子に告白して、変髪先輩の魔手から彼女を救う。
ついでに都合良く美奈子が野球部に復帰できれば、すべては平和に戻るのだ。
だが、志波は動こうとはしなかった。
それが針谷には死ぬほど口惜しく、また妙に気持ちがわかるだけに、
一層イライラがつのっていたのである。
「……ハリー?」
不安そうな目を向けるはるひに対し、
「バーカ! 俺はハリー様だぞ?
不可能なんかあるワケねぇ」
と威勢よく言ったはいいものの
正直針谷には、志波を動かせる気がしなかった。
志波にとっては美奈子は余りにも特別な立場にあることがわかったので、
親友といえども、美奈子に関しては軽々しく口は出せない。
つまり、針谷には策はない。
ゴールは見えているのに、途中の過程が圧倒的に描けていなかった。
道筋が見えていないんだから、怖くて先へは進めない。
ああ、なんでいっつもこうなんだ、俺は。
「……ハリー?」
横から飛んできたバイト仲間の声に、針谷は我に返る。
―無意識に、記憶がおとといに飛んでいた。
「悪りぃ、ちょっと考え事してた」
彼は素直に謝ると、店内の平棚に置いてあるCDを並び直す作業に着手した。
客の手が入るので、一定の期間で直さないと、どうしてもごちゃごちゃしてしまうのだ。
「いや、今はお客さんいないから別に良いけど。…GWのライブの余韻にでも浸ってたのか?」
「……いや、若干ちげぇ」
と言いつつも、針谷は話題に出たGWライブのことを思い出す。
やっぱり緊張してしまったせいで、いつものように悔しさの残るライブになった。
が、それでもファンは熱狂してくれた。
まあ、それが不本意といえば不本意なのだが…これを語ると長くなる。
着目すべきは、今までとの客層の違いである。
今までは大部分が中高校生だったが、
4月に井上が作ったHPが効果を見せたのか
少しではあるが、大学生やOL、サラリーマンと思しき年齢の人が増えていた。
…もっとも、それが針谷に余計な緊張を与えたもの事実だが。
志波はなぜか、若王子を連れて聴きに来てくれた。
若王子がノリノリなのは良かったが、ああ…やっぱかと針谷は思う。
つまり、美奈子は来なかった。
他には、すっかり常連になったはば学の野球部連中が来た。
4月の初めに喫茶店で会った、あの男性の姿は見なかった。
「あ、ハリー。今日は弦楽器の業者さんが来る日なんだ。
だから悪いけど、後で弦楽器コーナーの配置直すの手伝ってくんね?
新入荷商品並べねぇと」
「おう、わかった」
実を言うと、今日のバイトはイレギュラーである。
GWライブのためにバイトを一日休んだので、
その埋め合わせとして別のバイトの代わりに出勤していた。
今日−木曜は、普段は出勤しない日だった。
店はいつもと同じ顔をしているが、曜日によってやってることが違う。
正直、ちょっと新鮮である。
今は店長が別所の店舗に行っているので、店内の従業員は二人だけだった。
まあどちらもベテランバイトなので、おそらく普通にこなせる。
ほどなく業者が来て、丁寧に梱包された商品を数本下ろしていく。
そして針谷はバイト仲間と一緒に、商品の配置を整えた。
ネイはロックやポップミュージックに使うアイテムを主に扱っているが、
商品の中には、クラシックで使うようなものも少し入っている。
「あ、これ注文品だ」
バイト仲間は『ご注文品』というシールが貼られた箱を持つと、レジの後ろに置いた。
「注文品? どんなやつだ?」
「チェロの弦」
「…へぇ」
ショッピングモールの大型専門店に行けば売っているのに
わざわざネイでチェロの弦を注文する人もいんのかと感じたが、
良いネイ愛だと、針谷は気を良くした。
「知らせっか、お客さんに…」
そう言いながら、バイト仲間は店のパソコンを操作する。
入荷メールを送っているのだろう。
しばらくして商品の陳列がほぼ終わると、針谷はバイト仲間に声をかける。
「オマエ、今日休憩とってねぇだろ? 区切りがいいから、今入っちまえよ」
「おう、そうするわ。ピンチになったら呼べよ」
バイト仲間はそう言って、店の奥に入っていった。
木曜特有の仕事はもう無いし、後は普段と同じである。
主にレジと、店頭から無くなった商品の品出しだ。
大体のものがどこにあるかは既に熟知しているので、一人でも店は回せるだろう。
針谷が一息つくと、それに呼応するように店の自動ドアが動いた。
「いらっしゃいませー!」
反射的に針谷は声を出すが、それと同時に固まる。
ドアが開いた瞬間に 見渡す限りの そのギリシャ
真嶋太郎が入ってきたのだ。
余りの超展開に、針谷は一瞬呆けてしまう。
そして眉を吊り上げた。
諸悪の根源が、俺の場所に勝手に入ってきやがった。
針谷の不満は、一気に最高潮になる。
帰れ
店からでてけ
オマエなんか見たくねぇ
っていうか殴りてぇ
いや、人殴ったことねぇけど…
だが更に恐るべきことは、真嶋が平然とした様子で、針谷にこう話しかけてきたことだった。
「あの、先週チェロの弦を注文した真嶋です。
入荷したって、さっきメールをもらったので」
この真嶋太郎は全く露悪的ではなく、単なる大学生の顔をしていた。
余りにも普通の様子で、かえって拍子ぬけするくらいである。
いや、振る舞いに無意識の気品がにじみ出ており、好感すら持ちそうだ。
その雰囲気は、高校在学中に針谷が見た、うさんくさいまでの爽やかさともまた違っており、
本当に「素」のようだった。
そして嫌でも視界に入ってくる彼の顔立ちは、実に端正であった。
まつ毛はまつ毛ではなく睫毛であり、鼻梁はギリシャ彫刻のようにスッと綺麗に伸びている。
若干色黒の肌がかえって彼の洋風の雰囲気を強め、容貌の完全なる調和を手伝っていた。
もしかすると、あのモデルの葉月珪の隣においても引けをとらない位かもしれない。
そして不思議なことに、彼からは究極の無防備のオーラが出ていた。
それ故に、一層真嶋の容貌が客観的に見えるのだ。
つまり真嶋は、針谷を完全に「店員さん」と認識していたのである。
もしも針谷と美奈子の関係を知っていたら、こんなに普通に来るわけがない。
いや、それ以前に、同じ高校なのに
真嶋が自分の顔を知らないという悔しさに、針谷は軽く唇を噛んだ。
美奈子のことがある前から、針谷は真嶋を知っていたのに―
チックショウ。
とにかく、不快指数がピークである。
こんなあっさりとしたオーラも出せるくせに、一皮むけば最低ヤロウだ。
「…はい。今お出しします」
様々な感情が去来したせいで、針谷はかえって何も考えられなくなっていた。
「お願いします」
真嶋は感じよく応じる。
その瞬間に、ifストーリーが針谷の中を駆け巡った。
こいつの皮をはぎとりたい。
何平和な顔でつっ立てんだ
オマエのせいで、俺らがどれだけ―
針谷は思う。
もし俺が切れてコイツにあらゆる怒りをぶつけたら、一体どうなるのか。
オマエのせいで、美奈子は野球をやめたんだ
オマエのせいで、美奈子はアンネリーをやめたんだ
オマエのせいで、美奈子は学校で笑えなくなったんだ
オマエのせいで、ニガコク&小野美奈子っつう共同体が崩壊したんだ
全部オマエが悪りぃんだ
オマエなんか出てくんな
もう二度と、美奈子の前に顔出すな
―間違いなく、針谷はネイをクビになるだろう。
いくらなんでも、そこまでの非常識は針谷には出来なかった。
つまり、そこが針谷の限界だったのだ。
針谷はクラッシャーにはなれない。
なぜなら、常人だからである。
それどころか変に意識をしてしまい、普段よりも丁寧な接客になっていた。
価格を告げる針谷の言葉に、真嶋はクレジットカードを出す。
「カード、使えますか?」
「一括のみなら」
「お願いします」
針谷はクレジットカードを機械に通し、電票に真嶋のサインをもらって
レジの奥に入れた。
商品を手にした真嶋は、「ありがとうございました」と軽く笑って背を向ける。
その時、針谷は動いた。
理屈とかじゃなくて、とにかく体が動いていた。
ここで真嶋を逃がしたら、もう捕まえられないかもしれない。
俺はこの騒動の中心じゃない。
でも、中心が動かないなら、俺が動かすしかない。
理屈とかねぇ
つうか、俺はハリー様なんだ
根拠はなくとも思いこめ もうそれしかない
「真嶋さん」
針谷の声に、真嶋は素直に後ろを向いた。
「はい?」
針谷は言葉を射る。
「俺は、小野美奈子のダチです。…真嶋さんに言いてぇことが山ほどあります」
真嶋は一瞬驚き、次に無表情になる。
そして、一気に不快な笑いに顔を歪めた。
「…何? こんな所で自己紹介?」
ああ、この顔だ。
針谷のイメージ通りの「真嶋太郎」だ。
針谷は内心、そのVネックを引っ張ってダラダラにしてやろうかと思ったが、ぐっとこらえる。
こんな奴の挑発に乗ったら負けだ。
針谷は極めて冷静に振る舞ったつもりだったが、
逃げること以外では、攻めることでしか動けない気性が目に出たのだろう。
目に力が入っているのが、自分でもわかった。
真嶋は軽く「ふん」と息をつくと、小さく言う。
「…こんな店員さん、初めてだよ。
面白いね、君『たち』って本当に。
どちらにしても、ここで話すのはフェアじゃない。
場所を決めようか?」
針谷は無言で頷いた。
それを見て、真嶋は言う。
「…次の日曜、午後の2時。ショッピングモール3階の喫茶店で。
3階に喫茶店は一つしかないから、わかると思うよ。
…これで良い?」
再び、針谷は無言で頷いた。
「じゃ、また今度」
真嶋はそう言うと、あっさりと店から出て行った。
真嶋の姿が完全に視界から消えるのを確認した瞬間に、無意識に針谷はヒザに手をついた。
ガクン、と前かがみの姿勢になる。
緊張の糸が切れたのだ。
動かしちまった。
よりによって、この俺が。
熱に浮かれてやってしまった。
針谷は大きく動揺し、こめかみを押さえながらレジに戻る。
やばい
何やってんだ、俺!?
所詮、俺のくせに
こんな思いが何度も何度も針谷の中を駆け巡り、やがて頭が痛くなってきた。
我慢したものの、痛みが耐えがたくなったので、
バックヤードに行き、薬箱に入っていた鎮痛剤を一錠飲んだ。
→Hurry4
話の分量が多くなってしまいそうなので、太郎VSハリーは次回に持ち越しました。
次回もハリー視点です。
お店はカンタループにしようかと思ったのですが、
バー=酒のイメージ&マスターが可愛そうなのでやめました(笑)
総括:志波が動かないのでハリーが考えなしに動いた→動いたはいいけど、事後にびびりだすハリー
ハリーは何気に、大事には綿密にことに当たるタイプのような気がします。
というか、本人は不本意ながらも計画はきっちり立てちゃう感じ
個人的に、でかい口を聞く割にはどこまでも常人でいてほしい…!!^^
店員ハリーの言葉使いが難しかったです。
でも次回の喧嘩ハリーの方が、大変かもしれません
はるひの言葉使いは…再現出来ませんでした…すみません…orz
あと、文中の変なポエム(?)は、ギャクマンガ日和の太子のセリフが元ネタです。
漫画やゲームは神作品が多すぎるから、ほんと困ります!(嬉しい悲鳴)
2009.7.5
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