私は歩く、街でぶつかった羽ヶ崎の人と(中編)

前編



12月24日 午後五時。


数時間前に兄は入学式スーツを着て、クリスマスパーティに出かけていった。

歩も、作戦を決行する気満々である。
私はもう、子どもじゃない。
サンタがいないことも知っている。

だったらどうして、大人の行くパーティにいっちゃいけないだろうか?

母は、子どもが見る特権を壊した。
だから私は、大人の場所に行く。

会場に行ったからって、別にご飯を食べるわけじゃない。
だたちょっと、パーティの様子を見るだけだ。
別に会場に入れなくたって構わない。

ただ、家でいつものようにクリスマスを迎えたくないだけだった。
去年の私と今年の私はもう違う。
それならば、別の場所でクリスマスを迎えたって悪いことなんか一つも無い。


歩はよそ行きに着替えると、
台所で料理をしている母の後ろを無言で通り過ぎる。

「歩? あんた、どっか行くの?」
母の言葉が背中にふってくるが、彼女は答えなかった。

「ちょっと、あゆ…」

母の言葉を振り払うかのように、歩はドアを閉める。
そして追いつかれないように、必死でマンションの階段を駆け下りた。


いつもは自転車で駅に向かう道をてくてく歩く。
繁華街に近づくにつれ、回りの風景がごてごてしてくる。
街に出た途端、「不毛」という言葉が歩の全身にのしかかってくる。
街はキラキラしていて、あたり一面が既にカップルだらけ。

自分のように、一人っきりで歩いている子どもなんか一人もいない。

目的地の「天之橋邸」の地図は
一応パソコンからプリントアウトしてきたが、
回りに溢れる人の多さと
それと対比するかのような自分のひとりぼっちっぷりに、
歩は物凄い不安を感じ始めた。


―もしかして、私のやってることって、すごく無謀なのかもしれない
「母への反逆」という歩のテーマは、
早くも音を立ててしぼみそうになってきた。


天之橋邸への道が印刷された紙を凝視しながら歩いていると、
ドスン!と衝撃が走る。

歩がびっくりして顔を上げると
そこには「いかにもヤンキー」という感じの
肩までかかるプリン髪の、青いジャケットを着た青年が立っていた。
切れ長のつり目が、彼女を見つめる。

「……」
突然現れたヤンキーに、彼女は絶句する。

不良


手に持つ紙が、カサコソと音を立てた。
「……」
青年も険しい顔で、歩の方を見る。


「ご、ごめ…んなさい…」
歩が小さく謝ると、青年は軽く笑ってこう言った。
「ん? ああ、気にすんなよ」

その笑顔は、
妙に幼さを感じさせるものだった。


もしかして、このプリンの人は、兄と同じくらいの年齢なのかもしれない。
もっとも、歩の兄はかなりの童顔で
年相応に見られることはほとんど無いのだが…

「お前、これからどっか行くのか? そんなヒラヒラした格好して…」
青年の質問に、歩の顔が強張った。
それを見て、青年は失笑する。
「いや、ナンパじゃないからよ、さすがに」

―そりゃそうだ。

「…クリスマスパーティ」
歩の答えに、青年はふーんと言う。
「最近の小学生はしゃれてるんだな」
「小学校じゃなくて、高校」
「…え? もしかしてお前、高校生なの!?」
「違う」
物凄い勘違いをしている青年に対し、冷静に歩は訂正をした。

「私は小学校四年生だから。お兄ちゃんの高校のパーティに行くの」
「何で?」
彼の問に、彼女は口をつぐんだ。

「……まあ、言いたくないなら良いけど…
 親は知ってるのか?
 お前が高校のパーティに行くって」
「……」
歩は首を横に振る。

青年はそれをみて、軽く困ったような顔をした。
「……んー」
彼はちょっと横を向くと、再び歩の方を見る。
「本当は『帰れ』っていうのが正しいと思うけど、
俺も人のことを、どうこう言える立場じゃねえからなぁ…
 で、会場への道は、わかるのか?」
歩は目を伏せた。
「わかるといえば、わかる」

「それじゃダメだ。危ない」
青年はそう言うと、歩の方を見てこう言った。
「俺が連れて行ってやろうか?」
「え」
歩の表情が硬くなる。
―知らない人についていっちゃ駄目

家でも学校でも、散々言われている言葉だ。

青年はそれを読み取ったようで、バックの中から、小さな手帳を取り出した。
「怪しいモンじゃねえよ。ホラ」

その手帳の表紙にはカードが挟まっており、そこにはこう記されていた。

羽ヶ崎学園二年生 天童壬

「はね・がさき?」
歩は少し首をかしげる。
聞いたことはある。


その歩の様子を見て、天童は小さくつぶやいた。
「兄ちゃん、羽ヶ崎じゃないのか?
 それでこの辺の高校ってことは…
 もしかして、はばたき?」
「うん」
歩は小さく頷く。

「…ふーん」
天童の反応には、わざと押し殺したような響きがあった。

「天童さんは、羽ヶ崎高校なんだ」
「まあな。はばたきよりもレベル低いとこだけど」
―天童には、何かがある。声の調子でわかった。
でも、それは歩が触れるべきではない。

「羽ヶ崎には、クリスマスパーティはないの?」
「あるよ。でも行かね」
「…そうなんだ」

「で、お前、名前はなんつうの?」
「日比谷歩」
「ヒビヤ? どっかで聞いたような聞かないような…
 う〜ん…  わかんねえなぁ…」

首をかしげる天童に対し、
「お兄ちゃんはコスプレをして商店街を練り歩き
目がいいくせにポーズで眼鏡を買おうとするような
野球部期待の新星です!」
とは、流石に歩も言えなかった。

「まあいいや、連れてってやるよ」
天童はそう笑うと、歩の手にある紙を取った。

「ふーん… アマノハシ邸ねぇ…
 まあ、これならこっから歩いて行けないこともないな。
 いや、バスの方が早いか…」


「天童さん、予定とか平気なんですか?」
「へ? 友達と遊ぶ予定だったんだけど、
 どうせ男ばっかだし、こういう理由なら、アイツらも納得するし
 それに、お前を送ってから合流すれば良い話だからな」

歩は少し、疑問に思う。
この人はなぜ、私を会場に連れて行ってくれようとしているんだろうか?

そんな歩の様子に気がついたのか、天童は困ったような顔をする。
「おい、心配か?」
歩は小さく首を振る。

その姿をみて、天童は失笑するしかなかった。

歩は思う。
私ははば学のパーティに行かなければならない。
でも、一人で行く自信は正直ない。
この人は生徒手帳を見せてくれた。

多分、素直な人である。
―私は賭ける、この人に。

「行きます」
「わかった。これ、預かってもいいか?」

天童は歩が頷くのを確認し、紙をポケットに入れる。

その様子に歩は、何となく「お兄ちゃん」を感じた。

「天童さんって、長男ですか?」
「逆。次男」
「じゃあ、私と同じですね。私も下」

「じゃあ、『おさがりスパイラル経験者?』
 いや、兄ちゃんと妹ならそんなことないか…
 俺はすごかったけど」
「私もありますよ、スパイラル」
歩のセリフに、天童はちょっと意外そうな顔をする。

「え、そうなのか? 珍しいな」
「服とかはさすがに無いですけど、私とお兄ちゃん、名前が似てて。
 学校の勉強用具とか、修正液で名前直されてたりするんです」

「あはははは! わかるわ、ソレ。切ねえよな」
天童は気さくな笑顔を見せる。
初めぶつかった時と比べて、歩の中の彼の印象も随分変わっていた。

こうして、傍から見たらどうやっても「兄妹」に見えない二人は
再び道を歩き出した。


途中のバス停でアマノハシ邸の近くに行くバスに乗りる。
歩は天道の隣に座り、黙って窓際の風景を見ていた。

天童も、先ほどから何もしゃべらない。
初めて見たときは、人見知りなどしないタイプのような感じに思えたが、
もしかすると、そうでもないのかもしれない。


というか、どうして私は、初対面の高校生の人とバスに乗っているのか。

歩は天童に、どことなく同じような雰囲気の香りを感じた。
でも、きっとそれは思い過ごしだろう。

窓の外を見ると、イブだけあって
街はカップルとイルミネーションとデコレーション、
ケーキを配るサンタや電気屋でパソコンを売るサンタで埋め尽くされていた。

あちこちの商店でバイトに勤しんでいるサンタを見ていると、
本当にサンタは虚構の存在だったんだなぁと、歩は痛切に感じた。

何で私、ずっとサンタを信じていたんだろう。
あのお兄ちゃんですら、10歳の時にはサンタはいないって知っていたのに

「サンタって、人類最大のウソですよね」
歩はポツリとそう言った。
「へ?」
彼女の予期せぬ言葉に、天童はきょとんとした顔をする。

「善意のウソって、ある意味最悪だと思う。
 だました方が優しい人とか、そんなのって、ありえない」
歩は窓ガラス顔を密着させたまま、つぶやいた。


そんな歩の様子を見て、天童は言う。
「お前、サンタ信じてたの?」
「まさか」
歩の返答を受けて、天童は言葉を続けた。

「俺は信じてたぜ。小学6年生まで」


彼の告白に、彼女は顔を窓ガラスから離し、
天童の方に目を向ける。


天童は歩を見て、皮肉っぽい笑顔でこう言った。
「俺、こう見えても、小学校までずっげーガリ勉でさ。
 親も厳しくて、おもちゃとかほとんど買ってもらえなかったんだ。
 そんなんでも、クリスマスの日だけは
 サンタが俺の欲しいものを、枕元にくれてさ。
 すげえ嬉しかった」

いきなり降ってきた、「ガリ勉」という言葉に歩は絶句した。

「信じられないって顔だな」
「信じられません」
歩の素直な返事に、天童は苦笑した。

「ま、今はこんなバカだしな。
 サンタさんとか言っていたら、かえってキモいし」

「いつ、サンタはいないって知ったんですか?」
歩の問に、天童は天井を見た。
「ん、中学1年の時かな。
 丁度今の時期、ダチに『こんなんじゃ、今年はサンタ来ねーよな』
って言ったら爆笑されて」
「…ショックじゃなかった?」

「ま、ちっと切なさは感じたけど、中学の時には友達が出来てたから。
 サンタがいなくても、代わりに友達がいるならいいって思った」

天童の言葉を聞いた歩は彼の昔の、ほんの一部だけを見た。


 

後編

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